第104回:みんな、どこへ行ってしまったのだろうか?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 『遠くへ行きたい』というテレビの旅番組、ずいぶんな長寿番組で、いまも続いているらしい。
 ぼくは、最近はまるで見てないけれど、かつては毎回楽しみにしていた。永六輔作詞・中村八大作曲の黄金コンビの主題歌も、とても素敵だったな。ジェリー藤尾さんや加藤登紀子さんなどが歌っていたのを記憶している。

   知らない町を歩いてみたい
   どこか遠くへ行きたい……

 数十年も昔、ぼくがよく見ていたころの『遠くへ行きたい』は、最近のテレビの演出過剰(?)な旅番組とは、まったく違ったテイストを持っていたような気がする。永六輔さんのふらり旅の様子は、ほんのりと優しいそよ風みたいないい気分にさせてくれたものだ。
 現在は多分、“人とのふれあい”という感じを過剰なほどに演出しなければ、もう旅番組そのものが成立しなくなっているのではないだろうか。それほど、地方は疲弊している。
 遠くへ行っても、寂れ切って過疎化した町や村ばかりじゃ絵にならないからなあ。

「閉店」の貼り紙が目につくさびしさ

 近所を散歩していたら、時々利用していた写真屋さんに「閉店のお知らせ」が貼ってあった。ああ、また閉店か…。
 なんだか最近、ぼくが住んでいる辺り、妙に「閉店」が目につくようになった。
 この写真屋さんは、写真はもちろんのこと、ビデオテープやカセットテープをDVDやCDにダビングしてくれたし、スマホの写真のプリントももちろんOK。義母が大事にしていた古い写真の焼き増しを頼んだこともある。忌中続きだった我が家の「喪中はがき」の印刷も、この店でやってもらった。さまざまな作業ができない高齢者にとっては、とてもありがたい存在のお店だったのだ。
 ふたりの娘の就活用の履歴書写真も、確かここで撮ってもらったはずだし、最近、ぼくのパスポートの再申請用のポートレートも、この写真屋さんのお世話になったのだ。だから、「26年間のご愛顧に感謝いたします」という貼り紙が、とてもさびしい。
 そういえば、数日前、近所の八百屋さんも閉店した。駅前のケーキ屋さんもなくなったし、いつの間にか界隈の個人商店が、次々に姿を消していく。ぼくの行きつけだった居酒屋も蕎麦屋も消えてしまった。おかげで今は、行きつけの居酒屋は1軒だけになってしまった。
 その上、コンビニ「ローソン」も今月いっぱいで閉店とか。他のコンビニが近くにオープンしたから、過当競争という面もあるのだろう。今朝の新聞には、コンビニの店舗数が初めて減少している、との記事もあった。

誰のための街づくりか?

 ぼくが住んでいるのは、東京多摩地区のわりと大きな市なのだが、我が家は街の中心部からはかなり離れている。鈍行しか停まらない小さな駅の周辺が、なんだかさびしいことになっているのだ。
 逆に、市の中心部には巨大なビルが立ち並び、大きな商業施設が幅をきかせている。典型的な「人からコンクリートへ」の再開発。
 かつてはこの街の中心部だって不思議な魅力を持っていたのだ。駅のすぐ前が、まるで“焼け跡闇市”ふうのたたずまい。
 立ち飲み屋、大衆食堂、ラーメン店、居酒屋、立ち食いそば屋、おでん屋、焼き肉屋、八百屋、魚屋、小さな洋品店、古本屋、薬屋、靴屋、何でも屋みたいなよく分からない店、乾物屋……、ありとあらゆる小さな店のごった煮の風景。
 まあ、競馬場が近いということもあったのだろうけれど、歩いているだけで楽しくなるような雑然とした路地の商店街だったのだ。
 それが、例によって「駅前再開発」の巨大な波が押し寄せ、あっという間に楽しいおもちゃ箱のようだった商店街は、取り澄ました巨大ビルと横文字の名前の付いたモールとやらに変貌した。フランス語だとかで、舌を噛みそうなワケの分からない名称だ。
 その施設には、誰もが知っているような全国チェーンの店舗ばかりが入っている。かつてここで元気な声を張り上げていた個人商店の主たちは、どこへ行ってしまったのだろうか?
 再開発で、周辺から買い物客をかき集め、発展の起爆剤にしようとしたのだろうが、これが異様に不便なのだ。
 住民、ことに高齢者や障がい者、それにベビーカーの親子や自転車などには極めて不親切な構造だ。横断歩道まではかなり距離があって、ずいぶんな遠回り。向こう側にわたるには、陸橋(階段)を上らなければならない。車優先で大きな駐車場を地下に造ったために、人間は後回しにしたのだろうか。

「再開発」で破壊される街

 街は変貌していく。
 東京都武蔵野市の吉祥寺は、いつだって「住みたい街の人気ベスト10」に顔を出す。この人気の秘密のひとつは、それこそ“焼け跡闇市”ふうのハモニカ横丁である。細い路地がまるで迷路のように広がる、ちょっと別世界みたいな異空間。これが若者にバカウケ。むろん、古くからの呑兵衛たちだって、懐かしさを感じて立ち寄る。個性のある個人商店や飲み屋が軒を連ね、大人気になっているのだ。
 変貌の形を、ただ巨大なビルと全国チェーンの店舗に任せるのではなく、地元の人たちが知恵を出し合って、古いたたずまいを生かした街を創り上げてきたことが、人気を呼んだわけだ。
 ぼくの住む街の中心部だって、かつては吉祥寺に負けない猥雑な面白さを持っていたのだ。それを市の行政は、再開発名目で徹底的に破壊した。
 確かに駅前だけは賑やかになったかもしれない。しかしそれは、中心部から離れた周辺地域の疲弊を伴う。

ぼくのふるさとも…

 ぼくのふるさとは、秋田県の中では中規模の町だ。ぼくが子どもだった数十年前は、駅からまっすぐ南に2キロほど延びた道路の両側に、たくさんの商店が軒を連ねていた。しかし今では、完全なるシャッター街だ。歩く人とてまばらだ。
 このかつてのメインストリートは、旧い町の名残でかなり狭い。クルマ社会にはふさわしくない。そこで、その道路に並行して東側に片側2車線の(それもかなり広めの)バイパスが出来た。当然のようにバイパス沿いには、全国どこでも見かけるおなじみの大規模チェーン店が林立した。
 とくにすごいのは「イオンモール」だ。広大な駐車場を持ち、中にはありとあらゆる商品が溢れ、映画館、レストラン街、ゲームセンターまでが完備されている。商品は東京と変わらない。休日には、子ども連れでごった返す。他に娯楽施設のない田舎町、1日ここで遊べるのだ。
 個人商店が太刀打ちできる相手じゃない。あっという間に、町の中心部から人が消えた。
 これが、現在の多くの地方都市の実態である。だけど、ぼくがいま住んでいる東京郊外の街だって、例外じゃない。

 アベノミクスによる“トリクルダウン”で日本中が活性化し、経済はどんどん上向きになる。そんな、ぼくらが聞かされてきた「安倍神話」の正体は、デカいものが儲け、小さなものは沈んでいくという、あまりに分かりやすい結末だった。
 ぼくは今でも、かつて民主党が掲げた「コンクリートから人へ」というスローガンは秀逸だったと思っている。
 安倍自民党が標榜した「アベノミクス再開発」の無惨な結果に、そろそろみんな、気づいてもいいころじゃないだろうか?

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。