衆議院選挙の日程が10月19日公示、31日投開票と決まりました。選挙のたびに耳にするのが「政治や社会に不満がないわけじゃないけれど、一票を託したい政治家がいない」「何を基準に投票したらいいかわからない」という声。政治や選挙について気軽に話題にできる相手がいない、周りの人の考えも聞いてみたいけど機会がない、という人もいるのではないでしょうか。そこで、マガジン9で連載コラムを執筆いただいている方、インタビューにご登場いただいた方、スタッフなどに、下記の質問に答えてもらいました。もちろん投票の基準は人それぞれ違うもの。最後に決めるのは自分自身ですが、大事な一票の行き先を決める参考のひとつにしていただければと思います。(あいうえお順で掲載)
伊藤千尋さん(国際ジャーナリスト)
21世紀の私たちは、人類の歴史の中で市民社会を一歩でも進めるため、主権者として積極的に政治に参加する自覚が必要だと思います。公正で公平な社会を築くためクオータ制の導入でジェンダーフリーな社会を実現し、派遣労働者を正規社員にするなど社会の平等化を進めるのも私たちの義務でしょう。さらに戦争への反省と被爆国としての責任から、憲法9条を掲げて世界を平和に導くため、平和学で言う(安倍元首相の言葉とは真反対の)積極的平和主義を世界で先導する役割を負っていると思います。そうした考えに共鳴する政党や候補者に票を入れます。
枝元なほみさん(料理家)
だから、どんな人に一票を託したいかは明白です。嘘をつかない人、わかりやすい嘘でごまかそうとしない人。小難しくて聞こえのいい言葉ばかりを口にするのでなく、飾らずわかりやすく自分の思いを伝えてくれる人。そして自分以外の人のことを、ちゃんと考えてくれる人。自分のことだけ考えているような政治家を、今回の選挙では絶対にたたき落としたい。きちんと筋を通す、嘘をつかないで自分の思いを実現していこうとする人たちとしか、もうつながりたくない。そう考えています。
社会学者の宮台真司さんが「任せて文句を言うだけでなく、引き受けて考える」ことが重要だとおっしゃっていましたが、本当にそうだと思うんです。任せてしまうのではなく、意見を言いながら、一緒に何かをやっていく。そのためにも「対話ができる」人を選ぶことが重要だと思います。
太田啓子さん(弁護士)
あと、精神論ではなく、科学的合理性に基づき、専門家の知見を重視して政治をやろうとする人。そうでないからコロナ禍がこんなに長引いていて市民生活が苦しい。
岸本聡子さん(「トランスナショナル研究所」研究員)
最近、マガジン9でもおなじみの三上智恵さんがコーディネートする「島々シンポジウム」をオンラインで聞き、自分の無知を呪いました。自公政権が着々と進めてきた沖縄と南西諸島の要塞化、軍事化の事実に戦慄しました。莫大な税金が安全保障の名のもとに際限なく投入され、それに比例して軍事的な緊張やリスクを高める連鎖。犠牲を一部に押し付けて、なきものとする無関心の連鎖。
また、映画『MINAMATA-ミナマタ-』が公開されました。被害者の裁判がいまだに続いている理不尽を、映画を見なければ思いを馳せることがなかっただろう自分、ダブルパンチでした。加害の責任を認めない国、犠牲者を救済しない国、間違えを認めないから後世に伝えない国。そこに必然的に生まれてしまう無関心で無知な国民の下で犠牲が再生産されてしまう。根源的な政治の役目を2つのお仕事から学びました。選挙を直前にして、命を奪う政治ではなく守る政治のための一歩を考えました。
一言で言えば今の政治と真逆。
小林美穂子さん(「つくろい東京ファンド」メンバー)
大きなくくりで言えば、自己責任論や差別をなくし、社会的弱者の声に耳を傾けてくれる政党です。具体的な政策としては、以下のようなことに取り組んでくれるところです。
*福祉事務所の正規職員増員、対応の改善
*引き下げられた生活保護基準をもとに戻す
*生活保護の扶養照会撤廃
*住宅政策の拡充(家賃補助、公営住宅)
*世代間対立を煽るのではなく、誰もが生きやすい社会の実現を目指す政党
*雇用政策(最低賃金や派遣、日雇いなど何の保障もない不安定就労をなんとかしてくれ!)
鈴木力さん(編集者)
これは「投票したい」かどうかじゃなく、とにかく現与党に鉄槌を下さなければならないからです。
比例区は「社民党」にします。
さまざまな失敗はありながら、社民党(旧社会党)が日本政治に果たしてきた役割を、私は一定程度、認めます(あくまで「一定程度」ですが)。
このまま消滅させてしまうには、少しだけもったいない気がします。
想田和弘さん(映画作家)
田端 薫 (マガジン9スタッフ)
塚田ひさこさん(豊島区議会議員)
中島岳志さん(政治学者)
リスクについては「リスクの個人化(自己責任型)」なのか「リスクの社会化(セーフティネット強化型)」なのかが対立点で、価値については「リベラル」なのか「パターナル」なのかが対立点です。私は「リスクの社会化」「リベラル」という組み合わせが、今の日本に必要だと思っています。
「右っぽい」「左っぽい」といったようなイメージで選ぶのではなく、政治家・政党がどの組み合わせの主張をしているかによって選ぶのが良いと思います。まずは自分自身がどのような考え方にシンパシーがあるのかを見定めるところから始めていると良いのではないでしょうか。
「投票したい!と思える人」がいない場合、悪くないほう(less worse)を選ぶことも重要な選択の方法です。
永田浩三さん(ジャーナリスト・武蔵大学教授)
モリカケ桜、学術会議、ウィシュマさんの死。どれひとつとっても、不問に付すことはできません。
わたしは、杉並区つまり東京8区の住民です。自民の候補者は、大臣だったとき、福島の住民たちに向かって、「金目でしょ」という暴言を吐いた人です。この1年、区民と政党との度重なる交渉によって、野党候補の一本化をめざしてきました。しかし、なかなか難しく……。
南部義典さん(「国民投票総研」代表)
憲法15条4項後段は、「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」と定めています。投票選択は自由です。選挙は決して、有権者としての能力が試されるわけでも政治信条が調査されるわけでもなく、あらゆる強制、同調圧力の類いから自由であるべきです。
不動産物件を探す場面に似ていますが、投票対象を判断する要素を増やし過ぎると、「該当なし」に至りやすくなります。譲ることが出来ない要素は、人によって違います。私は国民投票法を専門としているので、この法律を今後どのように改正していくかという点(取り組む意欲、その内容)を重視しつつ、合理性を失い弊害が際立つ国会運営に危機感を抱き、その具体的な改革を成し遂げるポテンシャルを持った候補者、政党に躊躇なく投票するつもりです。自分の判断要素、基準を他人と比較、評価したり、他人に押し付けるようなことはしません。
西村リユ(マガ9スタッフ)
ウネリウネラ・牧内昇平さん(記者・ライター)
「ウネリウネラ」は、公私両面のパートナーであるウネリとウネラによる物書きユニットです。私たちには子どもが3人います。家族にとって大事な決断をするとき、必ず子どもたちとも話をします。正直に、親たちが考えていることを包み隠さず伝え、子どもたちにも納得してもらってから行動に移すようにしています。
たとえば私(ウネリ=牧内昇平)は昨年新聞社をやめました。その際は「会社でとても嫌なことがあり、自分の大切な人がとても傷つけられた。それが許せなくて会社をやめるんだよ」と話しました。子どもは子どもなりに理解し、納得してくれたと思っています。
何事をするにも、子どもに正直に話そうと思ったら、恥ずかしいこと、曲がったことはできなくなるように思います。大人の場合、こちらがなんとなく言い淀めば、相手も事情を察して追及しないでおいてくれますが、子どもの場合そうはいきません。「なんで? なんで?」という話になります。たとえば、会社を辞めるかどうかという時に、もしも「大切な人が傷つけられたけど、給料がほしいから会社は辞めない」と話したら、子どもは絶対納得しなかったでしょう。
子どもが納得しないのは、「暴力」や「嘘」「自分勝手」など、嫌なものの存在を感じ取っているからでしょう。私は、子どもたちと話し合うことで、私自身の行動にそういった嫌なものが混じっていないかを確認するようにしています。(そのプロセスを軽んじた結果、手痛い失敗をすることもしばしばですが……)
いま、政治について見聞きすることには、「これって子どもは絶対納得しないよな」ということが多いように思います。
「ほかの党の人は大反対しているけど、あの人たちは何をしても文句を言うんだから、反対意見をきちんと聞く必要はないよ。うちの党は数が多いんだから一方的に法律をつくっちゃえばいいんだよ」
「学術会議っていう偉い学者さんの会議があって、学者たちの間で会議のメンバーを選んで、それを政府がオーケーする仕組みがある。でも今回は学者たちが選んだ105人のメンバーのうち、6人は『会議に入っちゃダメ』って言ってやったんだ。ダメな理由は教えないよ。そっちのほうが相手は困るからね」
「コロナが怖いから多人数で食事したりお酒をのんだりしたらダメなんだ。自粛すべきだよ。でも、総理大臣は芸能人やスポーツ界の偉い人たちと8人でステーキを食べるんだ。だって政治家はしょうがないよ。会食が仕事なんだから」
こんな風に話して、子どもは納得するでしょうか。しませんよね。「子どもが納得しないこと」を一掃できた時、政治はもっと、みんなが納得できるものになると思います。
では、選挙でどのような人に投票したいか。私たちは、やはり、子どもたちと接する時の経験からヒントをもらいます。ふだんはあまり子どもたちを叱りたくないと思っていますが、それでも子どもが以下のような振る舞いをしていたら、見過ごさず叱るようにしています。
・怒鳴る。
・自分の考えを一方的に押しつける。
・会話中にほかの人の話をさえぎる。
・相手を馬鹿にしたり傷つけたりする。
これと同じようなことをしている政治家が結構たくさんいますので、そういう人には投票しません。こういう人たちが集まって行う政治は、「暴力」や「嘘」、「自分勝手」がはびこる政治になると思います。
ということで私は、1「子どもが納得できないこと」をする人、2「子どもがやっていたら叱る必要があること」をする人、には議員になってほしくありません。言い換えれば、1.2のような行為とは無縁な人、100%無縁とは言えなくても、そういうものから遠い存在であると感じられる人に、投票したいと思います。
松本哉さん(リサイクルショップ「素人の乱」店主)
逆に言うと、あれこれ必要以上に禁止事項など作りまくって管理したがったり、頼んでもないのに強力なリーダー面して勝手に国家の進むべき道とか定めちゃったり、成功者のことばかり気にして死にそうな人を放ったらかしにしたりっていう人や党は、我々勝手に生きてる人たちからしたら存在自体が完全に迷惑でしかない。そんなことで、投票するとしたら、そういうことをしなそうな所にしたい。
ま、そんな感じかな〜
まず第一の作戦は、巨大な選挙ボイコット運動で選挙自体の意味をなくしちゃうこと。例えば投票率1%ぐらいの茶番選挙で成立したみんなから嫌われてる政権なんて大きな顔をできない。そうなったらそんな政権の言うことを聞く筋合いはないし、こっちも公然と無視しまくって自由にできる。よく海外などではイカサマな政権が強引に選挙やろうとして総スカンになることってあるけど、一度はやってみたいなー、あれ。ただ、問題はボイコットじゃなくて、単純に無関心で1%だったら事は変わってくる。そしたら選挙結果を盾にそのしょうもない人や党が好き放題し始めるので、これはこれでヤバい。
ということで、しょうもないやつらしか選択肢にないけど、ボイコット運動のような気運もないまま選挙が到来してしまった時は、第二の作戦。最も権力を持ってそうな奴らを落選させるのがいい。どんな政権であれ権力者が政敵もなく無敵状態になった時は、だいたい矛先がこっちにも向いてきて、我が物顔に民衆を管理し始めがちなので、これはたまったもんじゃない。なので、少しでもマシな方に勢力を伸ばしてもらっとくのがこっちにとっても得策。政治の世界でバチバチ争っといてもらって、そうするといろんなところに隙が生じるので、その間にこっちは好き勝手やらせてもらうのも手だ。要は、どうしようもない候補者や政党しかない時は、政治には混乱しておいてもらう。
ともあれ、いい投票先がない時は、権力を握ってるやつらの力を削ぐような投票を心がけている。
馬馬虎虎(会社員、マガ9スタッフ)
選挙にだけは必ず行きます。
柳田茜(マガ9スタッフ)
ネットで検索すれば、「勝てる候補者」ということで野党が立ててきた人の過去の言動や、あるいは原発、憲法、消費税、沖縄辺野古新基地建設、安全保障などなどについて、その人が発した納得できない意見が見つかることも。政権交代を実現するために、その人の名前を書かなくてはいけないのは本当に、本当につらい。よく「鼻をつまんで」と言うけれど、せっかく選挙に参加する権利を行使するのに、自分に嘘をついているようで投票用紙に書く手が震える。大げさではなく。
告白すると、2016年に野党共闘による選挙協力がはじまってから、野党統一候補ではない候補者に投票したことが過去に2回ある。選挙区の野党の傲慢ともいえる候補者選びや、候補者の資質がどうしても許容できなかったから。「投票したい!」と思える人がいなかったら、最後はマシな「人」を選ぶ。政党は関係ない。
そんなことを言うと、「甘い」とか「だから政権交代できないんだ」とか「清濁併せ吞め」とかオッサンリベラル市民から怒られるわけだけれど、逆に「だから野党は勝てないんでしょう」という言葉を返したい。与党や維新、攻撃したい相手の問題発言、問題行動は叩きに叩きながら、身内の候補者の問題点には目をつぶり、口をつぐみ、スルーする。そんな矛盾した姿勢は野党の土台を蝕んでいると思う。今度の衆院選、野党共闘という大義名分だけにとらわれず、よくよく考えて投票したい。
吉田千亜さん(フリーライター)
それを、変えてくれる人(政党)を選びます。
そうなると、見える範囲での人柄で判断するかもしれないと思います。
私は「嘘をつかない人」かな、と思っていたのですが、友人に聞いてみたら、「ちゃんと謝れる人」と言っていました。
多くの人が指摘していますが、例えば、岸田首相が「自分の言葉で話せる」「原稿を読んでいない」ことなどが、まるで素晴らしいことのように感じてしまう、それ自体が、ある意味、求める基準が低くなるような政治が続いたのだともいえます。
「嘘をつかない人」「謝れる人」というのも、人間関係を築く上では、誰もが当たり前のように心がけることで、相手を大切に思えば、自然にそうなります。
なので、結局のところ、有権者を対等な人間として見られる人なのかどうか、のようにも思います。(これも基準としては低いような気がしますが、残念ながら、そういう現実があるのだと思います)
渡辺一枝さん(作家)
原発再稼働、新設を絶対にしないと確約する政党、核兵器廃絶に動く政党、人権を守り、差別ヘイト発言をしない政党、あるいはそれらの候補者を応援しますし、そういう候補者に投票します。
ワハ子(マガ9スタッフ)
本当にどんな人に政治を担ってほしいかといえば、一人ひとりが幸せな社会とはどんなものなのかを考えられる人でしょうか。理想なんて役に立たないという人もいますが、効率と合理性だけでも幸せになれません。差別や格差の問題に目を向けて「自己責任」と切り捨てずに政治の問題として考えることができる人。市民の権利や自由を大切なこととして考えられる人。政治を政治家のものだと勘違いしていない人。うーん、いないですよね(笑)。書いてはみたものの、完璧な人を夢見ているわけではないので、少なくとも市民と対話する気がある(だろう)人に投票します。
ただ最近思うのは、このままでは選挙のたびに「投票したい人がいない」と悩むことになるのではないかということです。「この人に投票しよう」という人が選挙のときに突然調子よく現れてくれたりしません。普段から市民が時間をかけて政治家を一緒に育てていかなくては根本的な解決にならないのだと思います。
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