第79回:「子ども脱被ばく裁判」傍聴記「国は子どもを守れないのですか?」(渡辺一枝)

 新しい年が明けて、はや1月も終わろうとしています。
 新年早々の能登半島地震の報を受けて咄嗟に思ったのは、「原発は?」ということでした。13年前の福島を体験している私たち誰もが、きっとそうだったのではないでしょうか。とりあえず、原発事故は無く過ぎていますが、被災者の方たちの置かれている状況を想像すると、胸が痛くてなりません。
 2024年もまた裁判傍聴や集会の報告、ふと心によぎったことなどを綴っていきますが、どうぞお付き合いくださいますようお願いいたします。まずは、昨年暮れの裁判傍聴記、お読みいただけたら嬉しいです。

 昨年12月18日は仙台高裁で「子ども脱被ばく裁判」の判決がありました。開廷は午後3時ですが、昼前に元鍛冶丁公園で「ミニ集会」、集会後は市内アピール行進をして、午後1時から弁護士会館で「裁判前決起集会」が持たれました。私は決起集会から参加しました。
 決起集会では各支援団体からの挨拶・メッセージがあり、「声を出すことが困難な福島県で裁判に加わってくれた原告の皆さんに感謝したいです。皆さんが声を上げてくれたからこそ、ここまでの闘いができました」と挨拶された「脱被ばく実現ネット」さんの言葉に、私は胸が熱くなりました。湖東記念病院冤罪事件被害者の西山美香さんも挨拶されました。

※この裁判については、第45回第50回第53回第71回などをお読みください。

「子ども脱被ばく裁判」

 以前のコラムでも書いたように、「子ども脱被ばく裁判」は「子ども人権裁判(行政訴訟)」と「親子裁判(国家賠償請求訴訟)」の二つから成る。県内の自治体に対して、「子どもたちが被ばくの心配のない環境下で教育を受ける権利が保障されていることの確認」を求めた子ども人権裁判は昨年2月、仙台高裁で敗訴。同じ仙台高裁で「親子裁判」の控訴審が続いていた。
 この親子裁判は原発事故後の国や県の対応が、県内の子どもたちが無用な被ばくをせずに安心して日々を過ごすことができるようなものであったかどうかを問う裁判で、仙台高裁での判事は石栗正子裁判長他2名。石栗裁判長が下した過去の判決例を見ると首をかしげたくなるようなものばかりで不安はあったが、法廷での裁判長の言動は、原告の言い分に耳を傾けているように思えていた。また代理人弁護士に対しても準備書面をしっかり出すように促したりしていたので、一審の遠藤東路裁判長のように原告の主張に全く目を向けずに判決を下すことはなく、双方の言い分をしっかり審理するだろうと期待する思いもあった。
 人権裁判での石栗裁判長が下した判決も、「却下」と主文を読んだだけで退場するという酷いものだった。しかし、今期で定年退官するというのだから、これまでは保身のために不当な判決を書いたかもしれないが、最後には良い判決を書くかもしれないと、私は微かな、微かな期待もした。
 しかし、そんな期待を抱いた私は、なんて甘っちょろくノーテンキなことだったかと恥じている。
 これまでと同様、いやこれまでにも増して、全く酷い判決だった。
 裁判前集会で、弁護団長の井戸謙一弁護士から、このような発言があった。
 「人権裁判では判決主文を読んだだけで閉廷したので、今回はどのような判決になるかは判らないが、法廷では主文だけでなく必ず理由も読み上げて欲しいと伝えてあります。仮に判決が我々の意に沿わないものだったとしても、傍聴席から反対の声は上げずに理由まですっかり聴くようにしてください。途中で傍聴席から抗議の声が上がると退場させられたり、裁判そのものを終わりにして理由を言わずに退場されてしまうことがあり得ます。そうであっても後で我々が入手した判決理由を後で皆さんに伝えることはできますが、できれば法廷で直接裁判長からの言葉を聞いてください。それを聞いた後でしたら傍聴人は何を言っても構いませんが、開廷中は傍聴席は静かにしているルールを守ってください」
 この段階では、弁護団にもどのような判決になるかはわかっていなかっただろう。
 全く酷い判決が下されたこの日の法廷の様子をお伝えしたい。裁判長の人となりが知れると思うから。

2023年12月18日午後3時、判決読み上げ

 この日はテレビカメラの撮影が入ったので、裁判官が入廷した時にも傍聴席は起立せず着席のままで、撮影が終わるのを待った。そして書記が「令和3年行政訴訟国家賠償請求事件第9号」と告げると、裁判長は「開廷します」と言って判決文を読み上げた。

主文
 「1、本件控訴をいずれも却下する。2、控訴費用は控訴人らの負担とする」

判決要旨(文章は読み上げられたそのままではなく、私が要約している)
 「控訴人らは国や県の違法な事故対応で無用な被ばくをさせられ、将来健康不安を生じるなど精神的苦痛を味わったとして国家賠償法に基づき一人10万円及び遅延損害金の支払いを求めている。
 控訴人らは国賠違法事由として、①被控訴人らがSPEEDI等の情報を隠蔽したこと、②被控訴人らが本件子ども控訴人に安定ヨウ素剤を服用させることを怠ったこと、③被控訴人らが20mSv /年までの被ばくを強要したこと、④被控訴人らが子どもらを集団避難させることを怠ったこと、⑤国がオフサイトセンターの整備を怠ったこと、⑥被控訴人らが周辺自治体との間でSPEEDIの計算結果の情報共有を怠ったこと、⑦県が放射線健康リスク管理アドバイザーに委嘱した山下俊一の発言を放置したことを挙げて主張している。
 原審が控訴人らの主張について、いずれも国際法上違法でないとして請求を却下したところ、控訴人らが控訴した」
 と、控訴審までの流れを読み上げ、次に「判決の理由の要旨」を読み上げた。それは次のような内容のものだった。
 「1、控訴人らが賠償を求める精神的損害は、原賠法(原子力損害賠償法)所定の損害に包摂されないものであって、被控訴人らの違法な事故対応によって生じた無用な被ばくに係る損害賠償を主張しているから、原発事故と因果関係がある損害を生じさせる被ばくとは異なる被ばくをしたことにより生じた損害を主張すべきだが、被控訴人らの違法な事故対応で、上記被ばくがどのように、どの程度生じたかについて主張していないばかりか、国賠違法事由①〜⑦を全体としてみても何ら主張しておらず、本件原発事故と相当因果関係がある損害を生じさせる被ばくとは異なる無用な被ばくの存在の主張立証はされていないから、主張自体失当である。
 2、SPEEDI情報は、長期間の避難を想定する時には避難指示を決定することは困難で、SPEEDI予測計算の結果も正確性が高いと言えず、放出源情報(いつどれだけの放射性物質が放出されたかという情報)も確実性がない。確実性がない情報を公表した場合、住民に無用な不安を与えたり、混乱を招く可能性がある。伝達すべき情報の内容及び方法について、被控訴人らに裁量権の逸脱・濫用があったとはいえない。
 3、安定ヨウ素剤予防服用に係る検討・措置について被控訴人の担当期間の判断が不合理だったとはいえない。
 4、文科省の4月19日の通知、5月27日及び8月26日通知で示した『福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方』は、目的・方法・効果いずれの点でも不合理とはいえない。
 原子炉規制法及びその関連法令では原発周辺の監視区域外側での実効線量を1mSv /年と定めているが、これは平常時の運転状況での線量限度を定めたもので、原発事故のように被ばくの大きさや範囲を合理的に予測が困難な状況発生時で緊急の対策を必要とする場合にも妥当とするものではないから、本件原発事故発生時での学校教育現場では、子どもたちの被ばく限度を炉規法及びその関連法令に従って定めるべきということはできない。
 3月29日付福島県教育委員会通知は、県立高校の始業日・入学式について県教育委員会が示したのであって、各市町村小中学校の始業日等の方針を示したのではない。国が示した暫定的考えが不合理とは言えず、県の上記通知で子ども控訴人らの被ばくリスクが特別に上昇したという具体的事情は見当たらず、県内各市町村教育委員会が新学期の開始時期を、3月29日付県教育委員会通知に沿う判断をしても違法があったとはいえない。
 5、山下俊一の発言は控訴人ら各自の避難行動への具体的影響について主張立証をしていないから、県が山下発言を放置したことが控訴人らとの関係で違法であるというのは困難である。山下俊一は福島県の公務員ではなく、その行為が県の行為と言うべき地位にあるものでもないから裁量権の逸脱・濫用があったということはできない」

その時101号法廷は

 石栗裁判長が主文を読み始めると、すぐさま傍聴席からは「ナンセンス!」と抗議の声が上がった。傍聴席から声が上がったりすると、裁判長はそれを制したり退廷を命じるのが普通だが、石栗裁判長は顔を上げて傍聴席に目を向け一瞥しただけで、「静粛に」とも言わずにまた書類に目を戻し、淡々と続けて理由を読み上げ始めた。
 裁判前集会で井戸弁護士の注意はあったが、傍聴席からはもう堪えきれずに次々と声が上がった。「後付けだ」「忖度したのか!」、石栗裁判長は抗議の声がしたほうに一瞬目を向け、すぐまた書面に目を戻し、読み続ける。その声の調子は乱れることもなく平然としている。先を読むたびに傍聴席からは「酷い!」「不当判決」「人でなし」「こんな判決認めない!」「恥を知れ!」「委嘱された山下は公人だ」「子どもを守れないのか!」などなど抗議の声が上がったが、その度に裁判長は傍聴席を一瞥して表情ひとつ変えずに、すぐまた書面を読み続けるのだった。
 言い淀むことなく最後まで読み、粛々と「閉廷します」と告げた。傍聴席は怒号に包まれ、誰もがすぐには立ち上がれなかった。
 私は、恐ろしさに声も出なかった。あの人は血の通った人間だとは思えなかった。傍聴席から抗議の声が上がるたびにちらと一瞥するだけで、また淡々と書面を読み、表情も変わらずに鉄面皮のようで、声色にも動ずる気配なく、まるで冷徹なロボットのようにしか思えなかった。つくづく恐ろしい人だと感じた。

高裁前、旗だし

 高裁の門前に原告団が旗を掲げて立った。原告の長谷川さんが「不当判決」を、今野さんと荒木田さんは「またもや司法は子どもを護らず」の旗を掲げた。杖をついた佐藤美香さんも立った。
 カメラのシャッター音が響く中で、原告代表の今野さんは「国や県の主張をなぞっただけの呆れ果てる判決。受け入れるわけにはいきません。上告して最後まで闘います!」と宣言した。
 共同代表の水戸さんはカメラを構えながら「美香さん、顔をあげて。私たちは負けてないよ! 判決はあんなだったけど、私たちはこの裁判で負けていないよ。裁判で明らかになったことがたくさんある。私たちは負けていないよ。勝っているよ」。水戸さんの言葉に美香さんは顔をあげ、そして言った。
 「悔しいけど、頑張りました。また頑張ります。思わず法廷で叫びました。『お子さんがいますか? 国は子どもを守れないのですか?』。
 今日、出かける時次男と握手をしてきました。次男は力強く握ってくれました。今日は残念な結果になったけれど、また皆さんと共に闘います。私は病気を持っていて強度の貧血もありますが、これからも闘います。勝つことしか考えません。体が続く限り、子どもを守ります。私の宝です」
 長谷川さんは「今日は親父の遺影を持ってきました。みんなの思いを背負っていることを改めて感じました。脱被ばくの問題は、簡単にまとまる話ではないと思っています。それを成し遂げる過程に、この裁判があると考えています。その過程が少し先に延びた、自分の命をそこに費やす時間が増えたのだと思っています」と言った。
 それから裁判所門前にはシュプレヒコールが響いた。
 「裁判長、恥を知れ!」「子どもたちに恥ずかしくないのか!」「どこをみてるんだ! 国しか見ないのか!」「恥ずかしい判決を残すな!」「石栗裁判長、許さないぞ!」「不当判決弾街!」「不当判決、許さないぞ!」「子どもを守れ!」「勝つぞ!」「勝つぞ!」
 燃えたぎる憤りを抱えたまま、報告集会が行われる弁護士会館へ向かった。

記者会見・報告集会

 記者会見および報告集会での弁護団の発言を、以下にまとめる。

*井戸弁護団長
 論理の破綻をいくつも指摘できる。極端な言い方をすればボロボロの判決という印象だ。石栗裁判長は、国や県の原発事故対応による「無用な被ばく」というのがどの程度なのか具体的に立証しろというが、高裁がこの点を問題視するのであれば、「行政の不作為によって、どれだけ被ばく量が増えたのか具体的に主張せよ」と、求釈明をすべきだ。だが控訴審では、裁判所からそのような求めは、全くなかった。この点で結論を出そうとしたなら、主張立証をさせなければいけない。釈明義務違反であり、非常に卑怯なやり方だ。

*古川健三弁護士
 SPEEDIの情報について、予測計算を根拠として避難指示を決定するのは困難であり、予測結果も正確性が高いとはいえない、確実性が高くない情報を公表すると無用な不安を与え混乱を招くと被控訴人はいう。予測なのだから、ある程度の幅はあるだろう。しかし、高裁判断は予測に基づいて住民が避難することを、根底から否定している。それでは原発事故発生時には、確定した測定結果に基づいて避難するしかなくなってしまう。それでは遅い。こんな判決では、放射線防護は成り立たなくなってしまう。

*田辺保雄弁護士
 文科省通知は2007年ICRP勧告が示す参考レベルを踏まえ、より安全側に立って毎時3.8マイクロシーベルトという暫定的な目安を導き出したもので、年20ミリシーベルトまでの被ばくを許容したものではないというが、子どもに緊急時被ばく状況の参考レベルを適用するのはおかしい。砂埃が舞う学校で子ども達に教育しても良いのか、そのことを少しでも考えているのか、憤りを禁じ得ない。

*柳原敏夫弁護士
 「山下発言は、のちに訂正される部分があったものの、講演ないし記者会見の全体としてみれば、科学的知見に著しく反する内容であるとはいえず、放射線に対する警戒心を解き、県外へ避難することによる混乱を回避するなどの意図があったと認めることはできない」と判決は言うが、この言葉を理解できる人がいたら、ノーベル賞ものだと呆れ返る。

◎子ども脱被ばく裁判の会ホームページ
 その後、子ども脱被ばく裁判の会のホームページに、弁護団長の井戸弁護士からと、会の共同代表の水戸さんからの報告が掲載された。ぜひお読みいただきたい。

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。