ハンスト中の元山さんからもらった言葉(仲松亨徳)

 5月15日は、1972年の「沖縄本土復帰」からちょうど50年。式典、イベントやテレビの特番などもあったが、そうした華やかな「お祭り」とは対照的な非暴力直接行動が、沖縄の青年によって行われた。

 その青年は、大学院生の元山仁士郎さん。かつてSASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)、ゆんたくるー、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)やSEALDs RYUKYUの設立に参画し、「辺野古」県民投票の会の代表も務めた。マガ9では7年前に「沖縄・ゆんたくるー便り」で筆を執ったこともある。

 その元山さんが5月15日を前に、辺野古新基地建設の即時断念などを訴え、東京と沖縄でハンガーストライキを行った。9日首相官邸前、10日自民党本部前、11日公明党本部前と国交省前、12日防衛省前と外務省前、13日大成建設前(午前に日本外国特派員協会で記者会見)、14日国会議事堂前、そして15日は記念式典の会場である沖縄コンベンションセンター前。この日にドクターストップがかかり、始めて151時間でハンストは終了した。

 元山さんがハンストを始めたと聞いて、沖縄に心を寄せ、県外に住む大人として胸塞がれた。島言葉(しまくとぅば)で言う「肝苦さ(ちむぐりさ)」とでも言おうか。これまで自分は何をして来たのかと。沖縄の青年が命を懸けないと問題提起すらできない今の状況は何なのかと。

 それでも、元山さんにせめて声だけでもお掛けしたい、と12日、防衛省前を訪ねた。元山さんは椅子に腰かけ、少しお疲れの様子だが意気軒昂だった。私が鬱屈の晴れぬまま「頑張れ、なんてとても言えないけれど…」と話しかけると、元山さんは小さな声ではあるが、力強くこう答えた。

 「できることを」

 そう、諦めず、できることをやっていかなくては。次世代に問題を残さないために、これからも。

(仲松亨徳)

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