毎年8月は戦争を考えるときだ。原爆忌、終戦の日、そして日中戦争から太平洋戦争について、歴史を振り返るときでもある。
今年は74回目。区切りのいい年ではないが、平成から令和に改元された年でもあり、特筆すべき動きもいろいろとあった。
新天皇が即位され、初めての「終戦の日のお言葉」があった年だから、8・15から論じよう。新天皇の「お言葉」は、前天皇(現上皇)のお言葉を継いで、アジア諸国に対する「深い反省」を述べるものになった。
それに対して安倍首相の言葉には、今年もまた、アジア諸国へのお詫びや反省の言葉はなかった。1993年の細川護熙首相以来、歴代首相が続けてきたお詫びと反省の言葉が、7年連続してないのだ。
安倍首相は戦後生まれで、「生まれる前の事柄には責任を取りようがない」という考えが首相にあるのかもしないと一部に言われていたが、今年は新天皇も戦後生まれのため、その弁解は通じなくなった。
「反省」の言葉のあるなし、歴史を学んだ人と学ばなかった人の違い?
同じ戦後生まれの新天皇と安倍首相の、この違いはどこからくるのか。新天皇の考えは、平成天皇からの引継ぎもあるだろうが、自ら歴史を学んだ結果でもあろう。それに対して安倍首相は、母方の祖父、岸信介氏の歴史観を継いで、客観的な歴史を学ばなかったという違いではあるまいか。
安倍首相の父親も、父系の祖父もアジア諸国に対して深く反省する歴史観の持ち主だったのだから、不思議といえば不思議なことではある。
先の戦争に対する反省の言葉がない安倍首相の歴史観が、現在の日韓関係の深刻な対立の原因ではないかともいわれている。植民地にした国とされた国との関係を、「足を踏んだ人」と「踏まれた人」との関係とよく似ているとして論じることがあるが、足を踏んだ側が反省をしないのでは、踏まれた側が怒るのも無理はない。
韓国がついに軍事情報協定まで破棄
日韓の関係はますます悪化し、8月23日、韓国政府は日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIА)を破棄すると通告した。昨年10月の元徴用工問題をめぐる韓国大法院判決に端を発した日韓の紛争が安全保障協力にまで及び、協定維持を求めてきた米国が、あらためて韓国の決断に「失望」を表明した。
米国にとっては、植民地時代の日韓の軋轢にはほとんど関心がないが、安全保障協力にまでひびが入っては、黙っているわけにもいかないのだろう。
米国の失望は韓国だけに向かっているが、今回の日韓の軋轢は、報復合戦がエスカレートした結果であり、そもそもの発端は日本側が仕掛けたものだから、韓国だけが責められるのは理に反する。足を踏んだ側がするべき礼があろう。
唯一の被爆国がなぜ核兵器禁止条約に加盟しないのか
ところで、ヒロシマ、ナガサキがあとになったが、原爆忌でも動きがあった。2年前の原爆忌の直前に国連で122か国が賛同して採択された核兵器禁止条約に、日本政府は核所有国と一緒になって反対し、論議にも加わらなかった。原爆忌の首相の挨拶にも、核兵器禁止条約への言及はひと言もなかった。
昨年の原爆忌では、広島市長の平和宣言には核禁止条約に触れた部分はなく、長崎市長の平和宣言では、「被爆者の願いをなぜ無視するのか」と対応が異なった。ところが、今年の原爆忌では、長崎だけではなく広島市長の平和宣言でも「核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい」と求める部分があり、日本政府の見解だけが孤立した感があった。
安倍首相は、原爆忌の被爆者との懇談でも「核所有国との橋渡しに努力したい」と語っただけだった。被爆者たちは「橋渡しなんてごまかしだ」「どこの国の政府なのか」と激しく迫ったが、安倍首相は何とも応えなかった。
「巨悪は眠らせる」検察庁は、森友学園事件を全員不起訴に
安倍首相の昭恵夫人が名誉校長を務める森友学園に国有地を8億円も値引きして払い下げたり、公文書を改ざんしたりした財務省の「犯罪」に対して、原爆忌の8月9日、大阪地検特捜部は、大阪第一検察審査会の「不起訴不当」の議決にしたがって再捜査を行った結果、またも全員不起訴と決定した。
「巨悪は眠らせない」と言ったのは、確か、伊藤栄樹検事総長だったと思う。巨悪とは本来、政治家や高級官僚たちの犯罪のことだ。しかし森友学園事件では、払い下げを受けた側の森友学園の籠池理事長夫妻のほうは、詐欺罪などで逮捕して1年近くも拘留しているのに、「巨悪」のほうは全員不起訴だというのだから、驚く。
しかも国会でウソの答弁をしたり、公文書を改ざんしたりした財務省の佐川宣寿・元理財局長(改ざんの功績で国税庁長官に昇進)のほうは、国会で追及を受けた際に「捜査当局の捜査を受けているので」という理由で、証言を拒否していたのである。
これでは、捜査当局は、証言拒否にまで利用されたうえ、最後は全員不起訴に終わるのなら、一体、誰のために存在する機関なのか。
捜査が終わったというのなら、当然、佐川氏らを国会にもう一度呼んで、証人喚問をしなおすべきだろう。捜査当局が政治家や高級官僚の犯罪を見逃すようなら、民主主義社会は存在できない。
昭和天皇の戦争責任、「言葉のアヤ」とは?
8月の戦争を考える月、NHKの歴史を掘り起こす番組は例年なかなかのものだが、今年も見るべきものが多かった。なかでも8月17日夜のNHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録『拝謁(はいえつ)記』~」は圧巻だった。
初代の宮内庁長官、田島道治氏が昭和天皇との会話を詳細に書き留めた文書が田島家に残っており、NHKがその文書を田島家から提供されたというのである。
見終わってすぐ、私の友人から「NHKらしい皇室礼賛の番組だったね」という感想が寄せられたが、私はそうは思わなかった。恐らく、後世に残す言葉として「戦争への反省」とか、自己弁護としての「下剋上」の社会であったことなどを繰り返し述べたのを、当時の吉田茂首相らに断わられた経緯が分かり、むしろ、昭和天皇の自己弁護を強調する人間的な弱さが伝わってくる内容だったといえよう。
そこで想い出したのが、44年前、東京・内幸町の日本記者クラブで行われた昭和天皇の記者会見だ。私も当時、朝日新聞社の幹部として出席した。そこで、「戦争責任についてどう思うか」という質問に対して、昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては、お答えが出来かねます」と応えたのである。
そのときは「言葉のアヤとは?」と問う再質問もなく、「なんだ、はぐらかされただけか」とがっかりしたことを想い出したが、今回の田島元宮内庁長官の記録から、「そういうことだったのか」と、おぼろげながら分かった。
しかし、いかに下剋上が激しい社会だったとしても、下剋上を許したのは昭和天皇であり、戦争責任がなくなるわけではない。あの記者会見の時に、「下剋上」や「反省」などの言葉をふんだんに使って、思いのたけをご自分の言葉で存分に話されたらよかったのに、とあらためて想った。