第55回:小川プロ「三里塚シリーズ」が示す、現代に生きる私たちの暗部(想田和弘)

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 小川紳介と小川プロダクションは、日本のドキュメンタリー映画史を語る上で欠かせない存在であり、彼らが残した作品群は「古典」である。

 古典であるからには、後世の人間によって常に参照されるべきなのだが、彼らの作品は諸々の問題によりDVD化は不可能だとされてきた。したがって映画ファンは長い間、小川プロの作品を観るには特集上映などの機会を待つしかなかった。

 ところが去年、どのように問題が解決されたのか、いきなり全作品がDVD化された。快挙である。中でも小川作品の核をなす「三里塚シリーズ」全作品を収めた8枚組DVDボックスは、鼻血が出そうな濃さであり、未見の作品もあったので迷わず買った。そしてこの夏ようやくまとまった時間を作れたので、自宅で一気に鑑賞することにした。僕だけの「三里塚映画祭」である。
http://dig-mov.net/cn6/cn9/pg92.html

 小川紳介が監督した三里塚闘争に関する作品は合計7本。『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968年)、『日本解放戦線 三里塚』(1970年)、『三里塚 第三次強制測量阻止斗争』(1970年)、『三里塚 第二砦の人々』(1971年)、『三里塚 岩山に鉄塔が出来た』(1972年)、『三里塚 辺田部落』(1973年)、『三里塚 五月の空 里のかよい路』(1977年)である。DVDボックスにはこのほか、『辺田部落』を制作中の小川プロの様子を描いた福田克彦監督 『映画作りとむらへの道』(1973年)も収録されている。

 三里塚闘争は1966年、日本政府が千葉県成田市三里塚・芝山地区に新しい国際空港(成田空港)を作ることを、住民の意向を聞くこともなく、突然一方的に閣議決定したことから始まった。三里塚には「開拓農民」と呼ばれる貧しい農家が多かったため、佐藤栄作内閣は金さえ積めば簡単に田畑を買収できるとふんでいたらしい。

 ところが地元の農民たちは政府の決定に猛反発し、すぐさま反対同盟を結成した。これに対して政府は高額の補償などを提示して土地の購入を進め、反対派を少しずつ切り崩していく。それでも土地を売ろうとしない人々に対しては、機動隊を導入し、強制収用という暴挙に出る。反対派には新左翼の学生や労働者も流れ込み、闘争は死者を出すほど苛烈を極めていく。

 小川紳介らは68年に三里塚へ入り、撮影を開始した。そしてそのまま7年間も三里塚に住み着いて、農民側の「映画班」を名乗りながら映画を撮り続けた。その直接的成果が、7本のドキュメンタリー映画なのである。

 長回しが多く、そこに流れていた「生の時間」がそのまま映像に閉じ込められているからであろう、この連作映画を観ていると、約半世紀前の日本にタイムトラベルして反対運動の渦中に放り込まれたかのような、不思議な感覚になる。また、「ここ、今は成田空港になっている場所なんだよなあ」と思うと、その不思議さが増幅するとともに、なんだかやりきれないような、複雑な感情も湧いてくる。

 というのも、空港をごり押しする国家権力を相手に傷だらけの闘いをしているのは、その地で暮らしてきた農民たちである。三里塚で農業を続けたいと願う彼らの欲求は正当であり、応援したくなるのが道理というものだ。

 ところが米国に住む僕自身は、現実には成田空港をおそらく最も頻繁に利用する人間の一人である。つまり農民たちの犠牲の上に成り立った空港の恩恵を、大いに享受する受益者だ。

 もちろん1970年生まれの僕は、三里塚闘争が佳境の際にはまだ生まれていないか幼かったわけで、空港建設に責任があるわけではない。しかし三里塚闘争を「先進国化・国際化する“新しい日本”が、土着的でローカルな“古くからある日本”を破壊し蹂躙していく過程」ととらえるならば、僕はまぎれもなく“新しい日本”の側に属する存在である。すくなくとも当時の日本政府は、頻繁に飛行機に乗る僕のような人間がどんどん増えていくことを見越したからこそ、農民を犠牲にしてまで空港建設を急いだのだろう。僕は農民たちからすれば、彼らを押しつぶす側にいる存在なのである。

 そのことは、映画に出ている三里塚の農民たちの言葉が、僕には半分くらいしか聞き取れないという事実に、象徴的に表れている。僕は栃木県足利市出身なので、三里塚は生まれ育った場所からそれほど離れているわけではない。にもかかわらず、彼らのなまりが衝撃的なまでに聞き取れない。東京から三里塚に乗り込んできた学生たちや小川紳介の言葉は聞き取れるのに。

 テレビが普及して数十年が経過した今では、旅番組で日本のどこへ行こうが「出ている人の言葉が字幕なしではわからない」という事態はほとんど考えられないだろう。要は半世紀前までは、意思の疎通が難しいほど日本各地に強い個性が残されていたわけだが、それらは日本の中央集権化と近代化とともに、いつのまにか一掃されてしまったのである。東京弁が通用しない三里塚に建設された空港の正式名称が「新東京国際空港」であることは、三里塚を東京(=中央)の植民地にしたことを恥ずかしげもなく宣言している。

 そういう意味では、映画という西洋近代のハイテクメディアを表現手段として選んだ小川紳介も、“新しい日本”ないし“中央”に属する人間である。小川は三里塚の農民たちの側に立って映画を作りながらも、たぶんそのことに気づいたのであろう。小川の関心は最初は「闘争」そのものにあったが、次第に農民たちが命がけで守ろうとしている「農村」や「共同体」に関心をシフトさせ、『辺田部落』を作るにいたる。そして同作を最後に、自分たちも米を作ることを目指して山形に移り住んでしまう。それが小川なりの「落とし前」の付け方だったのではないかと、僕は勝手に想像している。

 いずれにせよ、小川プロの三里塚シリーズは、今観ても全く古くなっていないどころか、重要性と輝きを増している。これらの作品群には、多くの日本人が「あの頃はよかった」などと無邪気に懐かしむ高度経済成長期の暗部が、如実に刻まれている。それはとりもなおさず、現代に生きる私たち自身の暗部である。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。