【寄稿】生まれ持った姓名で生きられる日本へ 国連アドボカシー奮戦記(栗田路子)

 さる10月17日、女性の人権に関する「世界の憲法」とも言われる女性差別撤廃条約の履行状況を審査する女性差別撤廃委員会がスイス・ジュネーブで開催されました。同委員会は、夫婦同姓を強制することはジェンダー平等を謳った同条約違反だとして加盟国に法改正を促しており、日本にも20年以上も前から法改正の勧告を出し続けています。さらに今回の委員会では、日本政府が8年ぶり、6回目の審査対象に。そこで、あと一押しと言われながら一向に進まない選択的夫婦別姓の導入を、国連という「外圧」を使って前に進めようと、はるばる陳情に出かけた女性たちがいます。選択的夫婦別姓実現とジェンダー平等を推進する一般社団法人「あすには」。そのグローバルチーム・ジュネーブ隊長だった栗田路子さんに、レポートを寄稿していただきました。

 人生この年になるまで、国連に出かけて陳情するなんて、考えたこともなかった。曲がりなりにもジャーナリストの端くれである自分は、取材する側になることは想像できても、自分が陳情の主体になるなんて思ったこともなかったのだ。さて、国連で陳情すると言っても、ノコノコ国連まで行って何をするのか――誰も教えてくれない。手探りで始めるしかなかった。

とうとうやって来た、国連ジュネーブ! でも内心は不安が渦巻く……@あすには(左から3人目が栗田さん)

なぜ私が国連へ?

 「夫婦別姓」に関して振り返れば、私自身は1996年に法制審議会が選択的夫婦別姓制度を含む民法改正案を答申した時、「苗字を変えなくても結婚できる!」と心震わせた世代だ。だがその後、日本は長い長いトンネルに入ってしまい、私はといえば運と縁の間で、「姓」を取り巻く非合理にあえぐ日々を送った。初婚で姓を変えたものの夫にはあっけなく急逝され、一念発起して留学しようとすると姓が異なる文書で何度も躓かされ、再婚では、復氏届との順序が逆に記載されて戸籍は意味不明となり、その後も養子縁組など法律上の姓名が必要な局面ではいつも冷や汗をかかされた(詳しくはこちらのインタビューに)。

 結局、「婚姻は姓名に何ら影響しない」国・ベルギーで人生の後半戦を生きる中で、他の国々ではどうなのか、なぜ日本女性だけがこんな理不尽な目に遭うのかと考えるようになった。しかし調べていくと、どこの社会でも程度の差こそあれ、もともとは家父長制的な価値観が根強く、女性が姓名を自己決定できるようになるまでには幾重ものハードルがあったことがわかった。それが女性の政治参加や人権回復努力を積み重ねるうちに、国連が定めた国際婦人年(1975年)や女性差別撤廃条約(1979年)などがカンフル剤になって、多くの国で出生時の姓を維持することが可能になってきたという「フェミニズム近代史」が浮き彫りになった。
 こうした私的な関心もあって2022年、海外在住のライター仲間に声をかけて、欧米、アジア計7カ国の結婚と姓をめぐるレポート『夫婦別姓──家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)を企画執筆した。その時に出会った井田奈穂さん(現在、選択的夫婦別姓実現とジェンダー平等を推進する一般社団法人「あすには」代表理事)から、「あすには」のグローバルチームに加わってほしいと声をかけられたのは法人設立時、昨年7月ころのことである。
 「あすには」のグローバルチームは、国際機関で働く現役職員か人権法の研究者がほとんどの精鋭揃い。私がやれるのは英語・仏語資料の翻訳くらいかなと思ったら、2024年にジュネーブ国連欧州本部で行われる女性差別撤廃条約(CEDAW)の日本政府審査に対して直接陳情を行いたいという。前回の2016年、杉田水脈自民党議員(当時)が乗り込んで、ブログでマイノリティ女性を揶揄し、後に人権侵犯認定につながったあの舞台だ。この年でそんな責任の重い仕事ができるのかという迷いもあったが、思い切って引き受けた。

『夫婦別姓──家族と多様性の各国事情』。この本を企画したことが、井田奈穂さんとの出逢いとなった

まず何から?

 国連に陳情するといっても、何からどう手を付ければいいのか、誰にもわからない。まずは自分たちの主張を整理する作業が必要だ。毎年3月、ニューヨーク国連本部では女性の地位委員会(CSW)が開催され、多くのイベントが同時に行われる。その一つに登壇することにして、2023年末から準備を開始。これがグローバルチームとしての初仕事となった。
 その後、夫婦別姓に関する当事者ケースを盛り込み、係争事実を掲載し、脚注や参考文献を整えて「My Name, My Choice, My Right」と題したカラー20ページの冊子を作成。これが国際陳情活動の土台となり、世界中の大使館などに一斉配布することで、夫婦同姓を強制する世界最後の国「日本」の知名度を広めた。

あすにはのパンフレット「アドボカシーブリーフ」。このカラー冊子は、世界中の大使館や、国連内では委員やジャーナリストにくまなく配られた@あすには

 「あすには」は当事者800人の会員を抱える一般社団法人。ジュネーブ隊は手弁当を覚悟していたものの、記者会見などを考えれば資金は必要だ。6月末、クラウドファンディングに踏み切った。返礼品の目玉は「皆さんとともにジュネーブに行きます!」と支援者名を全て入れ込んだTシャツ。とても無理と思われた目標の1000万円は、締め切り数秒前に達成された。

研究と防御は抜かりなく

 前回の杉田水脈氏の一件を鑑みるに、右翼の動向が気になった。そこで、SRHR(性と生殖に関する健康と権利)を訴える国際協力NGO「ジョイセフ」さんらと相談して、宗教右派の動きなどに詳しい文化人類学者の山口智美先生(立命館大学教授)による勉強会を開催した。宗教右派によるジェンダーバックラッシュがあらゆるジェンダー政策へのブレーキになってきたことは、先生の著書やYouTube番組などで承知していた。だが、2000年頃から、右派勢力が戦略的に国連に照準をあて、ノウハウや陳情を重ねていたことは、勉強会で初めて知った。彼らは国連を「リベラル市民団体と結託して日本を貶めようとする左派組織」とみなしているのだという。
 女性差別撤廃条約に基づく審査は、各加盟国から推薦された人権に関する専門家委員23名によって行われる。それぞれがどんな経歴の持ち主で、女性の人権の何に興味を持っているかなどを分析してくれたのは、日本に残る「あすには」のメンバー(お留守番隊)だった。23名の中から日本担当者を探り出し、そのリーダーや担当する条項を突き当てるのはまるで探偵作業。ネパール人のバンダナ・ラナ委員がリーダーらしいと突き止めると、何度も接触を試みて、アドバイスをいただいた。「A4一枚のちらしに、何をどう勧告してほしいか一目でわかるよう書いて」と提案してくれたのもラナさんだった。ラナさんとは最後には、感謝の言葉を添えたカードを届けるほど親密な関係を築くことができた。

不眠不休でレポート提出

 ジュネーブでの日本政府審査は陳情活動のクライマックスではあるが、2016年の勧告以降、日本政府とCEDAW委員の間では、何度も報告書などでのキャッチボールが行われている。日本政府は、当然ながら都合のよいことだけを報告するから、CEDAW委員たちにとってみれば、厳しく監視しているNGOによるレポートは貴重な情報源だ。俗に市民社会レポート(英語ではSubmission、Shadow report、Counter report)と呼ばれるこの提出物を、委員は真剣に読みこんでくれて、日本政府が何を怠っているのか、問題のすり替えはどこにあるのかなどに目を光らせる。
 委員からNGOへのヒアリングと質疑応答は、日本政府審査に先立つ10月14日(月)午後の非公式公開会議、16日(水)午後 の非公開ランチタイムブリーフィングの2度のチャンスのみだ。日本からは約40団体が口頭陳述を希望し、約150人が傍聴しているから、14日と16日の各NGOの発言枠は、30秒、50秒などと極めて短い。UN TVカメラが入る14日にはバッシングを恐れて発言を避ける団体もあるから、TV露出だけでは日本はいやに右派NGOが多いと感じさせかねない。

非公式公開会議では、「あすには」の発言枠はなし。日弁連が夫婦別姓イシューを報告してくれた

 一方、14日や16日の会議の前後には、想像以上に委員との個人的な接触が可能で、委員側からも様々な質問が投げかけられた。わがチームは、会議室内で、カフェテリアで、宿に戻ってからも、追加調べしてレポートをまとめ続けた。その内容は、夫婦別姓を超えて幅広い。たとえば、「ジェンダー平等の政府方針(第5次男女共同参画基本計画)をどう評価する?」「婚外子差別は今もある?」「女性が金融面や高等教育で不利なことは?」「新しいジェンダー平等担当大臣(男女共同参画を担当する三原じゅん子大臣のこと)はどう?」「女性の就学や政治参加についてのデータは?」。まるで早押しクイズのように猛スピードで委員に追加情報を出し続けた私達は、審査の当日にはへとへになった。
 ちなみに委員からはこんな質問もあった。「女系天皇を求めるNGOが来ないのはなぜ?」。他の国では王位の女系継承を求めるNGOがいるのに、日本では男系継承を是認する団体だけがいるのを不思議に思ったらしい。


疲れを知らぬ「あすには」ジュネーブ隊は来る日も来る日も追加レポートを出し続けた

CEDAW委員はアドバイザー

 そして17日(木)は朝から終日5時間以上にわたり、日本政府代表団とCEDAW委員の間での質疑応答が行われた。日本語では「審査」と呼ばれるが、専門家の委員たちが政府代表と対話しながら、女性差別のない社会を作ろうという「建設的対話」(Constructive dialogue)の場だ。
 壇上に議長と日本政府代表団が座り、厳かな雰囲気の中で日本審査が始まる。この日、NGOにできるのは、委員からの鋭い質問に耳を傾け、政府代表がどれほど的外れな回答をするかを、固唾をのんで見守るだけ。撮影も意見表明も許されない。

壇上に盲目のスペイン人議長Paláez Narváez氏と政府代表団の岡田恵子氏(男女共同参画室局長)、中央にCEDAW委員団、向かって左側に40人弱の日本政府代表団が陣取る。写真では向かって右側に陣取る夥しい数のNGOの姿は見えない©UN TV

 条約の項目に沿って、日本担当の委員たちが「私達はこう聞いたが、これはどうなっているの?」と具体的で厳しい質問を投げかける。これに対し、政府代表は準備してきた回答文書を棒読みする。委員は私達が提出した市民社会レポートや、前日までに届けた追加情報を元に即興も含めて矢継ぎ早に質問するから、日本を出る前に官僚が徹夜して準備してきた回答と、かみ合うはずもない。日本では聞き慣れた「ご飯論法」や壊れたテープレコーダーのような回答は、ここではため息を誘うだけだ。
 議長は、途中何度も政府代表の回答に対して苦言を呈した。官僚が「繰り返しになりますが…」と同じ文章を再び読もうとすると、それを制して「聞かれたことに答えてください。繰り返して読む必要はありません」。慰安婦問題について聞かれ、もう解決済みかのように返答する政府代表に対しては「その問題は終わっていません、今も続いていると聞いています」とぴしゃり。いつまでに? と尋ねられても、「タイムラインは申し上げられません、検討します」としか言えない政府代表。その様子は、親の叱責をかわそうとして言い訳を繰り返す子どものようで哀れとも映った。
 極めつけは「皇統の女性継承を可能にする法改正はしないのか」と問われた政府代表が内政干渉だと反発した時だった。右派団体からこの答弁に拍手喝采が起こると、議長は厳しい口調でそれをたしなめたのだ。「静粛に。あらゆる表現は慎むべき」と。会場は異様な雰囲気に包まれた。

委員たちの質問が続く。口火を切ったのは我らがバンダナ・ラナ委員(写真上)、選択的夫婦別姓が含まれる条約16条家族法関連を問うゴンザレス・フェレル委員(写真中)、前半最後に担当を飛び越えて夫婦別姓に言及してくれたランギタ・デゥシルバ・デゥアルウィス委員(写真下)

 この「建設的対話」の席には他国では大臣クラスも参加して、弁明・対峙ではなく、「専門家の智恵を借りる」姿勢で臨むのだという。日本からの傍聴者数が飛びぬけて多いのは、条約に付随する選択議定書(人権侵害された個人が国内で救済されない場合、直接国際機関に訴えることができる制度などを定めるもの)をいまだに批准していないからとも言われる。何度勧告されても批准を渋り、そのため個人通報制度も、独立した人権機関や包括的な差別禁止法もない――つまり、日本の市民にとっては国連が唯一の駆け込み寺化しているからだと、ある学者から指摘された。

法的拘束力は「ある」!

 日本審査翌日に委員会から出された速報では「選択的夫婦別姓」はタイトルにも掲げられ、10月29日に出されたプレスリリースでは、日本についての2段落のうち、1段落が丸々選択的夫婦別姓に費やされた。最終見解(Concluding observation)では、条約の項目順に勧告されるが、選択的夫婦別姓のための法改正は真っ先に優先すべき4つのフォローアップ項目の一つに入れられた。「世論が分かれている」や「通称使用の拡大」という政府の言い訳にはひと言も触れず、日本政府は「(夫婦同姓を義務づけた)民法750条の改正になんの措置もとってこなかった」と一蹴したのだ。「姓名は女性にとってアイデンティティであり、職業と雇用にも悪影響を与えている、民法750条を改正して生まれ持った姓を持続できるようにすべき!」と。
 快挙! 委員に私達の陳情は伝わったのだ!最終見解を受けての11月1日。私達は「ジョイセフ」とともに、オンラインを含めたハイブリッド記者会見を開催。多くの国内外のメディアが取り上げた。涙がこみ上げる!
 それにしても、メディアのほとんどが、判で押したように「(勧告には)法的拘束力はない」という文言を添えるのはなぜ? 直前9月25日に実施された内閣府主催の「国連女性の地位委員会(CSW)等について聞く会」でも、登壇した谷口洋幸青山学院大学教授、元CEDAW委員の林陽子弁護士、日弁連の杉田明子氏が、「批准した国際条約は、その国全体に法的拘束力を持つ」と明言したにもかかわらず。
 これではまるで、メディアが政府側の国際条約軽視に加担し、自らの記事や番組に「価値はない」と言っているようなものだ。裏話を聞くと、右派の攻撃をかわすためにこの文言を免罪符のように入れるのだという。
 こんな体たらくを見透かしたかのように、今回の勧告では、条約の意味解釈や適用が進んでいないから改善策を、との指摘も加えられた。そろそろ法的拘束力は「ある」と言い切ってほしい。
 今回、若い仲間たちと共に国連陳情に参加できたことは、わが人生の大事な宝物となった。日本のNGOの多くで高齢化が進む一方、外国語やデジタルツールを当たり前のように使いこなしてサクサクと陳情できる若い世代を目の当たりにした今、世代交代は待ったなしだ。次回は早くても8年後。いや、新世代のアドボカシーが成果をあげれば、ここに再びやってくる必要はなくなるのかもしれない。それを願おう。


今回「あすには」は、あすには+ジョイセフ(写真上)として合同記者会見や単独レポート提出を行うとともに、JNNC(日本女子差別撤廃条約NGOネットワーク、写真下が集合写真)にも参加

くりた・みちこ ベルギー在住30年。コンサルタント、コーディネーター業の傍ら、論座、PRESIDENT ONLINEのほか、環境や消費財関係の業界紙などに執筆。得意分野は人権、医療倫理、LGBTQ、気候変動など。IFJジャパンフリーランスジャーナリストユニオン事務局。海外在住ライターによる共同メディアSPEAKUP OVERSEAsを主催。共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)『夫婦別姓──家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)がある。

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