これまで毎月書き続けてきた「メディア時評」を衣替えして「『今月の論点』――新聞、テレビを斬る」と看板を変えた。しかし、日本のメディアの在り方に厳しい目を注いでいくことに変わりはない。末尾にその月にちなんだ「シバテツ事件簿」を付け加える。
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今月の論点は、なんといっても日本国憲法だろう。日本の憲法ほど不思議な存在はないと言われる。「人類の理想」を先取りした9条のユニークさもさることながら、与党が改憲派で野党が護憲派という世界の常識と逆転しているうえ、制定以来一度も改定されていないという点も世界に例がない。
その日本国憲法が制定70周年を迎え、今年は憲法がらみの記事や番組が例年よりひときわ目立った。そのなかで話題をさらったのは、5月3日の読売新聞が1面トップで報じた安倍首相の単独インタビュー記事で、「9条の1項、2項を残して自衛隊の存在を追加する」という改憲を、東京オリンピックの2020年に施行するという提案だった。
読売新聞しか報じていない記事だから大スクープだと言えば言えるのかもしれないが、なんとも『異様な』記事だったのだ。第一に、憲法改定の発議権は国会にあって内閣にはないのである。その国会の憲法審査会がようやく動き出し、改定項目の絞り込みにかかったところなのに、それとはまったく違う内容の改憲案を、しかも期限まで示しての提案なのだ。
これには、自民党議員も含めて国会議員が怒ったのも無理はない。さっそく国会で追及され、安倍首相は「あの提案は自民党総裁として自民党員に対して示したものだ。この場では首相として立っているので」と言って、答弁を避け、「私の考えは、読売新聞をよく読んでほしい」とまで言ってのけたのである。
これには「国会軽視だ」と議員たちはますます怒っただけでなく、読売新聞まで困った状況に陥った。安倍首相にとって読売新聞は自民党の機関紙のような存在なのか、と思い知らされたことと、読売の記事には「首相インタビュー」と大見出しがついており、安倍氏が「総裁としての提案だ」と言ったのかどうか、言ったのに読売が聞かなかったのだとしたらそれはなぜか、といった問題まで浮上したからだ。
提案内容も異様と言えば異様だ。安倍試案は公明党の「加憲論」に乗ったものだろうが、9条の2項「戦力は保持しない」を残して、自衛隊の存在を明文化する条文を追加するなんて、そんなことは論理的にできないと断言してもいい。
安倍試案を受けて自民党内にも「論理的に無理だ」という意見もくすぶっているようだが、なにせ「安倍一強」で異論は表面化せず、総裁の提案通り年内に自民党としての提案をまとめるという方向に動き出した。
しかし、これまでに出てきていた自民党改憲案では、いずれも9条の2項を改定して国防軍を持つとしており、安倍試案に基づくどんな自民党案が出てくるのか、注目して待ちたい。また、これまで自民党内では、9条の改定には国民の反対が根強いから「あとまわしにしよう」という意見が多かっただけに、その点もどうするのか、注目しよう。
「安倍試案」に乗るかどうか、迷い出した読売新聞?
「安倍改憲試案」を『スクープ』した読売新聞は、その日の紙面に「自公維で3年後の改正目指せ」という一本社説を掲載した。安倍試案に乗って「改憲を急げ」という『社論』を打ち出したのである。
ところが、その後の読売新聞への風当たりの強さや「9条2項を残して自衛隊を明記」は論理的に無理だと気付いたためか、安倍試案に乗るべきかどうか迷い出した気配が見て取れる。たとえば、5月11日の3面に載った「戦力不保持、整合性カギ」という大きな記事は、その迷いを端的に表したものだといえよう。
もともと読売新聞は改憲に最も熱心な新聞だった。1994年に憲法全文の「読売改憲案」を発表し、その後2回修正しているが、いずれも9条2項を改定して正規の軍隊をもつとしている。この読売改憲案を取り下げて安倍改憲案に乗り換えるかどうか、その後の読売社説を見ていると、どちらとも決めかねているようだ。
もう一つ、読売新聞のジレンマは、9条の改定に反対が強い国民世論との食い違いをどうするか、という問題である。読売新聞は、9条の改定に賛否を問うと反対が多く出るため世論調査の設問を2004年から3択に改めた。①これまで通り解釈と運用で②解釈と運用では無理があるので改正する③厳密に守り解釈と運用には頼らない、の3つから1つを選んでもらう方式だ。③は自衛隊を災害救助隊にする、というようなことだ。
9条の改定反対者を①と③に分断して、②が一番多くなるように仕掛けたわけで、最初は思惑通り②が一番多かったが、安倍政権になって改憲が近づくや②より①の方が多くなった。最新の世論調査では①42%②35%③18%で、①と③を足すと60%が反対なのだ(ちなみにNHKの世論調査でも賛成25%、反対57%)。
憲法改正には国民投票という高いハードルがあり、9条改定反対の国民世論をどう乗り越えようとするのか、自民党にとっても読売新聞にとっても勝負どころであろう。いずれにせよ、日本の「国のかたち」が変わるかどうかのカギは、国民が握っているのである。
加計学園問題が『文科省文書』の急浮上で、大炎上!
今月の論点はもう一つ、森友学園問題に続いてくすぶっていた加計学園問題に火がつき、大きく燃え上がったことだ。森友学園は安倍首相夫人の口利きで財務省が国有地の払い下げに便宜を図った疑惑だが、加計学園は安倍首相の親しい友人の経営する大学に獣医学部を新設することに文部科学省が便宜を図った疑惑である。
文科省が作成したとみられる「総理のご意向」などと記された文書のあることを朝日新聞が報じ、民進党も入手して国会で追及して一気に火がついた。政府の官房長官は「怪文書の類」と切り捨て、文科相は「調査する」と答弁した後、僅か2日間の調査で「確認できなかった」として、必死に火を消そうとした。
ところが、またまた、ところが、である。先日まで文科省の事務方のトップだった前事務次官の前川喜平氏が記者会見して「文科省が作成した文書に間違いない。専門教育課から次官室で説明を受けたときに渡された文書だ」と証言したので、また大きく燃え上がったのである。それでも政府・与党は怪文書だの一点張り。
それではと、民進党や野党の各党から前川氏の証人喚問を要求したのに対し、前川氏も出ると言ったのに、自民党がまたもや拒否。森友学園問題と同じような構図になった。証言者の発言を否定しながら、証人喚問を拒否するというのは、どちらがウソをついているのか想像がつく話だ。
それだけではない。内閣官房からだと思われる「前川前次官は出会い系のバーに通っていた」という情報が読売・産経新聞にリークされ、記者会見前に読売新聞の社会面に大きく報じられた(産経新聞は報じなかった)。前川氏の信用失墜を狙ったものらしく、そんなことまでやるのかとびっくりした。
安倍政権は、中央官庁の人事権を内閣官房の人事局に集中管理する方式をとって、官僚たちが内閣官房に逆らえないような仕組みをつくった。それによって生まれた大きな歪の一つ、いや二つが森友学園問題と加計学園問題だ。
このままウヤムヤに終わらせては絶対にいけない。メディアの一層の奮起を期待したい。
今年の憲法記念日、5月3日は「朝日新聞阪神支局襲撃事件」から30周年にあたる。1987年5月3日夜、兵庫県西宮市の阪神支局に黒い目出し帽で覆面し、散弾銃を持った男が押し入り、室内にいた記者たちに向けて銃を乱射した。それによって小尻知博記者(当時29歳)が死亡し、犬飼兵衛記者(当時42歳)が重傷を負った。
私がまだ現役のときで、その日は休日だったのに東京本社にぶらりと立ち寄り、古巣の社会部のデスク席で雑談しているときに、その知らせが大阪から入ってきた。男は無言で、相手の確認もせずに銃を乱射したというから、「朝日新聞の言論に対するテロ事件だ」と直感して、カッと頭に血がのぼるほど怒りが湧いてきたことを思い出す。
その後、「赤報隊」と名乗る犯行声明が届き、赤報隊の犯行とみられる痕跡がいろいろと出てきたのに、犯人はついに捕まらず、事件は迷宮入りとなった。
朝日新聞社では、毎年5月3日前後に「『みる・きく・はなす』はいま」という記事を連載して、日本社会の言論を取り巻く状況を報告し、テロや脅しには屈しない決意を小尻記者の霊前に誓っている。