女性議員の増加、地盤を持たない新人議員の上位当選など、これまでにない変化が各地で見られた4月の統一地方選。「あとから『あの選挙は、重要な意味を持っていた』と振り返られるのではないか」。政治学者の中島岳志さんはそう指摘します。選挙から2カ月、新たに当選した議員たちは、何を思い、どんな活動を展開しようとしているのか。東京・杉並区、世田谷区、国分寺市でそれぞれ初当選した3人の議員にお集まりいただき、中島さんとともに語り合っていただきました。
統一地方選で起こっていた、新しい現象
中島 4月に統一地方選挙がありましたが、メディアはその結果を、「維新の勝利」「自民が踏みとどまる」などと報道しました。しかし、そこには実際に起きていたこととの間に大きな落差があったのではないかというのが僕の考えです。
というのは今回の選挙では、気候危機やジェンダーなどこれまで「票にならない」とされてきた主張を前面に出した候補が何人も、かなりの上位で当選していた。それも、出口調査などを見ると、20代くらいの若い人たちがそこに投票していたんです。これは、何か新しい現象が起こっていると感じました。何十年か後になって「あれが新しい時代を拓く選挙だった」と意味づけられる選挙だったんじゃないかと思うのです。
今日お集まりいただいた皆さんも、その「新しい現象」を象徴する存在だと考えています。まずは、簡単な自己紹介を兼ねて、政治に興味を持って区議・市議を目指した経緯からお話しいただけますか。
ブランシャー 若いころから環境問題に関心があり、福島第一原発事故の後に脱原発運動に関わるようになりました。3年ほど前からは杉並区内でカフェを開いて、地域の人たちに気候変動や環境問題について知ってもらう場をつくっています。
以前は直接的に政治に関わることはなかったのですが、昨年の杉並区長選では現区長の岸本聡子さんを応援しました。環境活動家でもあり、ゼロカーボンシティの実現にも関心を寄せている岸本さんが区長になってくれれば、杉並は変わるんじゃないかと思ったからです。
その後、緑の党グリーンズジャパンからの打診を受け、気候危機の問題を広く知ってもらうチャンスかも、という思いもあって立候補を決意しました。この先も、気候変動や環境問題を自分の政治活動の真ん中に置いてやっていきたいと思っています。
おの 私は、もともと民間企業で気候変動分野のコンサルタントとして途上開発支援などに関わっていたのですが、日本の政治にはほとんど興味がありませんでした。
転機は、夫の留学に同行してイギリスで1年ほど暮らしたこと。そこでフェミニズムやジェンダー平等の考え方に触れて、立派な(笑)フェミニストになって帰国しました。復職後も、周りの女性たちが育児でキャリアをあきらめたりする姿を見て、どんどん家父長制への怒りが膨らんでいったんですね。
そんなときに、トランス女性で世田谷区議の上川あやさんの講演会に行きました。上川さんはパートナーシップ制度の成立を導くなど、徹底して「地域から変えていく」ことをやってこられた方。そのお話にとても感動して、「地方議員という選択肢があるんだ」と気づいたんです。
選挙のときも、前面に掲げたのはジェンダー平等の問題でした。周りからは心配する声もあったけれど、予想以上の票をいただくことができて。まずは「地域からのジェンダー平等」実現に取り組んでいこうと思っています。
鈴木 私は3年ほど前まで奄美大島で日本語教師をしていたんですが、コロナ禍で学校が閉校になり、職を失ってしまったんです。でも、結果的にはそれで生活に時間やゆとりが生まれたことで、環境問題に目を向けるようになりました。
海に潜れば死んでしまった珊瑚がたくさんあるし、ウミガメの数も減っている。このままいったら自分が年をとったときにはどうなっちゃうんだろうと不安になって、脱プラスチックやエネルギーシフトに取り組んでみたりもしました。その後、有機農業を学んでいたときに知り合った、ご自身も地方議員をしていたという女性に「あなたは地方議員に向いてると思う」と勧められたのをきっかけに、国分寺市議選に出ることになったんです。
私も訴えの中心に置いていたのは気候危機やジェンダー、あと若い世代の政治参加です。「面白くない」「興味ない」という「政治」のイメージを変えて、政治や民主主義ってなんだろうと考えてもらうための象徴的な存在になれればと思っています。
それから、国分寺は今、PFAS(有機フッ素化合物)による地下水汚染の問題が深刻なので、それにも粘り強く取り組んでいきたいですね。
「お任せ民主主義」ではないものが生まれつつある
中島 ありがとうございます。やはり皆さん、「票にならない」といわれたイシューを前面に出しての選挙戦だったと思うのですが、手応えはいかがでしたか。
おの 選挙期間中、ジェンダーや気候変動の問題を訴えることに反対してきたのは、多くが上の世代の男性でした。一方で、女性は年齢を問わず、「政治の世界に女性を増やしたい」という私の主張に共感してくれる人がすごく多いと感じましたね。
ブランシャー 私も街頭で気候危機について話していたら、おじいちゃんくらいの年の人に「何も知らないのに偉そうなことを言うな」と言われたことがあります(笑)。逆に、選挙戦終盤になってある男性が「あなたの言っていることは、どの候補者の話よりも科学に基づいている。だからあなたに投票しようと思っている」と言ってくれたときは嬉しかったですね。
あとは、「君のイデオロギーはなんだ、右か左か」と聞いてきた人もいて、みんなカテゴライズするのが好きなんだな、と思いました。でも杉並の場合は、どの党を支持するとかではなくて「とにかく杉並をよくしたい」という市民の後押しがすごかったですね。特に最後のほうは、そういう人たちが多方面から複数の候補を応援するという図式ができていたように感じました。
鈴木 私がすごく印象的だったのは、「今まで自分が票を入れた人が当選したことがなかった」という人が、私が当選して「初めて一票が届いた」と喜んでくれたことです。そういう成功体験をつくれたことは大きかったなと思います。「これまでは投票先を消去法で選ぶしかなかったけど、今回は本当に鈴木ちひろに頑張ってほしい、一緒に政治に参加していきたいと思った」と言ってくれた人がいたのも嬉しかったですね。
これまでは、選挙で票を入れたらあとは議員にお任せ、という「お任せ民主主義」が一般的だったけれど、そうではなくなりつつある気がします。その変化を手放さずに育てていけるかどうかは、今後の私たちの頑張りにかかっているのかなとも思いました。
おの 私も同じことを感じました。選挙運動を手伝ってくれる人たちって、選挙が終われば「はい解散」みたいなイメージが私自身もあったんです。でも今回、私の応援に集まってくれたのはほとんど20代、30代の女性たちだったんですけど、当選の報が入った後も「次は私たちは何をすればいいですか」と、すごく自然に聞いてくれたんですね。ちょっと私のほうが押されるくらいの熱気でした(笑)。
これまで仕事や育児で忙しくて政治に関わったことなんてなかったという人も含めて、みんなが選挙だけじゃなく、今後4年間を見据えて動いてくれている、それは大きな希望だなと思いました。「地域から変えていく」ということが、すごく現実味を帯びて見えた気がしましたね。
「誰ひとり取り残さない」新しい形の選挙運動
中島 皆さんを当選させたのは、おそらくは自公も立憲も共産も、ある意味で同じに見えるという人たちだったのではないかと思います。どの党も、有権者の声に耳を傾けず、上意下達ですべてを決めてしまう。一言で言えばパターナルですね。そういう政党は嫌だと感じている少なくない人たちが「新しいもう一つの選択肢」として、皆さんを支持したのではないかと思っています。
皆さんが展開した選挙運動そのものも、従来の形とはだいぶ違っていたように見えました。
ブランシャー 昨年の杉並区長選のときに、スタッフが一人で候補者のノボリなどを持って駅前に立つ「一人街宣」が話題になりましたよね。あれを始めたのは私の友人なんですが、彼女は今回、私の選挙でも「一人街宣」を展開してくれました。
そうしたら、それに触発された別の人が、また独自に「一人街宣」を始めてくれたんですよ。毎日朝5時半から東高円寺の駅に立っていたらしいんですけど、私たちも全然知らなくて、それを見た人が寄せてくれたSNSメッセージで知ったという(笑)。
その方は、ふだんの国政選挙では別の党を応援していたそうなんですね。「なんで私を応援しようと思ったの?」と聞いてみたら、「一番面白いことが起こりそうだと思ったから」。当選確実な人じゃなくて、もしかしたら落ちるかもしれないけどもしかしたら通るかも、という候補者を応援したかったんだそうです(笑)。
そういうふうに、ごく「普通」の人たちが候補者のためでも政党のためでもなく、自分を主役にして選挙に参加していると感じました。だから選対に指示されるのではなく、自主的に動き始めちゃうんですよね。
鈴木 国分寺では、杉並のような市民参加型の民主主義の動きは、正直なところまだそれほど見られません。街宣や会議を呼びかけても、なかなか人が集まらないときもあって。
でも、私はそんなときこそ「見せ方」を考えていました。一人で動かなきゃいけない日は「杉並を見習って一人街宣だ!」とか思い込んで自分のテンションを上げながら(笑)、SNSでは「私超元気だよ、選挙楽しいよ」ってアピールして。あと、頑張り過ぎちゃうと保たないので、いろいろ予定を組んでいても、無理だなと思ったらしっかり休むようにしてたんですが、そのときは逆に「休んでるよ、カフェにいるよ」って発信したりもしました。
「こんな人でも選挙に出られるんだ」と思ってもらえるモデルケースになりたいと思っていたから、親しみやすさ、話しかけやすさを常に意識していました。服装も、ジャケットとかは絶対に着ず、いつもカジュアルでカラフルな、自分の好きな服を選んでいたんです。そうしたら、話しかけてきてくれる人がかなりいたのはいいけれど、「本人」っていうタスキをかけてるにもかかわらず「で、どの人が選挙に出るの?」って聞かれたことも(笑)。でも、こうしたスタイルに共感してくれる人は絶対にいるはずだ、と思っていました。
おの 私は生活者ネットから出たので、お二人に比べると割と従来型に近い選挙戦だったと思います。とはいえ電話かけはほぼやらなかったりと、かなり好きにはやらせてもらったんですけど……。
朝から晩まで、座る間もなく街宣に出ている候補者もいて、私も最初はそれに近いことをやってみたんですけど、初日で「無理だ」と思って。そこからは毎日カフェでのティータイムを挟みながら街宣に回っていました。
実際に「朝から晩まで」をやれる人はごくわずかだし、生活者ネットの中でも高齢化や人手不足で、これまでのような形の選挙戦がやりづらくなってきているんですね。それで、年代が上の人たちからも、「従来の形にこだわらなくてもいいんじゃないか」という声が出てきていました。上の世代と若い世代が、互いを見ながら変わっていくという、思わぬ相乗効果が私の選対の中で起こっていたんです。
ブランシャー 朝から晩まで飛び回るような従来型の選挙運動だと、会社で働いている人や赤ちゃんがいる人の立候補は難しいですよね。すべてを捨てて頑張るか、立候補をあきらめるかの二択しかなくて、だから特に女性は選挙に出づらくなる。私たちが違う形の選挙をやって「大丈夫、それでも当選できたよ」っていう姿を見せていって、4年後には「じゃあ、私でも出られるのかな」と思う人が増えたらいいなと思います。
私はもともと政治家になりたかったわけではないし、脱炭素化社会っていう目標を実現してくれる人が他にいれば、いつでもバトンを渡したいと思っているんですね。もちろん、当選したからには一生懸命やるつもりだけど、次の世代の人もどんどん入って来てほしいと思っていて。だから、その人たちのために「やりやすい選挙」の形を作っておきたいという思いもあります。
鈴木 私は、従来型の選挙と新しいやり方とのバランスが大切じゃないかなと感じました。従来型の選挙戦にも、いいところはたくさんあると思うんです。たとえば、毎朝駅前に立つ「駅立ち」も、効率よく自分の主張を届けられる手法だなと感じました。私自身、「今日もいるね」とか、よく声をかけてもらいましたし。
それと、これまでにも地元で選挙に関わってきた、比較的高齢の方たちの中からも「手伝いたい」と言ってくれる人たちがいたので、その人たちをちゃんと受け入れたいということも考えました。私は電話かけもやらない予定だったので、正直なところ来てもらっても仕事があまりない。でも、「街宣に出るのは体力的にしんどい」という人たちにも手伝ってもらいたい、選挙戦自体も「誰ひとり取り残さない」スタイルでやりたいと思ったので、当初はいらないと考えていた選挙事務所を借りることにしました。手伝ってくれる人たちの休憩スペースを確保して、予定していなかったハガキ送付もやることにして。ビラ折りやポスター貼りの事前準備なんかも、みんなでお茶を飲みながらやってくれましたよ。
中島 それはすごく重要なポイントですね。今の社会って、多くの人が社会の中での自分の「役割」を見つけられずにいるんだと思うんです。鈴木さんの事務所に来たおばあちゃんはきっと、鈴木さんが当選したときに「これは私が手伝ったからだ」と思えたでしょう。おのさん、ブランシャーさんの周りにも、「私がいたから通ったんだ」という人はきっとたくさんいたはずです。その関係性はとても大事だと思うし、選挙に限らず、そうした「役割」を誰もが見つけられる社会を、どうつくっていくかだと思います。
おの 「自分がいたからこれができたんだ」って思えることは、すごく意味のあることですよね。逆に、そう思えなかったら「自分なんていなくていいんだ」と思ってしまうかもしれません。
ブランシャー明日香さんの運営するカフェ「カワセミピプレット」にて