第10回:「家族で共助」のしわ寄せが女性に重くのしかかる(塚田ひさこ)

チャコの区議会物語

コロナ禍で新年の式典が全て中止に

 遅ればせながら、2021年最初のコラムです。今年もよろしくお願いします。

 さて言うまでもなく、新型コロナ感染症の影響で、前年とは全く違う年末年始となりました。役所の仕事納めは一応12月28日だったのですが、豊島区として年末年始特別対策本部を立ち上げ、正月休み返上でコロナ対応に追われました。生活困窮者支援についても、役所の臨時窓口を開けておく必要があり、区長をはじめ区の幹部はほぼ休みなしの1月のスタートとなりました。

 例年仕事始めの翌日あたりに区主催で行われる「新年の集い」も中止となり、1月11日の「新成人の集い」もオンライン配信のみとなりました。区長は「にぎわいによるまちづくり」に情熱を傾けてきた首長らしく、「大変な時だからこそ、みんなでしょんぼりしているばかりでなく、明るい話題も提供しなくてはね」と、年始の行事もぎりぎりまで開催に向けて調整していたようですが、東京都の陽性者の数が跳ね上がって2000人を超えてきたこと、国や東京都からの要請もあり、開催を「断腸の思い」で見送りました。

 これらについては、区民からも様々な意見をもらいました。特に「新成人の集い」については、開催して欲しかった、残念だ、という声を保護者の方から聞きました。一方、私と同世代以上の方からは、医療機関が逼迫している中、開催などとんでもない、という声も多く聞きました。コロナ感染症に対する考え方にもかなり幅があるだけに、行動の制限を呼びかける難しさもまた改めて感じたところです。

 私としては、どんなにコロナ対策を講じたところで「一堂に集まる」ことによって感染リスクは高まるわけですから、「区」がそれを呼びかけるべきではない、と考えていましたので、この判断は良かったと思いました。ただ、もう少し早く決めるべきでした。期待していた人はがっかり感が強くなりますし、開催の危険性を心配していた人は、やきもきが続きます。これとまったく同じことは、東京オリンピック・パラリンピックにも言えることで、誰もがもう「無理でしょ」とわかっているのに、トップが決断しないことでずっとモヤモヤが続きます。この心労は選手や大会関係者だけでなく、会場を置く自治体も主催団体の一つですから、住民もまさに当事者。一刻も早く正式に「中止」か「延期」を発表すべきだと思います。

 また1月といえば、例年なら地元の各団体、例えば商店会連合会や観光協会、町会連合会などの新年会が毎晩のようにホテルの大宴会場で開かれていました。そこに区長をはじめ、区の幹部職員、地元選出の国会議員、都議会議員、区議会議員らが呼ばれ、会費を払って参加するというのが新年の恒例行事になっているようでした。

 私は、議員になった最初の年は、招待状が来た行事にはなるべく全て出席するつもりでいましたが、1年のうちに何度も同じ団体から宴席の招待状が来ることに疑問を持ったのと、昨年の1月は仕事も忙しかったので、新年会は区主催のものと町会連合会のものしか参加しませんでした。しかしそんな議員は珍しいらしく、一晩のうちに宴席を2つ掛け持ちしながら50件もまわるのが恒例という議員も当たり前にいて、1月も後半になると「胃が痛い……」とみなさん具合悪そうでした。

 ホテルではだいたいフルコースの食事に、ワイン、ビールも飲み放題で、会費は1万5000円〜1万8000円くらいだったと思います。ちょっと意外だったのは、議員はほとんどお酒を飲まず(私のテーブルがたまたまだったのかもしれませんが)、乾杯もウーロン茶で食事にもあんまり手をつけません。区長や主催者、地元選出の国会議員らは長い挨拶をしますが、区議会議員は宴席の途中で壇上に呼ばれ、名前を言ってと短い挨拶をするだけ。私が「お酒も飲まず、食事も食べないのはもったいないですね」と言ったら、ある議員は「会費は、食事代ではなく名前紹介料だと思って払っているよ」と笑っていました。

 こうした宴席も全てキャンセルになったわけですから、地元ホテルの減収も相当なものがあるでしょう。しかしあのような、大量なフードロスが出る、そしておなじみのメンバーによる形式的な「新年会」のスタイルを、慣習的に今後も続けていくことには疑問を持ちます。コロナが収まったあとの「新年会」の在り方についても、考え直すべきではないかと思います。

 議員にとっては、参加していた新年会が全てなくなり、1月は毎週のようにあった地域の「餅つき大会」も中止となっているわけですからさぞかし暇では? と思われそうですが、実際のところはどうなんでしょうか。これまで区議会議員といえば、地元密着でお祭りやイベントや宴席などに積極的に参加することで、地域の人に顔を知ってもらい、信頼関係をつくって支援者を広げるという活動を大事にしてきたわけですが、その活動のやり方自体もまた、コロナによって大きな影響を受けています。これまでとは違う住民の声を聞く新たな方法が求められてくるのではないか、と思います。

「扶養照会」について 「家族の絆」が呪いの言葉になる時

 年末年始は、雨宮処凛さんがコラム「雨宮処凛がゆく!」でも詳しくレポートしてくれていましたが、新宿や池袋の公園で支援団体による炊き出し(お弁当配布)や生活相談支援が行われました。12月30日と31日には、豊島区役所から徒歩10分くらいの東池袋中央公園で行うという情報が入っていたので、私も現場に向かいました。というのも区の福祉事務所と福祉課が、年末年始も区庁舎1階のホールに臨時で窓口を設けて、無償で滞在できるビジネスホテルの紹介や生活保護申請も受け付けているという情報を伝えるためです。

 しかしこの生活相談支援の情報、私たち議員のところにもぎりぎりまで伝わっておらず、31日の午前中の段階でも支援団体の中でさえ知らない人たちがいたりして、ちょっと混乱しました。それでも区の方も「臨時窓口は本来5時までですが、支援団体が6時まで相談を受け付けるのならこちらも待っていますよ、この寒い中路上は厳しいですからね」と柔軟な対応をみせてくれ、誰ひとり断られることもなく多くの人が支援につながって、まずはよかったと思いました。

 今、生活保護を申請する際の高いハードルになっているのが、「扶養照会」だと言われています。厚労省からは この間、「相談段階における扶養義務者の状況の確認について、扶養義務者と相談してからでないと申請を受け付けないなど、【扶養が保護の要件】であるかのごとく説明を行うといった対応は不適切であるので、改めてご留意願いたい」とかなり強い調子による文面の通達が、再三出されています。支援団体や議員が同行すれば、扶養照会をしないと確認した上で申請受理がされる場合があるとも聞いています。でも同行する人によって対応が変わるという、それではあまりにも制度として不適切です。

 この扶養照会について、いつからまるでこれが生活保護利用の「条件」のように言われ行われるようになったのか。どうやら2014年の法改正によって「不正・不適正受給対策の強化の一環」として、福祉事務所の調査権限の拡大、扶養義務者に対する報告の求めなどが新設されたことによる影響が大きいようです。

 この扶養照会は、困窮している本人にとっての高いハードルになるのはもちろん、照会のための手紙を出す職員の事務作業量も膨大です。しかも、扶養照会をされた人のうち、援助を申し出る人は1%にも満たないといいます。こんな非合理的なことは、すぐにやめるべきだと思い、change.orgの署名にも賛同をしました。

 加えて私が問題だと思うのは、行政側から扶養照会された側にも、大きな痛みを残すということです。

 15年くらい前のことですが、友人からある相談をされました。彼女が当時お付き合いをしていた男性が非常に落ち込んでいたので、「どうしたのか」とたずねたら、「地方の役所から『あなたのお父さんが生活保護申請をしているが、息子のあなたは扶養できないのか?』と問う手紙が突然きて、ものすごく戸惑っている」と言われたというのです。

 その男性の両親は彼が若い時に離婚をして、トラブルもあり、もう何年も父親とは会っていませんでした。どこで何をしているかも知らなかったし、知りたいとも思わずこれまで生きてきたそうです。それなのに急に「息子だから扶養する義務がある」かのように言われても、自分にも今の生活があるし困る。しかし、実の息子である自分が扶養することを断ってしまったら、父親はどんな気持ちになるのだろうか……と悩み苦しんだ末に、「扶養はできません」のところにチェックをして返送をしたそうです。

 しかしその後、彼は塞ぎ込んでしまうことが多くなり、結局友人はその男性と別れてしまいました。彼女からは「結婚も考えていたけれど、突然やってきた扶養という重い荷物を背負わなければならないのかと思うと悩んだし、正直それが原因でギスギスもした。そんな自分が嫌になった」とも聞かされました。一通の扶養照会の手紙が、幸せだったカップルの将来を壊した、とも言えるかもしれません。

 私は「扶養照会」の言葉を聞くたびにこのエピソードを思い出すのです。「扶養照会がきたけれどそれを断った」だけのことと割り切れる人がどのくらいいるだろうか、とも思います。血縁関係のある人に対して「支援しません」と、決めることは私はとてもしんどいことだと思うし、その後の生活や人生にまで暗い影を落とすことになるのでは、とも思うのです。

 そんな誰も得をしない「扶養照会」をなぜ国はするのでしょうか? 私はこれは自治体の福祉事務所に運用を任せるのではなく、やっぱり国が決めるべきことだと思います。国が家族という単位で「自助」や「共助」を強いてくる。「家族の絆」という言葉の圧によって、個人を追い詰めていく。国民は自己責任を強いられ、国に対して「助けて」と言えない。そんな状況の象徴のような「扶養照会」は、一刻も早くやめるべきです。

 言うまでもなく、国民一人ひとりの生活や命を守るのは国の役目なのに、扶養照会はそれを家族に押し付けているのです。「家族だから」というのは、まさに「呪いの言葉」だと思います。それによってどれだけ多くの人が追い詰められているか。極端な話かもしれませんが、殺人事件の中でもっとも割合が高いのは、親族間によるものだというデータがあります。

 「個人」としての生きる権利を「国」や「公」が保障し、具体的な生活費や住居などの経済的支援をし、安定した尊厳のある生活を送れるようにすることで、どれだけこの国の自殺者が減ることか、と思います。

 行政がやるべきサービスを家族に押し付ける、というのは「介護」の現場でも起こっていることです。介護保険制度は2000年に「介護の社会化」としてスタートしたものの、この20年間でその制度が変容をしており、これでは介護事業所がやっていけないという声とともに、再び家族や地域(主に女性です!)に負担が押し付けられようとしている、現状をまさに目にしているところです。地域包括で支え合う、というと聞こえは良いのですが、私は注意深く見ていく必要があると思っています。

会派への2021年度予算説明会がありました

 さて豊島区議会では、2月10日より第1回定例会が始まります。今定例会の目玉はなんといっても、2021年度の予算審査になります。予算審査は、2月の中旬からはじまる「予算特別委員会」において委員が担当しますが、それに先立ち会派への予算説明会が行われました。そこでは区長や財政課長から、今年度の予算の概算や新規・拡充事業や組織改正などについて説明がありました。

 コロナの影響をもろに受けた今年度の予算、昨年までとはうってかわり極めて厳しい数字が並びます。まず区の基幹歳入であるところの特別区財調交付金が36億円の減収、特別区民税が17億円の減収、地方消費税交付金が13億円の減収と合計で66億円の減収になると見込まれています。

 しかし、大きな歳入の落ち込みがあっても、コロナ禍によって脅かされた区民生活を支えるための対策はしっかりと行わなければなりません。そのため扶助費は昨年より3億円上回る過去最大規模の400億円を計上。また池袋という副都心を抱える豊島区は、繁華街をはじめ中小企業も多くあるため、それらの社会経済活動に7億円、感染症の拡大防止対策も必須であると6億円を計上という、緊急事態対応型の予算となっているとの説明でした。

 これら緊急時の対応だけでなく、これまで通りの行政需要も当然あるわけで、そこへの財源も当然必要です。そこでこれまで積み立ててきた財政調整基金を活用(8年ぶりの取り崩し)するだけでなく、一律10%の予算削減を各部署にかけたことで、17億円を捻出したとも言っていました。しかし、一般会計の経費別の内訳をみたときに、歳入に▽が並んでいるのはわかるとしても、事業費が2.1%と増加しているのに、人件費が2.5%の減というのは、人員を減らしているのか、賃金を下げているのか、気になるところでした。その内容については、さらに予算委員会で見ていく必要があります。

 新規拡充事業については、私たち会派からの要望がどこの事業に組み込まれているかという説明がありました。「ひきこもりの支援事業」として、引きこもり対象者の状況の調査やアウトリーチなどの支援、関係機関への支援員派遣や研修といったところは、入ってよかったなと思ったところです。一方で、昨年から私が一般質問や区長要望でもしつこく言い続けてきた「女性の生きづらさ」への対策や実態調査について、特に新たな事業や拡充が見られないことに対しては不満もあり、心配にもなりました。

 さらに細かい事業内容や予算配分については予算特別委員会で審査することになりますが、豊島区が「女性とこどもにやさしいまち」「SDGs」を政策の中心に掲げるのであれば、女性の自殺者ゼロを宣言して、真剣に取り組むべきだと強く主張をしておきたいと思います。同じ生活困窮や生きづらさでも、女性と男性ではその質は違うものであり、それらを理解した上で支援や窓口での対応のあり方を考える必要があります。そこに区も真剣になってもらわないと困るのです。

 様々な要素を横断的に見る必要もあるのだし、そのための統括するセクションを「女性局」のような形で作るくらい打ち出してもらってもいいのではないか──。これはかなり大胆な発言で、予算説明会という場では言うべきではなかったようなのですが、思わず私の口から出てしまった言葉です。

 しかし、これは何も私が思いつきで発言したわけではなく、長年女性の支援活動の現場に身を置き、DVなどの相談も受けてきた方に、現場の生の声を受け止めるために行政機関としてはどうするべきかということについて、何度かヒアリングする中で出てきた要望です。本当に今、女性の問題に真剣に取り組まないと大変なことになるとの焦りから、思わず言ってしまいました。

 コロナ禍で女性の問題が可視化されつつある今、まさに崖っぷちですが、チャンスでもあると思っています。うわべだけの「女性活躍」などでない、女性のためのボトムアップの政策や事業をつくる好機がやってきていると感じています。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

塚田ひさこ
塚田ひさこ(つかだ・ひさこ):豊島区議会議員・編集者。香川県高松市生まれ。香川県立高松高校、成城大学卒業後、サントリー(株)など民間会社勤務を経て、2005年憲法と社会問題を考えるウェブマガジン「マガジン9条」(現「マガジン9」)の立ち上げからメンバーとして関わり、運営・企画・編集など事務局担当。2019年5月地方統一選挙にて初当選。email:office@toshima.site twitter:@hisakotsukada9