【薔薇マークキャンペーン×マガジン9】考えよう、経済のこと。松尾匡さんに聞く「反緊縮」ってなんですか?(その2)日本の「財政危機」論は本当か?

統一地方選が終わり、7月には参院選。そんな「選挙イヤー」の今年、一つの選挙キャンペーンが立ち上がりました。消費税増税に強く反対し、福祉や教育分野への大胆な政府支出を求めるなどの「反緊縮」経済政策を掲げる選挙候補者を、「薔薇マーク」認定して有権者に可視化するという「薔薇マークキャンペーン」。増税回避も、福祉や教育への支出拡大も魅力的な提案ではあるけれど、「財政危機」が声高に叫ばれる中で、本当にそんなことが可能なのでしょうか。キャンペーン呼びかけ人のひとり、経済学者の松尾匡さんに、素朴な疑問をぶつけてみました。(その1)はこちら

■日本の借金は1000兆円以上?

──前回、日本ではずっと、公的支出を絞って世の中に出回るお金の量を減らす「緊縮」政策がとられてきたというお話をお聞きしました。しかし、これだけ財政危機がいわれている以上、国の借金を減らすために支出を抑えるというのは、当然といえば当然なのでは? とも思えます。

 実は、これだけ緊縮を続けてきたにもかかわらず、この30年あまり、バブル期などを除いて全体的に見れば、国の財政赤字はほとんど減っていません。緊縮路線で世の中からお金が少なくなれば景気が悪くなり、景気が悪くなれば利潤は減るし、雇用も減って非正規化も進むので、税収が減りますから、当然の結果なのです。つまり、緊縮を進めたからといって、国の借金が減るわけではまったくありません。
 そして、もう一つ考えておかなくてはならないのは、日本の財政状況が世界的に見ても最悪で、破綻寸前だというのは本当なのか? ということです。

──でも、よく「借金が1000兆円以上あって…」といわれますよね?

 たしかに、日本政府の総債務残高は1000兆円を超えています。しかし、「債務」のほとんどは国債ですが、その4割以上は現在、日本銀行(日銀)が所有しているのです。
 日銀というのは、日本政府が半分以上を出資しており、人事権なども持っている「子会社」のような存在。自分で自分から借金をしているようなものですから、ほぼ返す必要がないものです。国債の期限が来ても借り換えをして、半永久的に借り続けておくことができる。
 これは、その場しのぎの策でもなんでもなくて、どこの国でもやっている当たり前の施策です。逆に、仮に日銀所有の国債分の借金を全部返してしまったら、世の中からお金が消えてしまって大変なことになります。

──!!? どういうことですか?

 そもそもお金というのは、中央銀行(日本の場合は日銀)が何らかの資産を購入した代金として発行しているものです。そして、その「資産」の大半を占めるのが国債。中央銀行からお金が出されているということは、それとほぼ同じ量の国債が中央銀行の金庫の中にあるということなんです。
 そして、正常に経済が成長していけば、それに合わせて世の中のお金の量も増えていかないと困ります。そうすると、それに合わせて中央銀行が所有する国債の量も増えていかないといけないということになる。つまり、世の中で必要な量のお金が流通し続けるためには、中央銀行は常にある程度の国債を所有している必要があるし、長期的に見れば、経済成長とともにその量は増えていくのが当たり前だということなんです。
 だから、日銀所有の国債も全部を返済する必要はないし、あんまり返したら世の中からお金が消えて、むしろ困ることになる。
 さらにいえば、そもそも財政赤字、国の借金というのは経済停滞の状況が変わらないかぎり必然です。当たり前ですが、お金というのは誰かが借りていれば誰かが貸しているものです。つまり、国がお金を借りているということは、民間が総計すれば金を貸すほうに回っているということ。今のように、民間の支出が低迷して利潤を内部留保にして溜め込んでいれば必ずそうなります。逆に言えば、財政赤字がどんどん解消して黒字になるというのは民間の借金が膨らんでいるということの裏返しなので、必ずしもいいこととはいえないんです。日本でもバブル経済のときはそうでしたし、アメリカでも国が財政黒字になるときは必ず民間が債務超過になってやがて破綻しました。これは基礎的な経済学の標準的な考え方から言えることです。

■日本は「第二のギリシャ」にはならない

──それでも、ギリシャが多額の債務を抱えた末に経済破綻して…なんていう話を聞くと、日本もいずれ? と不安になる人も多そうです。

 ギリシャが経済破綻したのは、ユーロ圏に入っていて自分の国の中央銀行を持っていなかったからです。
 先ほど言ったように、日本には政府の「子会社」的存在の日銀があって、日銀が買い取った国債については実質的に返済の必要がありません。民間が所有する国債も、いざとなれば日銀が買い取ることができます。でもEUの欧州中央銀行は各国から完全に独立した存在なので、一国の経済を救うためにそうした政策を取ることは簡単にはできません。そのように、日本とギリシャの状況はまったく違うので、比較することに意味はないと思います。
 ちなみに、国際通貨基金(IMF)も2018年秋に、「日本の純債務はほぼゼロ」だとするレポートを公表しています。

──薔薇マークキャンペーンの提言では、大企業や富裕層への課税強化が法的に実現するまでの「つなぎ」として、国債を発行する、とも述べています。ここからさらに国債を発行するのも問題ない、ということでしょうか。

 第二次世界大戦の後、戦時中の国債大量発行が引き金となってひどい高インフレが起こったこともあり、日本では「国債を発行する」ことに対して抵抗を感じる人が多いようです。しかし、戦時中に国債を大量発行して中央銀行にもたくさん買わせて戦費を調達したのは日本だけではなく、アメリカもそうでした。しかし、アメリカではインフレは起こらなかった。
 その違いを生んだのは、生産力の違いです。日本は、もともと生産力が低かった上に、戦災で工場などが破壊され、壊滅状態に陥った。それなのに、国債を日銀に買わせてお金が大量に出回っているから、その購買力に対して生産が不足してひどいインフレになったわけです。一方、アメリカには十分な生産力があったために、そうならなかったんですね。
 今の日本は十分な生産力があるので、しばらく国債を発行し続けたところで、インフレになるとは考えられません。世界中の投資家や企業がそれを分かっているからこそ、震災が起こっても、北朝鮮からミサイルが飛んできても、円が大量に売られるような事態にはならず、円高になるのです。東日本大震災のときには、サプライチェーンが壊されたので、供給不足からインフレになると言った人も多かったですが、実際にはあっと言う間に生産が復旧し、インフレどころかあいかわらずデフレに苦しめられ続けました。

■「財政危機」論はなぜ広がったのか

──財政赤字は悪いことではないし、海外に比べて日本の財政状況がひどく悪いわけでもなく、財政破綻の恐れもひとまずない……。しかし、メディアの報道を見ていると、ほぼ「財政危機」論一色で、今にも財政破綻が起こりそうな印象を受けます。

 主要メディアのほとんどが、ここまでお話ししてきたようなことも踏まえずに「財政危機」を煽っていることは、さまざまな弊害を生み出していると思います。
 たとえば、生活保護バッシングは、「国にお金がないんだから、そんな役に立たない奴らにお金を使うな」ということですよね。LGBTの人たちに対しても、「国にお金がないんだから、将来納税者になる子どもをつくるという『貢献』をしない人たちは生産的じゃない」という言葉がぶつけられる。あるいは、知的障害者19人が刺殺された2016年の「相模原事件」の犯人は、「日本が莫大な借金を背負っている」ことに強い危機感を持ち、「何とかしなければ」という歪んだ思いであの事件を起こしたといいます。日本全体が「日本の財政は破綻寸前だ」という思い込みにとらわれてしまったことで、さらにその財政の「足を引っ張る」弱者を叩くヘイト言説が蔓延し、場合によっては殺してしまうというようなことが起こっているのではないでしょうか。
 
──そもそもなぜ、ここまで「財政危機」が煽られてきたのでしょうか。

 はっきりとは分かりません。ただ、「反緊縮」を求める声が強まっている欧米左派の間では、財政危機論が声高に叫ばれるのは、それがエスタブリッシュメントやグローバル企業にとって都合がいいからだ、といわれています。
 つまり、財政危機でお金がない、なんとかしなきゃいけないということになれば、インフラなど国の公共資産が民営化され、グローバル企業がそれを買って儲けることができる。公共の福祉サービスなども削減されるので、やはり民間にビジネスチャンスが生まれる。また、人件費削減のために正規の職員が減らされて、派遣ビジネスがもうかる。さらに、それまで福祉サービスに助けられながらなんとか暮らしていた人が、不都合な条件でも働かざるを得なくなるので、低賃金でも黙って仕事をする労働力が手に入る……。
 そうやって、力の強い人たちにとってはいろいろと都合がいいことが起こるので財政危機論が煽られているのだというのが、欧米の反緊縮派が主張するロジックですね。

──日本でも同じことが起こっているのでしょうか?

 今言ったようなことは欧米だけの話ではありませんから、当然ある程度は日本にも当てはまるのではないかと思います。たとえば小泉財政緊縮路線を主導した竹中平蔵さんが、いま大手人材派遣会社の会長で、いまだに日本経済に関する公職にも就かれているというのは象徴的といえるかもしれません。
 ただ、日本が特殊なのは、エスタブリッシュメントでもグローバル企業でもない、いわゆる左派の間でも「財政危機」が当たり前の前提とされ、緊縮路線を主張する人が少なくないことです。もともと左派は、臨調行革路線のような「小さな政府」路線には強く反対していたはずなのですが、そこは忘れ去られている。
 日本が経済的に一番豊かだった1990年代に、それまで各地で進められてきた「箱物行政」やダム建設といった大型の土建開発へのアンチとして、「これ以上無駄なお金を使うべきではない」「経済成長だけを追い求めるのでなく、環境に配慮すべきだ」といった言説がよく聞かれるようになりました。そこから一部の反自民党世論の中で、「政府がお金を使う」こと、そして「経済成長を目指す」こと自体へのよくないイメージが生まれ、そのまま続いてきたように感じます。
 でも、十分な雇用を創出して貧困や格差の問題を解決していくためにも、適切な経済成長は絶対に必要です。そしてその経済成長というのは、大型公共工事だけではなく、たとえば福祉や介護のサービスが成長し、世の中全体でそこに使うお金が増えることによっても、あるいは所得の再分配を進めて所得に対して消費の割合が高い低所得層にお金を回すことによっても可能なのです。そうすれば総需要の拡大が波及し、一般庶民も暮らし向きにもっと余裕ができて、環境負荷が高くて健康によくない激安製品に頼らなくてよくなるし、環境に優しい商品や農業林業漁業にかかわる持続可能な事業が伸びていくことができるようになります。
 環境を破壊して公共工事が行われて、ゼネコンのような大企業だけが儲かる──従来の「経済成長」という言葉には、そういうイメージが一部で伴っていたように思います。私たちが「反緊縮」を通じて目指したいのは、それとは異なる「よき経済成長」なのです。薔薇マークキャンペーンのホームページには、そうした「よき経済成長」とそのための政治に関する資料と情報を掲載しています。ぜひ参考にご覧になってみてください。

松尾匡 (まつお ただす) 立命館大学経済学部教授。1964年石川県生まれ。87年、金沢大学経済学部卒業。92年、神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。経済学博士。久留米大学経済学部教授を経て2008年より現職。専門は理論経済学。著書に『新しい左翼入門』(講談社現代新書)、『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』(PHP新書)、『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)ほか、共著に『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房)ほか多数。