東日本大震災からまもなく10年が経とうとしています。原発事故が起きた福島県には、いまだに人の住めない場所もたくさんあり、さまざまな形で被害は続いています。しかし、時間が経つ中で記憶が薄れてきた人、もともとよく知らないという人もいるのではないでしょうか。震災や原発事故について学びたいけれど、ぶ厚い本を読む気にはなれない……そんな人におすすめなのが「映画」です。
福島県福島市の映画館「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんは、3・11後、原発や震災をテーマにした上映企画を粘り強く続けています。阿部さんを案内人として「いま観るべき映画」を毎回ピックアップしてもらい、そのポイントを語ってもらう連載です。
『たゆたいながら』
〈後編〉
原発事故の後遺症
ウネリ 映画は中盤以降、自主避難した人と、避難しなかった人との間に生じた「亀裂」にスポットを当てていきます(〈前編〉はこちらから)。
阿部 ここが難しいところです。
ウネリ そもそもなぜ、中通りの人たちの間に亀裂が入るのでしょうか。
阿部 自主避難者がよく言われたのは、「福島から出て行って、避難先で風評被害を煽っている」という批判です。「低線量被ばく」のリスクの捉え方は人によってさまざまです。「全く問題ない」と思っている人からすれば、自主避難者の行動は理解できません。また、「不安はあるけど住み続ける」という道を選んだ人は、日常的にはその不安を見ないようにして暮らしているのです。そういう人たちからすれば、自主避難者は目を背けたい現実を突き付けてくる存在なのでしょう。
ウネリ この問題の難しさを示すために、周一監督は作品の中盤でもう一度、阿部さんの上映会での発言を紹介しているんですよね。
阿部 まだ出てきましたっけ……。
映画の後半、上映会で阿部さんが語るシーンが再び挿入される。
「原発は是か非かという、脱原発をめぐる論争は、被ばくの問題に比べたら非常に扱いやすい。すっきりした喧嘩別れができるんです。でも被ばく(や自主避難)の問題について語ると、気づいていないうちに相手の人生観や人格までも傷つけかねない。原発事故の後遺症という意味では最も根深い問題になるのではないかと思いました」
ウネリ 傾聴に値する言葉だと思いました。こんなシーンが思い起こされました。
先述した障がい児がいる家庭のお母さんが、自主避難者への気持ちを率直に語る。
「行きたくても行けない人もいるんだよ。自分たちはただ安全だけを求めて(避難した)みたいなことを言うけど、じゃあ私たちは安全を考えなかったただのバカなのかって。福島に残ったただのバカなのかって。そうじゃないよね。子どものことだって心配してるし。放射能のことだって心配してる…」
ウネリ 一方、自主避難した人たちには、行政から十分な支援を受けられないことへの憤りがあったと思います。この作品が撮られた後のことですが、福島県は2017年3月に自主避難者への住宅無償提供を打ち切りました。「私たちを忘れるな」という行政に対する自主避難者の怒りの声が、県内に残る人から「わがまま」と見られてしまった側面もあったのではないでしょうか。行政が、避難した人と残った人との溝を深めてしまっている状況でもあります。
周一監督の母。監督は実母にもカメラを向け、息子を避難させた当時の心境を聞いた(阿部周一監督提供)
亀裂を修復するには?
阿部 避難しない道を選んだ人、あるいは避難したくてもできなかった人たちは、自主避難者に対していい感情を抱けない場合もありますよね。だけど私が声高に訴えたいのは、「最初はみんな一緒だった」ということです。
あの時、福島のどんな家庭でも「どうする?」という相談を一回はしたはずですし、つっこんだ家族会議を開いた人たちもいるはずです。発災当初のスタートラインはみんな同じだったんです。そこからたまたま、結果として、家族の理解とか、経済力の有無とか、あるいはうちのように、経済力はなくても夫婦の見解が一致したとか、そうしたことで選択が変わっていった。そこを理解できれば、自主避難したのか、しなかったのかというレベルに囚われない問題意識で語り合えると思うんです。
ウネリ 『たゆたいながら』のような映画の役割も大きいんでしょうね。先ほどから紹介している上映会には、映画に出演した障がい児のお母さんも来ていました。周一監督のカメラがとらえています。
撮影時は京都に自主避難した人びとへの怒りを口にした障がい児の母が、上映会ではこう語った。
「自分が知らなかった京都の人たちに対してものすごい怒りがこみあげてたんですけど、あらためて(作品を)見た時に、自分の中の怒りがおさまってきていて。本当に、みなさんおっしゃるように、人それぞれの考えがあって……」
ウネリ 胸襟を開いてお互いの事情を知れば、分かり合えるのではないか。亀裂はなくなるのではないか。光が見えた気がしたシーンでした。
阿部 私がいちばん印象に残っているのは、このシーンです。
上映会には、震災当時、周一監督の母校に勤めていた女性教諭も参加していた。女性教諭は時折涙をこらえながら、映画の感想をこのように話した。
「うちは私と子どもの2人家族で、子どもには本当に申し訳なかったけど、私は3年の担任でもあり、もうこの運命を受け入れようと思いました。『逃げない』と私は決めました。逃げられない子がいるだろうから、そういう人に寄り添って生きるという道を選択して、『そういう選択をしちゃった親の子どもでごめん』という感じで。私は一度も子どもに避難ということは言っていません。(映画を観て)子どもに『ごめん』って思って……。まだ揺さぶられる自分がいるんだな、って思いました」
阿部 こういう言葉を引き出せただけでも、周一監督はこの映画を作った甲斐があると思います。この先生は自分の良心や子どもに対する自責の念をずっと封印していた。自分は数十人の担任の教師として振る舞わなくちゃいけない。その代わり自分の子どもに対しては、本当にしてあげたいことを抑えたわけでしょう。それはやはり、無理をしてやってきたことだったと思うんです。
その時の感情が、震災から数年たった上映会の場で、ある意味引きずり出された。「忘れていたはずだけど、自分はあの時のことを清算しきれずに生きていたんだな」と自覚できた。それは一種の心の解放だと思うんです。荒療治かもしれないけど、あの先生が自分の気持ちと向き合う契機を、この映画は与えたんですよ。
ウネリ そうか……。私は福島の「中通り」に住む人びとが押しつけられたジレンマを、全国の人がもっと知るべきだと思っていて、この映画は格好の教材になると考えていました。ですが、むしろ中通りに住む人たち自身も観るべき作品だということですね。
阿部 この映画を福島市で上映したら、反発する人も多いと思います。大方の人たちはもう終わったことにしたいと思っているわけですから。「まだこんなことやってんのか」とか、「結局健康被害は起きていないじゃないか」とか、怒る人もいると思います。甲状腺がんの患者数が増えているのではないかという問題はありますが、多くの人たちは「他人事」で済ませてしまっています。
でも、あの時に「おかしいけど、しょうがないよな」と自分を偽って事を済ませた人の中には、過去の出来事として片付けてしまったようでいて、実はそうできていない人がたくさんいると思っています。私はそういう人たちに語ってもらいたい。清算できない気持ちを抱え込んだまま生きていくよりも、どこかで一度それをあぶり出した方がすっきり生きていける人もいるんじゃないかと思います。
ウネリ ひとによって心の在りようはさまざまで、「そっとしておいてほしい」という人もいると思います。一方で、あの出来事と向き合うことが、自分の心に生じてしまった「亀裂」を修復することにつながる人もいると思います。
阿部 そういう機会はある日、思いがけなくやってくるのがいいと思うんです。別にそうした効果を意識して求めるのではなくて。あの女性のように、「何気なく観た映画の中で、期せずして自分の抑え込んでいた気持ちに出会う」とかね。そういう意味で、人びとが映画に触れる機会というのは、やっぱり作っておきたいものだと感じます。
監督自身のセルフドキュメンタリー
ウネリ ところで、この映画が大学の卒業制作で作られたものだということに私は驚きました。阿部さんからみて作品のクオリティーはいかがですか。
阿部 すごいと思いますね。少なくとも僕ら自主避難者、あるいは低線量被ばくについて問題意識がある人たちにとっては、非常に大切な映画です。だけど、この映画は婉曲的で、当事者じゃないと分からないところがあると思います。
ウネリ 婉曲的とは?
阿部 人びとが自主避難を迫られた背景を親切に説明している場面はないですよね。
ウネリ 福島県の地図を出して「中通りには当時このくらいの放射性物質が降り注いだ」と説明するシーンとか、医師が出てきて「それによってこんな健康被害のリスクがある」と話すシーンとか。そういうのはないですね。
阿部 背景をちゃんと理解できないまま観ても、「何が起きているんだ」となってしまうと思います。また、仮に理解できたとしても「共感」する人は少ないと思います。理解と共感は別個の問題です。この問題は微妙過ぎるから、大方の人にはそんなに重大事に思えないのではないかと、僕は思っています。福島市内で開かれた上映会でも、「全く分からなかった」という感想を述べた人もいました。
ウネリ 「低線量被ばく」の健康リスクについては、個人個人で捉え方が違いますものね。中には「全く共感できない」という人もいると思います。周一監督はもっと共感を引き出していくような作品作りをしたほうが良かったんでしょうか。
阿部 というより、そもそも彼自身が、多くの人にこの映画を観せたいという考えで作っていないと思うんです。卒業制作ですからね。恐らく彼は、福島を離れたことについて納得してなかったのだと思います。ここにいるのは良くないと思った親の心情は、彼は理解していると思います。でも、自分が東京に行ったということに関して、心の底から「そうしてもらって良かった」というふうに思っているかは分からないです。彼は戸惑っていたのではないかと思います。
周一監督の祖母。監督は震災時、東京に住む祖母宅に避難した(阿部周一監督提供)
ウネリ 周一監督自身が、心の中にそうしたわだかまりのようなものがあったからこそ、こういう作品が作れたと。
阿部 自分の中でひと区切りつけるために、自問自答しながらこの映画を作ったんだと思いますね。自分の親や、親戚や、知り合いの人たちを、カメラを持って回りながら、ね。そうした葛藤の過程があるから、この非常に興味深いセルフドキュメンタリーができたんだと思います。僕はそう捉えました。
ウネリ ありがとうございました。たしかに、「分かりにくい」作品ではあるかもしれませんね。なにより、冒頭と中盤に2回も出てくる阿部さんが何者なのか、説明されてないですものね。
阿部 ……(苦笑)
***
『たゆたいながら』は商業公開されず、DVDなども流通していません。残念ながらこの記事を読んでくれた方がすぐに鑑賞できる状況ではありませんが、とても意義深い作品なので、あえてこの企画で紹介することにしました。自主上映の問い合わせは阿部周一監督まで。
福島県・中通りの「低線量被ばく」というデリケートな問題を扱った作品はほかにもあります。代表例は、鎌仲ひとみ監督の『小さき声のカノン――選択する人々』(2015年)でしょう。自主避難せず福島県内に残る道を選んだ人たちを撮ったドキュメンタリーです。食べ物の放射線量を測ったり、地域を自主的に除染したり。人びとの苦労を垣間見ることができます。放射線量の低い土地で一定期間過ごす「保養」についても学べます。ドキュメンタリー『福島は語る』(土井敏邦監督、2018年)も、自主避難した人たちの思いを紹介しています。フィクションでは、内田伸輝監督の『おだやかな日常』(2012年)という意欲作があります。首都圏に住み、子どもへの放射能の影響を心配するシングルマザーの役を杉野希妃が好演しています。(ウネリ)
***