第56回:沖縄、「いじめの光景」(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 ぼくは何かを語るときには、あまり「たとえ話」を使わない。「たとえ話」は面白いことが多いけれど、本筋から微妙にずれてしまい、なんだか事実の中身とは違うことになってしまいがちだからだ。
 でも、今回はその禁を破って「たとえ話」をさせてもらう。

 安倍政権の沖縄に対するやり方は、まさに学校における陰湿な「いじめ」と変わらない。しかも、それが生徒間の「いじめ」ではなく、学校という組織ぐるみの、特定の生徒たちに対する「いじめ」なのだ。

異様な権力をふるうA校長

 異様なほど校長が権力をふるう学校がある。しかも、このAという校長、お友だちや気に入った子分たちを身の周りに集め、自分の意に添わない教師は徹底的に排除した。おかげでこの学校、自由にモノが言える雰囲気がまったくなくなってしまった。
 その上、典型的な「ブラック校則」を、A校長自身が勝手に作り上げ、どんな異議も聞かず施行してしまった。しかも朝令暮改、今朝言ったことを夕方には取りやめる、なんてことも日常茶飯。一部の生徒たちは「校長はまるで息を吐くようにウソをつく」などと噂している。
 だが、どこにだって「それはおかしい」と思う生徒はいるし、その中でも勇気ある生徒は、ブラック校則に対して「校則撤廃」の声を挙げる。むろん、A校長がそんなまともな意見に耳を傾けるはずもない。
 ここは巨大な学校で、全学年あわせて47クラスもある。この巨大校に君臨するA校長は、まさに独裁者である。

「O組」の反抗

 「校則に違反した」などとして、学校側が「問題がある」と認定した生徒たちが集められたのが、O組である。
 O組は、体育館裏の日の当たらないプレハブ校舎に押し込められている。しかも冷暖房完備を謳う「学校案内パンフレット」に反して、O組の教室だけにはそんな設備もない。A校長の言うことを聞かない連中はこうなるのだという見せしめ、あからさまな差別と言ってもいい。
 だから、「O組」は、とうとう耐えきれなくなって反旗を翻した。クラス討論を重ねた結果「ブラック校則撤廃」を決議し、「劣悪環境のO組の教室の改善」を求めた。そして、その代表者として、クラス委員にONくんを選んだ。当然、ONくんはクラスの意見書を学校側へ提出した。
 A校長は激怒した。メロスが激怒するなら分かるけれど、校長が激怒するのでは話が逆である。
 しかしA校長、表面上はにこやかに、しかしぺちゃぺちゃ、舌っ足らずの口調で「アタクシは教育者であり、しかもこの学校の責任者でごじゃいます。生徒さんたちの心情に“寄り添う”のは、まさに当然のことでごじゃいます」と話した。そして、陰では副校長のSに「うまく連中をごまかしてこい」と下駄を預けた。

鉄面皮のS副校長

 なにしろ、「保護者会」の意向を最優先、というのがA校長の処世術である。保護者会のTR会長(AM商事社長)は地域いちばんのボスであり、本来は不要な備品をこの学校へ超高値で売りつけているというのは近辺では有名な話だが、TR会長の後押しで校長の座を保っていると思い込んでいるA校長は、逆らうこともできないし、その気もない。
 それに、A校長の祖父K氏はかつてAM商事の下働きをしていた。その忠勤ぶりがAM商会社長に気に入られ、この学校の校長に取り上げてもらった恩がある。だから、A校長にとってTR会長は祖父の代からの御主人様なのだ。逆らえるわけがない。
 もっとも、保護者会が「ブラック校則」を容認している、と思い込んでいるのはA校長をはじめ、その取り巻きの茶坊主教師や事務職員だけであり、保護者会のほんとうの意見など、学校側が確かめたわけではない。A校長が、勝手に保護者会(というよりTR会長)の意向を“忖度”し、それを校長の取り巻きたちがまた“忖度”しているという“忖度の負の連鎖”が現状なのだ。

 さて、鉄面皮のS副校長は、O組を訪れ「諸君の言い分はきちんと聞く。しかし、本校には本校の規約がある。これに従って、粛々と校則は守ってもらうしかない」と、訴えなど聞くつもりもないことを明らかにした。まるで表情を変えず、「決まったことです」を繰り返す。
 さらには「劣悪環境教室という差別をやめてください」との訴えには、「諸君の負担軽減のためを考え、O組の諸君に“寄り添って”きちんと考えていきます」と繰り返すのみ。中身は何もない。
 そして挙句の果てに「どうしても教室を移したいということですので、体育会の用具置き場の空き部屋を使用することにします」などと、差別解消どころか、逆に学校内の差別を煽る始末。
 手を挙げて意見を言おうとする女生徒のMさんには、S副校長に付添ってきた事務職員が「意見は短く、意見は短く」と脅しのような大声を上げる。S副校長も「次の意見どうぞ」。生徒たちが何度質問を繰り返しても「次の意見どうぞ」「次の意見どうぞ」。
 答える気がないのなら、なんでO組の生徒たちの前にしゃしゃり出てきたのか。
 もう、話し合いなどという雰囲気ではなく、一方的な「ブラック校則」「差別押しつけ」の場でしかない。

クラス委員選挙、大差でTくん勝利

 追い込まれた生徒たちは、話し合いを繰り返す。
 そんなとき、残念なことにクラス委員のONくんが事故に遭い、長期入院ということになってしまった。
 むろん、クラスの中には「校長の言うことを聞く方が得だよ」という者もいる。そこで、議論を重ねた結果、またクラス委員選挙を行う。そして、ONくんの後任の委員選挙で「ぼくはONくんと同じ意見だ」と表明したTくんが、学校側が押しつけてきたSKくんを、圧倒的な大差で破って当選した。ONくんがいなくなっても、O組の意志は変わらなかったわけだ。
 ところが、クラス担任のI教師は、そんなO組の生徒たちの意見など、まるで聞く気はなかった。A校長の茶坊主だったのだ。
 O組の生徒たちの意志が、再度クラス委員選挙で示されたものだから、一旦は「校則の見直し」と「教室移転の是非」の検討ということで、ほんの数日間の“休戦状態”となったのだが、このI教師は、校長室へ呼びつけられてどんな脅しを受けたのか、すぐに「校則の徹底」と「教室移転の強行」を宣言してしまった。
 しかも、あろうことか学校側は警備会社のガードマンを導入、さすがに怒って教室に立てこもった生徒たち一人ひとりを、数人の屈強なガードマンたちが教室から引きずり出すという凄まじさ。女生徒だって遠慮なく手荒に担ぎ上げてほっぽりだす、という有様。
 その上で、I教師は恥ずかしげもなく「この校則は、学校や保護者会のためのものではなく、生徒諸君のために制定されたものなのです」「教室移転はこの校則に基づくものですので、絶対に撤回しません」と威丈高に宣言。
 「生徒たちのため」と言いながら、O組の生徒はその中に入れない。つまり、I教師にとって、O組の生徒たちはこの学校の生徒ではない、と宣言したに等しいのだ。

無関心という差別

 O組は、それでも屈しない。
 だが、O組の生徒たちの抵抗は、なかなか理解されない。他の46クラスの生徒たちは、見て見ぬふりをするばかりだ。
 「何をバカなことをやってるんだ、アイツら」
 「おとなしくしていれば、内申書にもいい点くれるのに」
 「多少はアイツらの言い分も分かるけど、反抗するだけ無駄だな」
 「体育館裏や運動用具置き場の教室なんかイヤだけど、おれらのことじゃないから関係ないし」
 「見なけりゃいいんだ、そんなもの」
 「ブラック校則なんて、我慢すればどうってことないじゃん」
 無関心が、O組の生徒たちを孤立させている。無関心こそが“差別”の温床なのだ。
 無関心だけならまだしも、「A校長が特別にいいとは思わないけど、A校長に代わる教師なんていない。だからA校長でいいじゃん。A校長に反抗する奴は、わが校の生徒じゃない。さっさと退学すればいいんだ」などと言い出す生徒まで現れ始める。

 「見ぬもの清し…」という俗諺がある。見たくないものは見なければ存在しないと同じことだからきれいなものさ、というほどの意味。そんな無関心のバリアが張り巡らされた社会は、ほんとうに息苦しい。

 学校という組織社会が、一部の生徒たちを差別しているという寓話。
 沖縄で安倍政権がゴリ押ししているのは、まさにそれと同じだ。あの美ら海に、赤く濁った土砂が流し込まれている。すさまじいほどの、悲しく切ない光景…。
 「抑止力」という、軍事専門家たちの間でも異論が多い曖昧な概念を振りかざして、反対する人々を圧し潰していく安倍内閣。戦後憲政史上最悪の内閣だと、ぼくは思う。

国際的な署名活動の盛り上がり

 国際的な「辺野古新基地建設の再考」を訴える署名運動が始まっている。1月7日までに「10万人の署名」が集まれば、米政府はこの「辺野古の新基地建設」について、なんらかの態度表明をしなければならないという。
 この原稿を書いている間に、はやくも10万筆を超える署名が集まったが、引き続きサイトで署名を集めている。
 自らの政府が国民の意見を無視するからといって、関係があるとは言いながら他国政府の意見表明に期待せざるを得ないということは、まことに恥ずかしい。まるで、植民地とその宗主国の関係のようではないか、というような批判もある。
 しかし、安倍政権が沖縄県民の意志をここまで足蹴にする以上、使える手は何でも使うしかない。
 ぼくも署名した。

→署名の手続きは、こちらから。
 ※サイトに名前とメールアドレスを入力。確認のメールが届くので、指定されたリンクをクリックすると署名が完了する

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。