第25回:平成から令和へ、新天皇の憲法をめぐる「お言葉」は、なぜ変わったのか(柴田鉄治)

 今月のニュースと言えば、天皇の退位により、平成から令和へと改元があったこと。戦後初の10連休というお祭り騒ぎもあって、平年とは違う5月となった。いや、30年前の昭和から平成への改元のときとも状況は大きく変わった。30年前の改元は昭和天皇のご逝去に伴うものだっただけに、お祭り騒ぎどころか、沈痛な空気に包まれた改元の儀式だったが、今回の改元の儀式は総じて明るいものだったと言えよう。
 そのなかでも、いろいろと指摘したいことが少なくないが、私が最も強く「おや?」と思ったことは、新天皇の憲法についてのお言葉が、30年前と変わったことである。
 30年前に平成の天皇(現上皇)が就任した朝見の儀でのお言葉は、「皆さんとともに憲法を守り」とあったのに、今回の朝見の儀でのお言葉は、「憲法にのっとり」と変わったのである。朝見の儀でのお言葉は閣議決定することになっているので、安倍政権の閣議でそう変えたのだろう。
 そういえば、30年前の天皇の「憲法を守り」というお言葉に対して、当時、改憲派の政治家から批判の声が出ていたことを思い出した。改憲に熱心な安倍首相だけに、新天皇に「憲法を守り」と言ってほしくないと考えたのではあるまいか。
 しかし、よく考えてみると、これはおかしな話だ。憲法99条で天皇や政府高官が「憲法を守る」ことは明記されており、「憲法を守る」というのは当たり前のことなのだ。
 そういえば、〈梅雨空に「9条守れ」の女性デモ〉という入賞した俳句を市の公民館だよりに載せなかったのは違法だった、という判決が最高裁で確定したケースもあった。世界に誇る平和憲法なのに、「憲法を守る」という言葉が政治的だと排除されるようになったら、世界に顔向けできなくなろう。

「平成の時代、戦争はなかった」というお言葉の重み

 天皇の退位のお言葉のなかで、「平成の時代、戦争はなかった」というものほど重みのあるものはない、と私は思っている。そこには、戦争に明け暮れた「昭和の時代」への反省と、戦火に散った人々に対する哀悼の念、「二度と戦争の時代にはしない」という固い決意などがこめられていると思うからだ。
 さらに露骨に言わせてもらうと、平成の世に登場した安倍政権が、集団的自衛権の行使を容認する安保法制などを通して「日本を再び戦争のできる国」にしようとしているのに対抗しようとする意志まで読み取れるように感じるからだろう。
 戦争こそなかったが、平成の時代が穏やかだったわけではない。阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、異常気象と、日本は「災害国家」だという新しい日本像が浮かび上がった。となれば、新しい令和時代は、戦争をしないだけでなく、災害国家でもなくすことに全力を尽くすべきだろう。
 たとえば、自衛隊を「世界一の災害救助隊」に生まれ変わらせるのはどうだろうか。そして、日本だけでなく、世界中の災害地にはどこにでもすぐに派遣する、と宣言するのだ。
 もちろん、こうした政策転換を新天皇に期待するのではなく、政治家に期待することは言うまでもない。

日産自動車は、外部の力に頼らないと何もできないのか

 日産自動車は、経営不振を立て直すために外国からカルロス・ゴーン氏を呼んできて、ゴーン氏の剛腕で経営を立て直した。そして、今度はゴーン氏が会社のカネを私物化していると秘かに東京地検特捜部に訴え、特別背任罪で逮捕してもらって、やっと株主総会でゴーン氏のクビを切った。ニッサンはこんなにも外部の力に頼らなければ何もできないのか。
 その後は、ゴーン氏と東京地検特捜部の間の「闘い」に発展し、世界中から注目を集めている。まず、問題になったのは日本の「人質司法」に対する海外からの厳しい目だった。日本の検察庁には、起訴した事件の99.9%は有罪になるという褒め言葉があるが、それは褒め言葉ではなく、「自供するまで拘留を続ける人質司法」という批判につながっており、それが多くの冤罪事件を生む原因にもなっているからだ。
 ゴーン被告は拘留108日目で保釈が認められたが、その後、1か月も経たないうちに、またも拘留された。ゴーン氏が記者会見をすると発表した前日の再逮捕なのだから、記者会見封じのためではないかという声があがったのも無理はない。
 人質司法など日本の司法が、いつも被告人の人権より捜査陣に加担しているように見える状況が、ゴーン事件で少しは改善されることを期待したい。

令和の国賓第一号はトランプ米大統領、相撲見物まで用意

 改元をめぐる異例の10連休というお祭り騒ぎが過ぎて、新天皇が国賓として迎える第一号・トランプ米大統領が5月25日夕に来日した。時事川柳でトランプ氏のポチとからかわれる安倍首相らしく、大相撲の桟敷席に特別席を設け、優勝者に「トランプ杯」を授与してもらうという歓迎ぶりである。
 ところが、優勝力士は前日に決まってしまい、座布団が飛ぶ機会もなくなってしまったのだから、安倍首相もちょっと残念に思っているに違いない。
 安倍外交の中心、対米追随は、このあともG20サミットで再度トランプ大統領の訪日が予定されているなど、安倍首相にとっても鼻高々といったところだが、一方、最も近隣の韓国との外交関係は、どうしようないほど悪化している。安倍首相が世界中を走り回っている努力は買うにしても、日韓関係が悪くては安倍外交を評価することはできない。
 そのなかで、ちょっと期待が持てそうなのが、安倍首相のイラン訪問だ。トランプ大統領のイランとの核合意の脱退宣言で険悪化しつつある米国とイランとの関係を日本が仲介できるかもしれないからだ。イランの外相が直前に来日し、首相や外相と会談していることも期待を抱かせる一因だ。対米追随の日本だが、イランとも関係性が悪くないことを、この際ぜひ生かしてもらいたい。
 

今月のシバテツ事件簿
「環境問題に火をつけた」アポロの月着陸から50年、次はアルテミス計画

 アポロ11号が月に着陸したのは1969年7月で、ちょうど50年前になる。朝日新聞の特別取材班の一員として米国に特派された私が、半世紀前のいまごろ、米国内を走り回っていたのである。
 「他の天体にまで人間を送り込むような技術をどうやって達成したのか、その秘密を探れ」という社命のもと、5人の特別取材班が3ヵ月に渡って取材した結果は、「これだという『技術突破』は何もない。強いて挙げれば、不良品は通さないという品質管理の技術を徹底したことだろう」となった。
 どんな小さな下請け工場に行っても、こんなポスターが貼ってあった。「月ロケットは560万個の部品からできている。もし信頼性が99.9%だったら、なお5600個の不良品が残る」と。人間を月に送り込むためには、信頼性が99.999999%くらいでないとダメだというのである。
 このため、どこの企業に行っても品質管理の部門が大きな比重を占めていて、チェック、チェック、またチェックである。
 人間が他の天体に一歩を記した文明史上の一大壮挙によって、「新たな地平」が開かれるに違いないと取材班は予想したが、その「新たな地平」はその後、静かに現れた。環境問題に火がつき、あっという間に世界中に燃え広がったのである。
 宇宙に浮かぶ青い小さな地球像が、「このまま科学技術だけを発展させたら、地球環境がもたない」と気づかせてくれたのである。科学技術の頂点ともいうべきアポロの月着陸が、科学技術の大きなマイナス面に気づかせてくれるという皮肉な結果を生んだのだ。
 ところで、アポロの月着陸以来、人間の月着陸計画は途絶えていたが、米航空宇宙局(NASA)は今年5月23日、2024年に人間を月に着陸させる計画を、アポロと双子の名をとって「アルテミス計画」と名付けると発表した。アルテミス計画によってどんな地平が開けるか、いまから楽しみにして待とう。

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柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。