東日本大震災からまもなく10年が経とうとしています。原発事故が起きた福島県には、いまだに人の住めない場所もたくさんあり、さまざまな形で被害は続いています。しかし、時間が経つ中で記憶が薄れてきた人、もともとよく知らないという人もいるのではないでしょうか。震災や原発事故について学びたいけれど、ぶ厚い本を読む気にはなれない……そんな人におすすめなのが「映画」です。
福島県福島市の映画館「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんは、3・11後、原発や震災をテーマにした上映企画を粘り強く続けています。阿部さんを案内人として「いま観るべき映画」を毎回ピックアップしてもらい、そのポイントを語ってもらう連載です。
『プリピャチ』
ウネリ 今回のテーマは「10年目の映画作家よ、来たれ」。東日本大震災と福島原発事故が起きてから10年が過ぎようとしている今、これからの映画に何を期待するのか、です。そのヒントを探るために、チェルノブイリ原発事故の13年後に公開されたオーストリア映画『プリピャチ』についてお話を聞きます。
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『プリピャチ』(1999年/オーストリア/監督:ニコラウス・ゲイハルター/配給:アップリンク)
映画『プリピャチ』公式サイト
チェルノブイリ原子力発電所から約4キロメートルに位置する街、プリピャチ。1986年の原発事故の後、原発の周辺30キロメートルが放射能警戒区域「ゾーン」と呼ばれ、許可なく入ることができない「管理されたゴーストタウン」と化している。ゾーンは有刺鉄線で覆われたフェンスで区切られ、兵士が区域内に入るすべての人々をチェックし、区域内からいかなるものも持ち出すことは禁止されている。原発や関連施設で働く人々や、許可を得て帰還した人々など、放射能警戒区域で生きる人々を、『いのちの食べかた』のニコラウス・ゲイハルター監督がナレーションや音楽を排し、モノクロの映像で記録していく。
阿部 フォーラム福島では2012年6月に上映しました。当時これを観た福島の人たちは反応が分かれました。「こうならざるを得ない。原発事故は起こしたら終わりだ」と悲観的に捉える人と、「福島は絶対にプリピャチのようにはしない。なんとしても復興させるぞ」と言う人です。
僕は当時どっちつかずだったんですが、10年が経とうとしている今、帰還困難区域の一部には、もうどうしたらいいか分からない状態のところがあるのは事実です。避難指示が解除されたと言っても、結局は沿岸部の開けた地域が多いじゃないですか。ごく一部の土地にとにかく賑わいを取り戻せという流れになっていて、山林のほうに行くとまだ誰も入れない場所がある。そこはまさにプリピャチと同じような状態です。
ウネリ 残念ながら、そのような状況ですね。
スクリーンを覆う「ペシミズム」
事故前からプリピャチ市内の研究所に勤務し、撮影当時も同じ研究所で食品や雨水などの放射性物質を検査している女性がインタビューに答える。
「私にとってプリピャチは昔のままです。でも『ゾーン』は死の区域です。夏になって風が吹くと、私たちは顔を覆います。車が巻き上げるホコリを避けます。毎日10時間働いてますが、今でも怖いと思います」
ゾーンの中に暮らし続ける老夫婦が映画の撮影クルーに向かって語りかける。
「神様の許す限りここで生きることにしたんだ。ここは誰も住んでない。隣人はもう誰もいない」
「私たちは木を伐り、漁をし、畑を耕す。キノコを採って乾燥させる。君らにご馳走しよう。いい前菜になる」。老夫婦はそう話して少し笑った後、急に真顔に戻る。
「もちろんキノコの放射線量が高いのは知っている。でもたくさん食べなきゃ大丈夫だ」
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阿部 『プリピャチ』の特徴は、スクリーン全体を終末観的なペシミズムが色濃く覆っていることです。象徴的なのは登場人物です。原発作業員や政府側の人間か、もしくは年老いた村人ばかり。若者や子どもは出てこない。
福島県内を考えてみると、たとえば南相馬市の小高区の大半は帰還困難区域ではなくなり、一定数の住民が戻ってきたんですが、高齢化率が高いんですね(※)。若い夫婦とか子どもたちを呼び戻すことができていない。やっぱり若者が戻ってこなければ、町や村の存続は成り立たないでしょう。『プリピャチ』は、福島の一部地域の将来の姿を予言していたのではないか。私は今、そういう風に考えてしまいます。
※南相馬市小高区は2016年7月、一部地域を除いて避難指示を解除されたが、現在の人口は震災前の半分ほど。高齢化率は40%を超える
ウネリ 2012年6月に上映したときは、今後どうなるか分からない可能性の世界だった。でも、時間が経った今振り返ると……。
阿部 だんだんプリピャチみたいになってきたと言わざるを得ないですね。
ウネリ いまだに住民が帰還できない土地がたくさんあるし、帰還困難区域の指定が解除された地域も元通りの姿を取り戻したわけではない。
阿部 でも、これは福島県内の、飯舘村とか浜通りとかのごく一画の話です。日本政府の対応を見ていると、「そんな狭い地域のことに取り合っていられない」という感じなのかと思えてきます。
ウネリ 「復興五輪」などと言っているのを聞くと、そう思いますよね。
阿部 結局は忘れ去られる存在になるんでしょうかね。日本の戦後の歩みは、いつもそうです。水俣病もイタイイタイ病も、発症者がたくさん出て一時的には注目されても、やがて忘れ去られ、またどこか別の場所で同じようなことが起きる。何度も繰り返しているなと思います。
福島についても恐らく、3・11から3年経ったくらいから、日本の多くの人が過去の出来事のように捉えているのではないでしょうか。我々福島県民も似ていると思います。3年経ったら、怒りや問題意識が薄らいでしまった。結局、疎外感を自覚するのが嫌だから、感じないように、同質化していこうとするじゃないですか。被災地の「外」から忘れさせようとする力と、我々が内側から忘れようとする力とが相まって、事態はどんどん「平準化」の方向にいっています。
ウネリ 忘れ去ろうとする「流れ」に抗う。ゲイハルター監督が『プリピャチ』を撮った理由もそこにありました。
阿部 そうです。この映画が日本で公開された当時、配給会社が作った資料にゲイハルター監督のこんなコメントが載っていました。
〈福島第一原発のことを聞いたとき、不思議だとは思いませんでした。まさにこういう状況が起こることを、チェルノブイリの事故後25年の間にずっと考えてきたからです。福島の事故でも、メディアが紹介するときは、人々の興味を惹くことしか頭にありません。チェルノブイリも事故が過ぎ去ってしまうと、メディアはまったくとりあげなくなってしまいました。だからこそ私は「プリピャチ」を作ったのです〉
彼の中には既存メディアへの批判の気持ちがすごく強くあるのでしょう。でも、それと同時に、シネアスト(映画作家)と言われる人たちはそもそもこういう生理で動くのだと思います。シネアストはジャーナリストでも新聞記者でもなく、クリエイターですから。メディアがワーッと動くときは、シネアストの視点は地味すぎるがゆえに、「まだここは自分が行くべき場所じゃないな」となります。その後誰も見向きもしなくなった頃合いに、シネアストの出番が来ます。
事故当時に汚染物質を運ぶのに使った1600台の車両が野原に保管されている。警備員がインタビューに答える。
撮影クルー「汚染車両は怖くないですか?」
警備員「全然平気だよ。6年もゾーンにいるからね。もう慣れたってわけさ。放射線は見えない。もちろん人体に影響はある」
はじめは笑って答えていたが、ため息をつく。
「もう6年だ。放射線は出てる。将来、被害が出るだろう。その時のことだ」
ウネリ 10年以上の時間が経過してからゲイハルター監督が現地に入って映画を撮ったのは、やはり意義のある行為だなと思いました。号泣とか、怒りに打ち震える姿とか、そういうのが出てこない。「自分が頑張らなければ!」といった使命感もない。そういう感情はこの10年でたぶん過ぎているのではないでしょうか。そうじゃない感情。激しい感情が過ぎ去った後にゾーンの中に住んだり、行き来したりする人びとの心のうちに去来する思いが、映像からにじみ出ているなと感じました。それは、ひとことで言えば「あきらめ」とかだと思いました。
阿部 妙にみんな、ふぬけたような表情をしている。そこが怖いですよね。
ウネリ 特にそこで働いている人、原発の作業員(※)だったり、車両保管場の警備員だったり。彼らは放射能のリスクを分かっているうえで、「ここに居なきゃいけないんだよ」と言って、苦笑いみたいなものをしますよね。
※1986年に事故が起きたのは、チェルノブイリ原発の4号機。ゲイハルター監督の撮影当時、隣接する「3号機」は通常運転を行っていた
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阿部 でも、それってもしかしたら、この社会そのものがそうなっているのかもしれないですね。今あなたが言ったことは多くの人に言えることですよね。要するに、集団無思考状態。みんな、なんとなく危機を予感しているけど、状況に流されてしまい、無感動に無機質に目の前の問題を無視してやり過ごしている。この作品に映り込んでいる人たちを不気味だと思いつつ、もしかしたら私たち自身も一緒なのかもしれない。そういう風にも思います。
ウネリ 原発にしても地球温暖化の問題にしても、深刻なリスクの上に身を置いているという「不都合な真実」に対して、気づいていない訳ではないけれども、苦笑しながら見ないようにしている側面はあると思います。
観客に考えさせる「ダイレクトシネマ」という手法
ウネリ 『プリピャチ』で印象的だったのは、シーンが淡々と流れていくことです。全編を通じてナレーションやBGMがありません。監督はなるべく抑揚をつけないようにしていると感じました。
阿部 作品を観る側に考えさせている訳ですね。ゲイハルター監督の映画は「ダイレクトシネマ」という手法を使うのが特徴です。ナレーションを入れず、音楽もテロップもなし。映像も時系列につながない。観客はとまどってしまいますが、そのぶん一生懸命に目で追うようになります。観客を作品にアンガジェ(能動的に参加)させる、ということです。
この手法を確立したのは、何と言ってもフレデリック・ワイズマン監督(※)ですが、ゲイハルター監督はワイズマン流のダイレクトシネマの継承者と言えるでしょうね。
※フレデリック・ワイズマンは1930年生まれの米国人監督。『病院』『福祉』『高校』『ドメスティック・バイオレンス』などの優れたドキュメンタリー映画を撮り続けている
ウネリ 観客が各シーンの意味するところを考えながら観ていく必要があるんですね。でも、監督自身の意図というのは当然ありますよね。
阿部 もちろん。たとえばゲイハルター監督の映画で一番話題になったのは『いのちの食べかた』(2005)です。この映画は、牛や豚などの生き物が飼育され、と畜されるシーンが説明なしで続きます。観客はずっとそうした映像を見続けているうちに、「人間は結局、あらゆる生き物を殺して胃袋を満たしているんだよね」という当たり前の事実を思い知らされます。そういう催眠術的なメッセージの伝わり方になるのが、ダイレクトシネマです。
本橋成一監督『ナージャの村』との違い
ウネリ チェルノブイリ事故後の地元の状況を撮った映画としては、本橋成一監督の『ナージャの村』(1997)、『アレクセイと泉』(2002)という2作品がありますね。
阿部 本橋さんは非常にウェットで、ヒューマニスティックな捉え方をします。『ナージャの村』は、ナージャという小さな女の子が汚染地区の中でけなげに生きているという、少しメルヘンチックなストーリーです。『アレクセイと泉』は、やはり事故で被災したブジシチェという小さな村が舞台ですが、アレクセイという青年を主人公にして住民たちの人間らしい営みが描かれています。
本橋さんは、「たとえ汚染されたとしても、人は故郷を忘れられないんだ」ということに共感して描いている。「この事態を告発しなければ」ということではなくて、「共感しよう」と観る側に求めてくる。『プリピャチ』よりもずっと受け止めやすい。強制避難区域になってしまった村でも、そこで生きたいと思う人たちの気持ちは汲んであげなくちゃいけないと、素直に思える。本橋作品はそういう映画です。
ウネリ 本橋作品も3・11の後フォーラム福島で上映しましたね。福島の人は『プリピャチ』と本橋作品と、どちらに共感しますかね。
阿部 圧倒的に『ナージャの村』や『アレクセイと泉』でしょう。1週間ずつ上映したのですが、例えば飯舘村から福島市内へ避難してきた方から、「本当にいい映画なのに上映期間が短すぎる」って怒られましたよ。
ウネリ 共感が集まったのですね。
阿部 だけど個人的な感想を言うと、本橋作品は「良質なファンタジー」という感じです。いい映画で好きだけど、『プリピャチ』の方が冷徹に、シビアに、将来のフクシマ像を暗示しているんじゃないかと思います。
10年目の作家よ、来たれ
ウネリ 改めまして、今回のテーマは「10年目の映画作家よ、来たれ」です。阿部さんはしばしば「10年目の作家が出てきてほしい」と言いますが、「10年目の作家」という言葉はもともとあるんですか。
阿部 これは完全に自分の造語です。3・11後、毎年3月11日が近づくと、福島にメディアが大挙して押しかけてきます。特に5年目はすごかったです。その時、どの新聞社も通信社の記者も「5年という節目は大事なんですよ」という風に言っていました。10年目となる今年も報道が過熱するでしょう。さて、その後はどうなるか。きっとどんどんメディアが来なくなる。先ほども言いましたが、その時に初めて、映画作家の出番になると思うんです。
3・11から5年、10年と沈思黙考していた映画人が必ずいるはずで、そういう人がようやくやってきて、墓掘り人みたいに数年かけて映画を作る。そういう映画を私は観たいと思っています。そこで、「10年目の作家」という言い方をしているんです。映画は本来、時間をかけてじっくり練られて作られるべきものです。でも発災直後は、「いま福島で起きている異常事態をとにかくそのまま提示しよう」という意識の作品が多かったと思います。それも仕方ないのかもしれません。そのくらい、どう受け止めたらいいのか分からない事態が、目の前で起きているわけですから。
ウネリ 「10年目の作家」。チェルノブイリの例は分かりやすい気がします。ゲイハルター監督や本橋監督は、事故から10年以上経ってからもカメラを回した。それぞれの視点が生かされて、どちらもユニークな作品になった。
阿部 そうですね。津波の被災地を舞台にしたすぐれた作品はすでに生まれています。フィクションなら諏訪敦彦監督の『風の電話』(2020)や、ドキュメンタリーなら小森はるか監督の『息の跡』(2016)などです。ただ、原発事故については、作家性を出した描き方ができている優れた作品に自分はまだ出会っていません。
ウネリ 作りにくいんですかね……。
阿部 それほどに、放射能の問題というのは難しいのかもしれないです。
ウネリ だから「10年目の映画作家よ、来たれ!」なんですね。
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映画『プリピャチ』の日本での配給元は「アップリンク」(東京都)です。同社をめぐっては昨年6月、元従業員5人が浅井隆代表からハラスメントを受けたとして損害賠償を求める裁判を起こしました。同社ホームページなどによると、裁判は、「ハラスメントなどを調査する第三者委員会の設置」などを条件として、原告被告双方の同意のもとで終了しています。しかし、原告たちはその後も「全ての問題が解決したとは考えていません」という声明文を出し、同社と浅井代表のハラスメント体質が解消されるかどうかに疑問を抱いています。
筆者(ウネリ)はハラスメントなど労働問題の取材を続けてきました。映画『プリピャチ』は、原発事故から10年以上経過したチェルノブイリを撮った作品として、本企画で紹介する必要があると判断しましたが、そのことによって筆者がアップリンク社のハラスメント問題を不問に付している訳ではありません。裁判の終了とは関係なく、声を上げた人びとに真摯に対応し、再発防止のために本気で取り組むことを求めます。
(ウネリ)