第267回:悪い冗談、日本が「難民フォーラム」の議長国?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

驚きの情報

 たまたま調べることがあってネットサーフィンをしていたら、ギョッとするような情報にぶちあたった。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のページに、以下のような記述を見つけたのだ。
 最初は「フェイク情報」かとも思ったが、どうも本物らしい。

「第2回グローバル難民フォーラム」の共同議長国に日本が決定

 UNHCRは2023年12月に開催が予定されている「第2回グローバル難民フォーラム」の共同議長国に、日本、コロンビア、フランス、ヨルダン、ニジェール、ウガンダが決定したと発表しました。
 前回に続いてスイスが開催国を務め、ジュネーブで開かれます。
 「グローバル難民フォーラム(Global Refugee Forum :GRF)」は、難民支援に関して議論する世界最大の国際会議で、4年に一度のプラットフォームとして2019年にUHNCRが立ち上げました。(略)
 新型コロナウイルス、紛争、エネルギー、食料、経済、気候危機などの困難に直面しながらも、2019年の第1回GRFでは、各国政府、ステークホルダーなどにより、素晴らしい機運や取り組みが生まれました。難民支援に対して1,600以上もの「誓約(pledge)」が提出され、その分野は、雇用の創出、教育、保護、クリーンエネルギー、ソーシャルインクルージョンなど多岐にわたります。(略)
 GRFは、各国政府、国際機関、人道機関、自治体、市民社会、開発機関、民間セクター、そして難民自身が一堂に会し、故郷を追われた人々と受け入れ国に対する支援、協力、連帯、解決策の改善に向けた議論を行う場です。(略)

 これは、2022年12月9日に公表されたもの。日本の今国会における「入管法」の強行採決より、ほぼ半年前の発表である。UNHCRは、昨年暮れの段階では、日本政府がこんな悪法を強行採決するなどとは思ってもいなかっただろう。
 だから、ぼくにはUNHCRの責任を問うつもりはないけれど、日本政府には大きな責任があると思う。
 日本がこの国際会議の議長国になったということを、日本政府が知らなかったはずはない。何か国際会議があれば、日本政府は真っ先に手を挙げて議長等の重要なポジションを占めようとするのが常である。だから今回も、議長国になることを政府が積極的に後押ししたのは間違いない。
 であれば、難民問題に関して日本政府は、このUNHCRの発表文にあるように「故郷を追われた人々と受け入れ国に対する支援、協力、連帯…」を先頭に立って実行するのが当然の責務であったはずだ。
 ところが今国会で、自公政府と維新国民がグルになって行ったことはいったい何だったのか。非人間的、非人道的と指摘・批判された内容の「入管法改定」の、すさまじいばかりのゴリ押し採決だったではないか。
 国会前(のみならず全国各地)では連日のように「入管法改定反対」「人命軽視の法案反対」「この法案は命を奪う」「難民の命を守れ」「ウィシュマさんの死を忘れたか!」といったデモ隊の声が響き、国会内でも野党(維新国民はもう野党とは言えない!)は激しくこの法案に反対した。
 とにかく、改定法案の中身のひどさと、その採決に至る審議での様々な疑問点が何ら解決されぬままの強行採決だったのだ。

「自動分別機」と「酩酊医師」

 例えば、柳瀬房子難民審査参与員のデタラメ極まる審査ぶりをイヤというほど指摘されながら、それについてはほとんど説明もなくきちんと議論もされなかった。100名以上いる参与員の中で、柳瀬氏はひとりで約25%の審査を行っていた。昨年は1231件をひとりで担当したという。時間的にみると、ひとり当たりの審査時間は10分に満たない。こんな短時間で、人間の命を左右していいものか。
 この柳瀬氏の審査は、まるで何らかの製品の「自動分別機」だ。無機質で無感情の機械。
 「はい、これは“不良品”だから除きます、ポイッ!」
 除かれた難民申請者は、命の危険のある故国へ強制送還される…。
 この難民審査参与員を10年間務めたという阿部浩己明治学院大教授が、毎日新聞(6月5日配信)のインタビューで、興味深いことを語っている。本文はかなり長いけれど、ぼくが大事だと思った部分を抜粋する。

難民審査参与員が明かす入管で感じた圧力
難民認定 排除する仕組みがある

 (略)言葉にはしにくいのですが、次第に入管の制度的な圧力や文化のようなものを感じるようになり、少しずつ自分自身の立ち位置が変わっているのではないかと感じるようになりました。(略)
 入管からの独立性を脅かすようなものでした。自分では独立していると思いつつも、始めた時と同じ独立性を保てたかと問われれば、考え込んでしまうところがあります。(略)
 組織内に行き渡っている共通了解が、「ここは日本に不利益をもたらす外国人を排除するところだ」というのであれば、その方向に引きずる力が働くのです。(略)
 (私が担当した件数は)単純計算で言えば月4件、年48件となりますが、書類審査もありますので、10年間で500件弱でしょうか。その中で認定すべきだという意見を出したのは40件弱です。7.8%程度ですが、認められたものはありません。(略)
 難民は本国で困った状況にあり、日本で生きていけるように助けてほしいということであって、我々同様、普通の人です。(日本の)行政手続きに詳しいわけではありません。
 我々も言葉の通じない異国に行って、その国の行政手続きに必要な事柄を整然と説明するのは難しいことです。だから代理人がつかなければなりませんが、それができていないということです。
 外国からやって来る難民を認定するにもかかわらず、制度が日本的な枠組み、日本社会で生まれ育ち、日本の手続きに詳しい人を前提にしているようなものです。(略)

 阿部教授は、この難民認定制度が最初から「難民を認めないことを前提に作られている」と指摘しているのだ。彼が難民認定した40件がすべて却下されたということが、まさに入管の姿勢を示していると言っていい。
 阿部教授が言うように、難民申請してくる人は「本国で困った状況にあり、日本で生きていけるように助けてほしいということであって、我々同様、普通の人」なのだ。彼らは犯罪者ではない、命の危険から逃れてきたごく普通の市民である。その助けを求める声もよく聞かずに、命の危険のある国へ強制送還する。言葉も日本の制度もよく分からない人に、説明できる代理人もつけずに、話を聞いたことにして申請を却下する。これが「人権国家日本」の正体なのである。
 自分がもし同じような状況に置かれたならば…、ということを考えるほんの少しの想像力があれば、その辛さは分かるはずだ。
 しかし、柳瀬房子氏はそんな想像力は、これっぽっちも持ち合わせてはいなかった。入管側(日本政府側)の意に添うように、ひたすら申請書に「却下」のハンコを押し続けたのだ。阿部教授の年間50件弱に対し、柳瀬氏は年間1200件以上も担当したという。シャチハタのハンコだってすり減ったことだろう!
 更には、大阪入管での「酔っ払い医師」問題が明るみに出た。これも人命にかかわる問題だ。酔っぱらって適切な診察もできていないのに、いい加減な薬を出す。人の命をなんだと思っているのか。
 入管当局はこの医師の日常的な飲酒癖を把握していたにもかかわらず、クビにもせず常勤扱いにしていた。それを2月の段階で法務相は知っていたが、6月に報道されるまで情報を明らかにしてこなかった。隠蔽というべきだろう。
 もはや、入管も官僚も政府もメチャクチャである。

山本太郎議員懲罰動議への疑問

 法務委員会における強行採決に際し、山本太郎議員は「体を張った抵抗」を行った。それに対し、懲罰動議が出された。
 自民党などの賛成した側が出すのはリクツとして分からぬでもない。だが、立憲民主党までがそれに乗って山本議員懲罰動議に賛成してしまうということには、ぼくは強い違和感を覚える。
 もし「山本懲罰」を言うのなら、その前に立憲は党としてなすべきことがあったはずだ。この強行採決に踏み切った与党と維新国民に対しての「懲罰動議」の提出だ。それもせずに抵抗側の山本議員への懲罰とは、野党としての立場を放棄した所業と言わざるを得ない。それじゃ、維新国民と何も変わらないじゃないか、泉健太代表よ!
 音喜多維新政調会長は、この件に関し「議会において暴力行為はなぜ起きるのか? それに対する毅然とした懲罰が必要」とツイートした。
 ぼくはそれに対し、次のようにツイートしてみた。

では、改めて問います。ろくな審議もせずに行ったあの「強行採決」は、暴力行為ではないのですか? あれは民主主義の前提である「議論」を強硬手段でねじ伏せた暴力だと、私は思うのですが。懲罰が必要なのは、むしろ与党と維新国民ではないのですか?

 むろん、音喜多氏からは今のところ何の返答もない。でもこのツイートには、「いいね」があっという間に3000件を超えた。ところがしばらく経つと、「暴力の意味が分かっていない」「比喩と単なる暴力を故意に混同するバカ」「民主主義の前提は最大多数の最大幸福」などという、意味不明なものも含めてぼくへの批判が増え始めた。
 いつも同じだ。最初は賛同の意見が多いのだが、しばらく経つと罵倒が殺到する。どうも何らかの動員があるのではないか…なんて陰謀論(?)に傾いてしまう。
 それにしても、山本太郎議員の懲罰に賛成するなんて、立憲は、この法案阻止に本気じゃなかったのではないかと疑われても仕方あるまい。

緒方貞子さんが草葉の陰で憤っている…

 こんな状況の中で、日本が「グローバル難民フォーラム」の議長国に就任するなんて、ぼくにはほんとうに「悪い冗談」だとしか思えなかった。
 入管法という難民救済の根本理念を破壊してしまうような法律を日本が成立させてしまったことを踏まえて、UNHCR日本は、日本政府に対して強い「抗議文」を出し、この法律の見直しと撤回を求めるのが筋だ。そしてそれが認められないならば、「日本政府の態度が変わらない以上、難民フォーラムの議長を務めるのは困難である」として、議長国就任を辞退すべきではないか。
 難民の立場を尊重し、彼らの救済に尽力すべき「国連難民高等弁務官事務所」であれば、それが当然の責務だろう。

 2023年の「グローバル難民フォーラム」は、12月にジュネーブで開催されるという。それまでにUNHCR日本は、日本国民の先頭に立って難民を救うことを、日本政府に働きかけ、入管法の撤回を求めなければならない。
 そうしないのであれば、UNHCRの名前が泣く。
 第8代の国連難民高等弁務官として、紛争の停止と難民救済の先頭に立って活躍した緒方貞子さんが、草葉の陰で憤っているだろう。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。