第36回:コロナ禍、さらに広がる、メディアは一色に(柴田鉄治)

 新型コロナウイルスの感染拡大は、収まるどころか、ますます広がっている。対応が遅れた安倍政権も4月7日には緊急事態宣言を、東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に発し、その後、それを全国に拡大した。
 なにしろ、人の動きを通常より8割減らせというのだから、経済活動も、文化活動も、スポーツの大会なども軒並み中止や延期である。サラリーマンも、慣れない「テレワーク」自宅勤務に、悲鳴をあげている。
 メディアも、コロナ禍の報道一色のようになっている。とくにテレビがそうだ。NHKのニュースもそうだし、民放のワイドショーなどは、感染症の学者をキャスターのように使って、毎回、同じような番組を放送している。
 きょうは感染者が何人増えました、死者が何人になりました、の繰り返しである。日本国内は、都道府県ごと、国際的には国ごとに報道するので、送り手側では変化を強調していても、受け手側から見ると同じトーンの繰り返しに見えてしまうのだ。
 それにしても、その報道番組自体のキャスターが「新型コロナウイルスに感染しました」などと報じられているのだから、テレビ局の苦労も大変なものだろう。
 テレビに比べれば、新聞の報道のほうが変化に富んでいるが、取材に出歩けない苦労は、もっと大きいかもしれない。テレビは過去の番組の再放送という手があるが、新聞では過去の記事の再録はできないから、より苦しい。
 しかし、情報の受け手の側から見ると、外出できなくて家にいるのだから、メディアへの期待は普段より大きくなる。恐らくメディアへの受け手からの注文も増えていることだろう。

政府から1人あたり10万円支給、公明党が頑張る?

 人の動きが制約されたのだから、困っている人も多いだろう。政府は、全国民に1人あたり10万円を支給することを決めた。安倍首相らは、条件付きで1件30万円の支給を考えていたが、公明党が「無条件で1人10万円」案を押し通し、安倍首相らが珍しく引いたのだ。予算案を組み替えなければならないというのに、である。
 国民の批判などは気にもかけず、何でも押し通して責任も取らない安倍首相としては、珍しい対応だが、公明党もそれだけの力があるのなら、戦後一貫して憲法違反だとしてきた集団的自衛権の行使を安倍政権が閣議決定で引っくり返し、日本を「戦争のできる国」に変えようとしたときに、断固反対を主張してほしかった。そうすれば、「平和の党」の看板も生きてきただろうに、と残念でならない。
 ところで、このコロナ禍はいつまでつづくのか。緊急事態宣言の効力は5月6日までだが、それで収まるとはとても思えない。しかし、どんどん先延ばしすると、1年延ばした東京オリンピック・パラリンピックにまで影響することが避けられなくなる。
 まだまだ何が起こるか分からない。注意深く見守るほかあるまい。

コロナ禍にも「何かよいことが起こる」可能性はないのか

 新型コロナウイルスのせいで何もかも中止になり、いささかうんざりしているなかで、何かよいニュースはないかと探していたら、あったのだ。一つは、4月9日の報道で「2017年にシリアの政権軍が化学兵器のサリンを使った」と化学兵器禁止機関(OPCW)が発表したことだ。
 これはよいニュースとはいえないが、国際条約で禁止されている化学兵器を使う国があるなら、生物兵器も使われる可能性があり、コロナ禍が「生物兵器による戦争」でなかっただけ、まだましだと思ったというものだ。ウイルス兵器を使った戦争だったら、悲劇はこんなものでは済まないだろう。
 もう一つは、同じ4月上旬、英国のブラウン元首相が「コロナと対処するため、強制力を持った一時的な『世界政府』を樹立するほかない」と語ったというニュースだ。私は戦争をなくすために「世界中を南極にしよう」と叫び続けている人間だ。世界中を一つの国家にすれば、軍隊も要らなくなり、戦争もなくせるという理屈からだ。
 「そんな非現実的なことを言ったって」と反論されてきたが、コロナとの闘いで、一時的でもいいから世界政府ができれば、戦争のない世界に一歩、近づくと思う。

安倍政権の沖縄いじめ続く

 政府がこのコロナ騒ぎのなかで、沖縄の辺野古基地の埋め立て工事の設計変更を沖縄県に申請したことを、4月25日の朝日川柳が痛烈に皮肉った。「どさくさに設計変更置いて去る」「自らの軟弱地盤悟られよ」と。
 この問題は、これまでにも何回か書いてきたが、日本の0.6%の面積しかない沖縄に日本の米軍基地の74%があるという状況なのに、そこへさらにまた、辺野古に新しい基地をつくろうというもの。政府の沖縄の民意無視はひどいものだ。その辺野古が軟弱地盤で埋め立てもままならないことが分かり、時間も経つ、予算も増える、そんなことも無視してまたまた設計変更だ。
 安倍首相の頭の中の「日本」には、沖縄は入っていないのかもしれない。

今月のシバテツ事件簿
コロナといえば、いまはウイルス、昔は自動車
 コロナと言えば、いまはウイルスのことを指すが、ひと昔前ならトヨタ自動車の小型車を意味しただろう。あれは、私が米国で、アポロ11号の月着陸を取材していたときだから、1969年の夏のことだ。
 米国でトヨタのコロナと日産のブルーバードに欠陥が見つかったのに「こっそり修理しているのはずるい」と報じられ、日本でもトヨタ、日産だけでなく、スバルも、ホンダも、三菱も、と「欠陥車騒動」と呼ばれる新聞の大キャンペーンが展開された。
 自動車産業は、新聞の大スポンサーである。「新聞は日本の自動車産業をつぶす気か」と怒鳴り込んできたが、当時の新聞は「車に欠陥があれば走る凶器だ」と一歩も引かず、キャンペーンを続けた。やむなく日本の自動車産業は、米国より一足早く航空宇宙産業並みの品質管理の技術を導入したため、日本の車が「世界一」になったのだ。
 新聞キャンペーンの成功物語として、歴史に残っているヒトコマである。
 この話は、昨年の「今月の論点」でも一部、紹介したが、コロナという名前が、とんでもないところに飛び火したので、もう一度、紹介した。
 トヨタの優れた小型車の名前だったコロナが、いまは新型ウイルスを指していることに、トヨタ自動車の関係者は、いまどんな気持ちでコロナ禍を見ているのだろう。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。