第19回:北方領土、安倍首相が2島返還に方針転換(柴田鉄治)

 シンガポールで行われた23回目のロシアのプーチン大統領との首脳会談で、安倍首相は大きく舵を切った。北方領土の4島一括返還をあきらめ(とは言っていないが)、歯舞、色丹の2島返還で「実績をあげたい」という方針に変換したようなのだ。
 安倍首相の気持ちになってみれば、その変換は分からないではない。自民党総裁選で3選を達成して、戦後最長の長期政権を担うことになりそうなのに、実績らしい実績が何もないからだ。
 「もり・かけ疑惑」で悪名のほうはいやというほどあるのに、誇れるものは何もない。 憲法改正を最大の「実績」にしたいと考えてきたようだが、野党の反対だけでなく、与党内からも疑問の声が噴出して、かなり難しい状況になってきている。
 「外交の安倍」も、訪問した国の数では大変なものだが、最も大切な近隣外交、中国と韓国との間がギクシャクしていては誇るわけにもいかない。
 トランプ米大統領の信頼が厚いといっても、貿易摩擦で厳しい目を向けられている。そうみてくると、安倍首相が誇れるものはプーチン氏との友好関係しかない。確かにプーチン氏との首脳会談は20回以上にもわたり、「意気投合」してきたことも確かである。

「平和条約を先に」プーチン氏の提案に乗る

 安倍首相の方針転換は、その前の首脳会談でプーチン氏から突然出てきた「平和条約を先に締結しようではないか」という提案に乗ったものだ。これまでの両国の交渉は、領土問題を解決してから平和条約を、という形で進んでおり、プーチン氏の提案はそれを突然ひっくり返すものだけに当然、日本は拒否するとみられていた。
 それを安倍首相が受けて立ったのは、プーチン氏の提案の背後に「4島返還は絶対に無理」というロシア側の意向を読み取ったからではなかろうか。2島返還だけでも実現させるために、ロシア側が懸念する「返還されても2島に米軍基地が置かれることはない」という約束までしたのだから驚く。
 歯舞、色丹の2島返還なら1956年の日ソ共同宣言で合意しており、あのとき米国の反対で日本側が反対しなかったなら、返還が実現していたはずのものなのだ。その後、日本側の「4島返還から平和条約を」という主張に沿った交渉が続き、1993年細川政権のときの東京宣言、2001年森政権のときのイルクーツク声明と少しずつ進んできただけに、それらを一気に放棄して2島返還に戻るのでは、これまで交渉を続けてきた外務省などが収まるまい。
 とはいえ、外交交渉には相手があることで、自国の思い通りにいくものではない。そう考えれば、安倍首相が言うように「2島の先行返還で、4島の交渉は続けるのだから方針転換ではない」という主張(いささか強引だが)も、分からないでもない。
 また、プーチン氏も「2島は返還してもその主権はどちらになるか分からない」と、2島返還にも「難癖」をつけている。恐らく2島返還でも「ロシアにとっては大変な譲歩なのだぞ」と日本の世論に呼びかける狙いなのではあるまいか。
 とにかく「2島返還と平和条約」という新しい方針を選ぶかどうか、この際、国民的な論議を展開し、国民が納得できるような決定をするよう期待したい。

サウジアラビアのカショギ記者の殺害を命じたのは誰か?

 サウジアラビア政府は、自国の政府に厳しい批判をしてきたジャマル・カショギ記者を在トルコの総領事館内で殺害したことを認めた。行方不明になった当初は、よく似た男を領事館から外に出して「帰った」などと言っていたが、世界中から「殺害したのではないか」という声があがり、外国からサウジへの投資を手控える動きまで広がって、認めざるを得なかったようだ。
 しかし、最高権力者のムハンマド皇太子に関与が及ばないよう、殺害に関与した政府関係者5人を解任処分にした。ところが、トルコの大統領が捜査結果を詳細に発表し、本国から呼び寄せた15人もの「暗殺団」によって、殺害され、遺体まで処理されたことが明らかになった。
 サウジの検察当局も動かざるを得ず、暗殺団を起訴し、うち3人に死刑を求刑する方針まで公表した。最高権力者の関与を否定するため、実行犯を死刑にするとは、と驚いたが、それでもことは収まらなかった。
 米国のCIAが、ムハンマド皇太子と弟の駐米大使の電話を盗聴し、「ムハンマド皇太子が命じたことが明らかになった」と米国のメディアが報じたことで、事態は一層、深刻になった。サウジは米国の同盟国で、米国から高価な武器を買っており、トランプ大統領も「事件は許し難いが、ムハンマド皇太子は無関係と思いたい」と言い続けているからだ。「自国主義」もここまでくると、やり過ぎだろう。
 サウジ、トルコ、米国のからんだこの事件で、中東がこれからどう動くのか、ますます分からなくなった感がある。

イスラム武装集団に囚われていた安田純平さんは無事帰国

 一方、イスラム武装集団に囚われていたジャーナリストの安田純平さんは、3年4か月ぶりに解放され、無事に帰国した。政府は「身代金は払っていない」と強調しており、カタール政府が、いろいろ面倒を見て仲介してくれたようだ。
 帰国後、記者会見した安田さんは「感謝と謝罪の言葉」を述べたが、「なぜ謝るのか」という質問に、「私が間違えたところもあったので」と答えていた。
 本人がどう考え、謝ってももちろん構わないが、戦地に取材に行った安田さんの行為を「自己責任だ」とネットなどで非難する行為はいただけない。ジャーナリストが危険地帯に取材に入るのは、いわば使命感であり、一般市民は感謝こそすれ、非難することではないはずだ。

日産自動車のゴーン会長が逮捕される

 倒産しかかった日産自動車を立て直した功労者、カルロス・ゴーン会長が、受け取っていた報酬を過少に報告していた容疑で、東京地検特捜部に逮捕された。90億円もの報酬を50億円も少なく報告していたというのだから驚く。
 日産自動車を再建してすぐ、超高額の報酬を取って、「優れた経営者がそれなりの報酬を得ることは当然だ」と豪語していたゴーン氏も、報酬をごまかすところまで行っては、支持者もいなくなるだろうし、尊敬もされまい。
 実は、ゴーン氏が超高給を取るようになるまでの日本の会社は、社長の給与と新入社員の給与の差が、世界でも最も小さい「平等社会」だと言われてきた。それが、ゴーン氏の超高給をみて「われもわれも」と高給取りが続出、あっというまに「格差社会」になってしまったのだ。
 そこで政府は、2010年度から上場企業で1億円以上の報酬を得ている経営者を決算報告書に記載するよう定めたが、それでも勢いは止まらず、1億円以上の高給取りは2018年3月期で4103人に達したという。
 一方、社員の給与のほうはそれほど上がらず、そのうえ給与の低い非正規採用社員が増えて、いまや「超格差社会」である。
 日本の経営者も、いたずらにゴーン氏のあとを追うのではなく、この際、かつての「平等社会」に戻すよう努力してはどうか。

大阪万博決まる、「いのち輝く未来社会」の展示とは

 2025年の大阪万博の開催が決まった。東京オリンピックとペアーの開催となったが、こちらは55年ぶり。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だ。その一つにヒロシマ・ナガサキの「原爆展」はどうだろうか。世界中から核兵器をなくさないと「いのち輝く未来社会」は生まれないわけだから、そして核兵器が使われたらどうなるか、それを示せるのは唯一の被爆国日本しかないのだから……。
 1970年の大阪万博の最大の呼びものは、アポロ11号が持ち帰った「月の石」だった。70年は科学技術が輝いていた時代だ。2025年は科学技術が地球環境を破壊する恐れを心配する時代だ。月の石と原爆展、案外、時代に合っているのかもしれない。
 それに海外から訪れる旅行客に、広島、長崎に立ち寄らずとも、被害の実相を知ってもらう狙いもある。
 大阪万博の跡地をカジノにするだけではどうしようもない。もう少し有意義なものにするためでもある。大阪万博の責任者になる経団連の会長に、じっくり考えてもらいたいものである。

今月のシバテツ事件簿
伊豆大島・三原山の大噴火から32年

 伊豆大島の三原山が大噴火した1986年11月21日から32年が経った。私が朝日新聞東京本社の社会部長になって3年が過ぎたあの日の夕方、「三原山が大噴火した。噴煙が上空800メートルにも達している」と大騒ぎとなった。
 私は大学で地球物理学を学び、火山や地震には特別の関心がある。その私が社会部長になるのを待っていたわけでもあるまいが、三原山の3年前には伊豆三宅島の雄山が大噴火し、住民が島外に避難する騒ぎがあり、それに続く三原山の大噴火である。
 朝日新聞社では直ちにヘリコプターを出し、羽田から現地に飛んだ。座席に余裕があるということで、そのヘリに私も乗せてもらった。三原山の上空に達すると、夕闇の中、真っ赤に焼けた火山弾が噴火口から次々と飛び出してくる光景の、不謹慎ながら「美しい」ことといったら…。それに真っ赤な溶岩が山腹をゆったりと滑り降りる姿も上空から見える。
 これはあとでパイロットから聞いたことだが、その火山弾の一つが朝日のヘリをかすめて落下していったそうだ。現に、毎日新聞社のヘリは、火山弾が機体の一部にあたり、不時着したというのである。
 朝日のヘリに火山弾がまともにぶつかっていたら、私のその後の人生はなかったのだと思うと、幸運に身の震える思いがした。
 そのとき伊豆大島には約1万人の住民が暮らしていた。溶岩が人家のある海岸べりまで達したら大変だと、全住民の島外への避難が決定された。定期船の東海汽船をはじめ、船という船が動員され、住民を東京まで運んだ。
 島には発電所の2人と助役の計3人が残っただけだったという。そして、1か月後、噴火も収まって全島民が帰島した。あの日の思い出は、忘れ難い。

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柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。