第84回:ヴィパッサナー瞑想と日常生活(想田和弘)

 昨年の8月にブッダが用いた瞑想法・ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加して以来、毎日最低1時間は瞑想するようにしている。できれば2時間。

 コースの体験談は「週刊金曜日」に連載中なので、詳しくはそれを読んでいただきたいのだが、ヴィパッサナー瞑想でやることはシンプルだ。目を閉じて座り、自分の心と身体に起きる感覚をつぶさに平静に観察するのである。

 瞑想していると、必ず心や身体のどこかに不快感が生じる。しかし大事なことは、それを「嫌悪」せず、平静に観察することである。すると不快感はいつの間にか消えていく。逆に快感が生じても「渇望」せず、平静に観察する。すると快感も消えていく。

 要は心や身体に何が起ころうと、平静さを保って観察する。そういう訓練をするわけである。それだけで心は穏やかになる。仕事や私生活のストレスや不安、後悔、怒り、欲望などでざわついた心が、落ち着いてくる。

 しかし瞑想の効用はそれだけではない。日々の生活にも良い影響がある。

 たとえば、今朝は旅先のヴァージニア州でこんなことがあった。

 朝の瞑想を済ませた後、朝食をとろうとホテルのレストランに入ると、20代くらいの女性のウェイトレスが僕の席の担当になった。

 瞑想で自分の感覚や感情に敏感になっていると、他人のそれにも敏感になる。ひとめ見て、彼女の精神が苛立っていることがわかった。理由はわからない。しかし明らかに気がせっていて、機嫌が悪く、発する言葉にもなんとなく棘がある。別に失礼な行動をとるわけではないけれど、どこか慇懃無礼で感じがよくない。

 そういう人に接すると、自分の心と身体にも不快な感覚が生じる。自然なことだ。

 以前の僕なら、そうやって生じた不快な感覚に気づくこともなく、自動的に「ちょっと感じ悪いな、この人。俺が何かしたとでもいうのか」などと、彼女に対する「嫌悪」を育てていたことであろう。そして自分も不機嫌になり、一日をネガティブな気持ちで始めるのである。

 しかし瞑想の訓練をしていると、自分の中に生じた不快な感覚に気づくことができる。そして気づいたら、その感覚を平静に観察することができる。平静に観察することができれば、瞑想中と同様、不快な感覚はいつの間にか消えてしまう。したがってウェイトレスを嫌う必要も気持ちもなくなる。

 そのように「不快」の炎を消すことができた僕は、バッグから瞑想の本を取り出し、読み始めた。ウィリアム・ハート著『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』(太田陽太郎訳、春秋社)である。この本はヴィパッサナー瞑想中に体験することを理論的に理解し納得する上で、実に役に立つ。日本での初版は1999年だから、20年以上のロングセラーである。

 同書を読んでいると、意外なことが起きた。あの不機嫌そうなウェイトレスが、突然、僕に話しかけてきたのである。

 「それ、何の本ですか?」

 「瞑想の本です」

 「えっ、本当?!」

 彼女の顔がパッと明るくなる。

 「私には瞑想がすごく必要だと思うんです。いろんなことを頭の中に抱えすぎて爆発しそうで。友達から勧められてちょっと座ってみたんですけど、2分ともたない」

 「そうですか。興味があるなら、ヴィパッサナー瞑想の10日間コースを受けるといいですよ。10日間合宿して誰ともしゃべらず、毎日10時間瞑想します」

 「えっ、そんなに? 2分も座れない私にできるでしょうか」

 「決意さえあればできると思いますよ。世間から隔絶された、普段とはまったく違う環境で行うわけですから。寄付で運営されているので無料ですし、お勧めします。僕は日本で受けましたけど、アメリカの各地にもセンターがあるはずです」

 「本当に? 私が勧められた瞑想のコースは費用が高くて……。瞑想法の名前を教えていただけますか?」

 彼女は目を輝かせて、メモ帳とペンを僕に渡した。僕は「Vipassana meditation by Goenka」と書き、「Good Luck」と言って店を出た。彼女から慇懃無礼な感じは消え、とても良い笑顔で僕を送り出してくれた。僕自身も、ささやかながら良いことをできたような気がして、嬉しくなった。

 もちろん、彼女が瞑想合宿に参加するかどうかはわからないし、たとえ参加したとしても彼女の助けになるのかどうかはわからない。

 しかし、「あのウェイトレス、感じ悪いな」と不機嫌になって店を出るのと、僕が伝えた情報が彼女の助けになることを願い「Good Luck」と声をかけながら店を出るのとでは、1日の始め方としてかなりの差がある。

 そしてこうした「差」は、結局は自分自身の心のありようによって生じるわけで、それが毎日毎日、いや、毎時毎分毎秒積み重なっていけば、これは僕自身の人生にとっても、僕と関わる人々の人生や社会にとっても、大きな差になっていくだろうと思うのだ。

 僕は修行が足りないので、もちろんいつも今朝のようにうまくいくわけではない。不快なことがあったときに、ついつい自動的に嫌悪の気持ちで反応し、怒ったり嘆いたりして惨めな気持ちになることはしょっちゅうである。

 けれども、今はそのように反応する以外の道があることを知っている。注意深く一瞬一瞬を過ごしていれば、「別の道」を選択することができることを知っている。

 何があったときでも「別の道」を選べるよう、自分の心を鍛えていきたいと思う。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。