4月12日にベルギー在住の岸本さんとマガジン9スタッフでウェブをつなぎ、新型コロナウイルス(以下、コロナ)危機によるヨーロッパの状況、そこから見えてくる日本を含めた世界の課題について伺いました。岸本さんからのお話はコラム「番外編(上)」にまとめています。
この「番外編(下)」では、マガジン9スタッフとの質疑応答という形で、さらに詳しく個別のトピックについて伺った内容を掲載します。
※コラム「番外編(上)」とあわせてご覧ください
【岸本聡子さんとマガジン9スタッフの質疑応答】
――いま欧州各国がロックダウンしていますが、ベルギーでは緊急事態宣言の発出はしていないと伺いました。緊急事態宣言なしに、どのような形でロックダウンが実施されているのですか。
岸本 欧州ではフランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどが緊急事態宣言を出しています。これにより、政府は危機に対応するために収用や規制の権限を行使できます。期間については、フランスは2カ月間限定、ポルトガルは4月16日に15日間の延長を決めるなど、状況に応じて更新されています。一方、緊急事態に乗じて、政権が権力を強化しようという動きも起きています。それが前回のコラムでも触れたハンガリーです。
現在のハンガリーの政治環境は日本とも似ていますが、議会の過半数を与党が占めていて、強権的な政治が続いています。独裁的なオルバーン首相はコロナ対策を理由に、緊急事態宣言を無期限で延長できる法案を可決させました。目的や期限を限定した非常事態宣言と、危機を利用して政府が民主的な機能を凍結させて無制限に権限を掌握し、言論抑圧のような目的から外れたところにまで権利を行使するのかでは、大きな違いです。
オランダやベルギーでは緊急事態宣言を出していませんが、実質的なロックダウンをしています。既存の公衆衛生法や治安安全法で対応し、国民には、なぜこうした措置が必要なのかということを、日々説明しています。「日本の緊急事態宣言では強制ができない」という話をよく聞きますが、それが一番重要な論点だと思えません。
国が科学的根拠に基づいて、どのような方法で危機を回避しようとしているのかを丁寧に説明し、経済補償をきめ細かく迅速に行いながら、国民の安全のために協力を要請することが核心ではないでしょうか。少なくとも、ベルギーやフランスなどでは政府の措置に対する不満はほとんど聞かれません。
――日本では経済支援の話をすると、「財源はどうする」「日本は借金が多くてお金がない」という意見が必ず出ます。今回のコロナ危機での経済補償への財源については、どのように考えていますか。
岸本 基本的には、当面の財源は通貨発行か債権発行になるでしょう。れいわ新選組代表の山本太郎さんも力説しているところですが、日本はいくら借金があるといっても、自国の通貨(国債)がメインですし通貨発行権もあります。EU加盟国は共通通貨(ユーロ)のため、たとえば世界金融危機時のギリシャのように債務危機に瀕しても通貨を刷るわけにもいきません。ギリシャはEUから脱退できすることもできず、債権国の言いなりになって、国が文字通りバラバラに壊れていきました。
日本の場合は、東京オリンピック開催のお金があっても原発被災者支援に使うお金はない、高額の武器や戦闘機をアメリカから買うお金があっても教育にまわすお金はない――これは借金うんぬんの前に、「政治の優先順位」の問題です。そのことを「財源はどうなる」論者に何度でも言い続けましょう。
通貨発行権があるアメリカも日本も、いままでさんざんお金を刷ってきているわけです。2008年の世界経済危機後は、こうしたお金が民間銀行の救済に使われました。金融危機を引き起こした金融機関を救済し、それが私たちに何も還元されなかったどころか国民の借金になりました。そして、それを返済するために緊縮財政によって、教育、文化、社会福祉、医療、公共サービスが危険なまでに圧縮されたのです。支配層が作った借金を国民が強制的に背負わされているのだから、私たちが債務の心配をするなんて全くご免です。
欧州中央銀行(ECB)は、すでに経済刺激策として追加的に7500億ユーロ(約88兆円)をユーロ、企業債の購入で調達、アメリカは200兆円、ドイツは129兆円規模の経済刺激策、財政支出などと報道されています。日本の緊急経済対策も108兆円規模だと海外でも大々的に報道されていました(実際の財政支出は11兆円程度に過ぎないとも言われていますが)。そういった経済刺激策のお金の実に多くが、労働者や本当に必要としている中小事業者などを飛び越えて、私たちのあずかり知らない大企業や金融市場に流れ、株式売買などの投機経済を支えるほうに流れてしまいます。
2008年の世界金融危機の苦い経験から学び、経済刺激策や大企業・産業救済に明確な条件を付けなければいけないという声が、市民運動や政策立案者の中でも高まっています。もうすでに必要以上に潤っている人たちに、国民の税金や未来の借金を使う必要はありません。明確な条件というのは、わかりやすいところで言うと、企業は救済されたお金で株主配当をしたり自社株を購入したりしてはいけない、そして租税回避地に登録している企業は救済の対象にしない、といった内容です。これらは実際にデンマーク政府が決めた政策です。
――こうした危機が起きたときに、「強いリーダーシップ」を求める声が強権的な政府を生みだしたり、民主主義を損ねたりすることを危惧しています。
岸本 アメリカやブラジル、トルコ、インド、イギリスなどの政権を見れば、民主主義をないがしろにする「強いリーダーシップ」を求める傾向は、いま突然に始まったことではないと分かります。日本の説明責任を欠いた強権的な政権も同じ線上にあると思います。しかし、迷走する首相や政策を批判する人をけしからんとして、「がんばっているのだから応援しよう」というのは、日本独特の狂気のように見えます。批判は民主主義の出発点ですし、権力を監視するのは国民の責任です。無能な政府を妄信することで、命にかかわる被害を受けるのは国民です。
日本の場合、政治が国民からの信頼を取り戻していくことが一番大きな課題ではないでしょうか。税金が自分たちのために使われているという実感がありませんし、事実程遠い。政治への信頼のなさを修復していくのは、ひと世代ほどの時間がかかるプロジェクトですが、どこかで始めなければいけないですね。
このコロナ危機でいえば、政治家が科学者や専門家の意見をきちんと聞いていないことも不信感につながっていると感じます。ほとんどの政治家は感染症の素人なんですから。高い専門性をもったチームが背後にいて、的確な情報と根拠に基づいて方針を立てて、それを国民にきちんと説明する能力をリーダーシップというのだと思います。
科学や専門性を軽視、否定するというのは、右派ポピュリズムの最大の特徴のひとつです。気候危機についても同じことが言えます。「強いリーダーシップ」がダメだというのではなく、私たちが求めているのは「質の高い、説明責任を伴ったリーダーシップ」なのだということを、しっかり伝えていくべきだと思います。
――コロナ危機後、不安定な雇用形態を変えていくために、何から始めたらいいのでしょうか。
岸本 まず医療保健や保育・介護などケアの仕事をいちばんに改善しないといけないと思います。社会に不可欠であり、専門性や精神的・身体的な労力を要するにもかかわらず、大切にされてこなかった分野です。家庭や地域でケアを支えてきたのは多くが女性で、その賃金も条件もまったく不十分です。この状況を全面的に変えて、ケアの分野を底上げするだけでなく、コロナ危機後の社会の中心にする必要があります。
非正規雇用を正規雇用化していくことも必要です。自治体や公的機関の非正規雇用が多くいて問題になっていますが、公的機関から率先して正規雇用化を進めていくべきです。アウトソーシングをやめて職員を正規化することで全体のオペレーションコストを下げた例が、世界中から報告されています(※)。官民問わず最低賃金の引き上げは世界共通の課題です。
※岸本さんによるTNIの最新調査レポート「The Future is public: towards democratic public ownership of public services」(英語)が5月13日に発表される予定です
つまり、これから雇用の分野でやるべきことは、労働市場の規制をどんどん緩和してきたこれまでとは反対の方向に向かっていくことです。新自由主義は労働費を単にコストとみなしますが、安定的な雇用はむしろ社会の富をつくることにつながります。労働者を守ることが社会全体の利益になる、そういう大きな転換が必要です。
――これまでのコラムでも、ミュニシパリズムの話を書いてくださっていますが、今回のコロナ危機のなかで、自治体の可能性についてはどう感じていますか?
岸本 あまりにも国が動かないから、自分たちにとって一番身近な政治であり、公共サービスを直接提供している自治体から民主主義を求めていこうというのがミュニシパリズムの精神です。しかし、このコロナ危機によって、国家にしかできない役割があることも私たちは再認識することになりました。
たとえば、大規模な経済補償や財政出動、労働政策、税制、国境をこえた人道的な支援は、国にしかできないし国がやるべきものですよね。感染症の予防や研究、ワクチンの開発もそうです。そして私たちは納税者、有権者、主権者として、しっかり国を監督し批判し、政治家や議会に仕事をさせなくてはいけません。
一方で「自治」というものが、政治の基本だという思いは変わりません。政策が生活を変えていくという実感は地方政治の方が持ちやすいし、税金が自分たちの生活のために使われているという実感が市民と政治の信頼の土台です。
私たちが主権者として代表者を送ることで政治が変わるんだ、という具体的な経験の積み重ねがないままでは、民主主義は深化しないと思います。コロナ危機前も後も、草の根の民主主義の練習場として、実践の場として、地方自治がもつ重要性が変わることはありません。
――コロナ危機で得た教訓から、世界がいい方向に転換していってほしいとは思うのですが、3・11のあとでさえ日本社会があまり変わらなかったことを思うと不安もあります。
岸本 この危機によって何かしらの変化が起こるとは思うのですが、それがどの方向に、どう変わるのかは未知数ですよね。おおまかには3つの道があるように思います。
ひとつは、社会的な公正と気候危機を回避する持続的な社会に向かう道。私はこれを求めています。もうひとつは、強権的な政治が排他主義や監視を強めていく社会に向かう道です。そして最後に、コロナ危機以前と同じく労働と自然環境を搾取する新自由主義・グローバル資本主義が格差を拡大しながら破局まで行く道……これは、子どもたちやその先の世代まで犠牲にするシナリオです。
世界を見渡してみると全く楽観はできません。世界の大国の多くで右派ポピュリスト、気候変動懐疑主義や反環境主義、宗教原理主義、排他主義のリーダーが支配的な力を持っていて、世界的・歴史的な挑戦であるパンデミックに立ち向かうには最悪の条件です。すでにGAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)筆頭のビッグテックは、個人データの蓄積で市場の独占的なプレーヤーになっているだけではなく、国家とビッグテックが結託した監視型資本主義が粛々と進んでいます。
日本の場合は、どんな方向にも進む可能性(危うさ)をもっていると思います。現在の政府を見れば、残念ながら心もとないのは確かです。しかし、いまの政治のあり様は「これまで誰を選出してきたか」という国民の政治力の結果である事実からは逃れられません。コロナ危機で、いきなり政治家の政治力が高まるわけではないですよね。
ただ、このコロナ危機で、国民の不満や不信が可視化されてきたのは希望だと私は思います。不満や怒りを匿名の文句に閉じ込めず、集合的な要求、そして政治的な力にしていけるかどうか。とりもなおさず、社会運動、知識人、政党・政治家、地方自治、メディアの力量が問われていて、自分もその責任の片鱗を痛感しています。