第66回:裁判の原告になる——国を訴えた2件の訴訟(想田和弘)

 『港町』と『ザ・ビッグハウス』という2本の新作映画のキャンペーンやトークのため、「寅さん」のごとく日本中を旅して歩いている。

 それだけでも死ぬほど忙しいのに、そんな中、まさか自分が国を相手取って裁判を起こすとは、少し前まで想像もしなかった。それも立て続けに2件とは。

 その1つは、最高裁裁判官の国民審査権をめぐる問題である。衆議院総選挙の時に、辞めさせたい最高裁裁判官の名前にバツをつける、アレである。

 総務省のウェブサイトには、「衆議院議員の選挙権がある人は、最高裁判所裁判官国民審査の投票をすることができます」と明記されている。ところがなぜか、僕たち海外在住の日本人には認められていない。こないだの衆議院選挙の際にも投票できなかった。それはさすがに変だし、憲法違反だろう。そんなことをフェイスブックでつぶやいていたら、懇意にしている谷口太規弁護士から打診があった。僕もそう思っていたところだ、原告になって一緒に国を訴えないか、と。

 僕はすぐさま、彼の誘いに乗ることにした。

 社会への働きかけの方法は、なにも時おり巡ってくる選挙で一票を投じることや、政治家へのロビイング、デモやチラシ配りなどに限られるべきではない。いくら壊れ気味だとはいえ司法のシステムもせっかく存在するのだから積極的に使うべきだと、つねづね考えてきたからである。

 谷口さんは志を同じくする弁護士さんたちに声をかけ、若手弁護士5人からなる爽やかな弁護団を組織した。みんな手弁当である。日本という国が少しでも公平な社会になるようにと、一肌脱いでくれたことに感激した。

弁護団の皆さんと

 もう1件は、夫婦別姓制度をめぐる訴訟である。

 これも発端はフェイスブックだ。僕と柏木規与子は1997年、僕らが住んでいるニューヨーク市の市役所で別姓のまま結婚したが、そのとき日本の役所に届けを出さなかった。というのも、当時は日本でも選択的夫婦別姓法案が通りそうな情勢だったので、法改正後に届けようと思っていたのだ。ところが待てど暮らせど法改正は行われない。そして届け出ないまま20年が経ってしまった。

 ってなことをつぶやいていたら、例によってFB友達の打越さく良弁護士が僕の投稿を読んで、メッセージをくださった。よかったら柏木さんと二人で、国を相手取った訴訟の原告にならないか、と。打越さんたち別姓訴訟弁護団も、やはり手弁当だ。

 この話も拒む理由はない。すぐに誘いに乗った。

 そして弁護団からレクチャーを受けて、びっくりした。僕らは日本では「事実婚」なのだと思い込んでいたのだが、実はそうではなかったのだ。というのも、日本の法律では日本人同士が海外で結婚する際には現地の方式と法律によるとされている。つまりアメリカの法律に沿って別姓のまま結婚した僕と柏木は、日本の法律上も「法律婚」だったのである。

 しかし問題は、日本で戸籍を作る際には「氏」を統一しなければならないことである。別姓のままだと戸籍を作ることができない。つまり日本の法律は、一方で僕らの別姓婚を認めながら、他方で戸籍にそのことを反映させる術を用意していないのである。

 これはどう考えても法律的な不備であろう。今回の訴訟では、僕と柏木の夫婦としての地位を確認してもらうとともに、国に対して損害賠償を請求している。

こちらは別姓訴訟の弁護団の皆さんと(ハート型の「bessei」を持っているのが柏木さん)

 2件の裁判の特徴は、それが僕らだけの問題ではないということである。

 国民審査権を剥奪された状態の海外在住邦人は、100万人以上いるとされている。また、同姓婚を望まず事実婚をしているが故に、仕事上や税制上、相続上の様々な不便や不利益を被っているカップルも、数え切れぬほど存在するにちがいない。これらの裁判で勝てば、非常に多くの人々の権利や生活が改善されることは間違いない。

 加えて、僕らが裁判に勝つことで、不利益を被る人は誰もいないということも、2件の裁判の特徴だ。

 まず、海外在住邦人が国民審査に加わると自分の権利が侵害される、という人がいないことは自明であろう。また、別姓訴訟でも僕らが求めているのは「選択的夫婦別姓制度」であり、同姓を望む人は同姓を、別姓を望む人は別姓を選択できることを要求しているにすぎない。つまり同姓を望む人はこれまで通り同姓を選択すればよいわけで、何の不利益もないのである。

 問題は、他人の権利が拡大することがすなわち自分の不利益だと感じる人が、案外多いということである。

 特に夫婦別姓訴訟を提起した後は、ネット上で別姓反対派から様々な攻撃を受けた。その主張は「日本の伝統文化が壊れる」だの「家族の絆が失われる」だの「子どものことを考えろ」だのといった紋切り型だが、明治以来の習慣を「日本の伝統文化」だと言うのは変だし、「家族の絆が失われる」と思うのなら、ご自分は同姓婚を選択すればよいわけで、僕らにとっては余計なお世話である。論拠としてあまりにも説得力が薄い。

 とはいえ、そういう主張は、実は彼らの本音を隠すための隠れ蓑であるようにも感じられる。では何が本音であるかといえば、やはり男性優位の社会を変えたくないのではないか。

 日本の法律では、婚姻の際に男女のどちらの姓を選んでもよいことになっているが、実際には9割以上のカップルが男性の姓に統一しているそうである。つまり「結婚の際に姓を変えるのは女性であるべきだ」という暗黙の了解が、日本社会に存在するわけだ。

 その裏返しとして、姓を変えた男性は「婿養子」と呼ばれて、なんだか一段低く見られて差別されている。逆にいうと、姓の変更を余儀なくされる多くの女性は「婿養子」みたいな地位に置かれているわけだ。選択的夫婦別姓制度に反対する人は、そういう男性優位の状況を一ミリも変えたくないからこそ、反対しているような気がしてならない。だからこそ他人の結婚の形にまで口を出したがるのであろう。

 いずれにせよ、今回この2つの裁判を提起することができて、とてもよかったと思う。僕は日本の主権者の一人として、「一億分の一の責任」を果たすように心がけているが、これらの訴訟もまさにそういうことだと思っている。

 いずれの弁護団も、カンパや支援を受け付けています。
 →海外在住邦人国民審査権訴訟のページ
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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。