第85回:“愛”と“別れ” ――映画『精神0』の公開を控えて(想田和弘)

 新作ドキュメンタリー映画『精神0』(2020年、観察映画第9弾、128分)のワールドプレミアを数日後に控え、そわそわとした日々を送っている。

 まずは今週金曜日のバレンタインデーにニューヨーク近代美術館(MoMA)でお披露目され、来週はベルリン国際映画祭で上映される。日本での劇場公開は5月上旬から予定されており、マスコミ向け試写も都内で今週から始まる。

 『精神0』は、拙作『精神』(2008年、観察映画第2弾、135分)の続編である。といっても、『精神』とはかなりテーマは異なる。

 というのも、精神科診療所「こらーる岡山」に集う患者さんたちの世界にカメラを向けさせてもらった『精神』と違い、今度の主人公はこらーるを主宰しておられた精神科医の山本昌知医師と、長年連れ添ってこられた妻の芳子さんだからである。

 2018年3月、82歳になる山本医師が突然引退されると聞いて、急きょカメラを回し始めた。そのとき真っ先に僕の頭に浮かんだのは、患者さんたちはいったいどうなってしまうのだろうという疑問である。

 当事者本位の医療を掲げ、患者さんたちが地域で暮らしていけるようにサポートしていくことを目指してこられた山本医師は、患者さんたちからの信頼が厚い。というより、多くの患者さんにとって、ある意味で彼らの命をつないでいる「生命線」のような存在である。

 もちろん不老不死の人間などこの世に存在しないのだから、みんないつかは山本医師とお別れを言わねばならない。どうにも仕方がないことなのだが、実際にお別れするのは、文字通り生死にかかわる問題であろう。

 しかし考えてみれば、そういう「大切な人との別れ」の苦しみは、実は患者さんたちに限らず、僕も含め、あらゆる人間が避けることのできないものである。山本夫妻にも、もちろん避けられない。なぜなら人間は必ず老いるし、いつか必ず死んで別れなければならない日がくるからだ。にもかかわらず、私たちは愛し合い、共感し、協働しなければ生きてゆけない。ここに大きな矛盾がある。だけど私たちにはその矛盾をどうすることもできない。

 そんなことを考えながら、僕らはこの映画を作った。

 そういう意味では、これは「別れ」についての映画である。

 同時に「愛」についての映画でもある。

 その映画をいよいよ、世に問うときが来た。観客の皆さんがどう受け止め、何を感じてくれるのか。

 期待だけでなく不安もあるので、ちょっと苦しい。不安を抱いて苦しくなるくらいなら、映画など作らなければよいのに。そう、毎回思うのだが、結局は作らずにいられない。

 それも僕自身が抱えている矛盾である。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。