【今こそ読みたい 厳選!マガ9アーカイブス】柴田鉄治さん×川村晃司さん×鈴木耕さんトークセッションレポート:マスメディアと憲法9条(2008年9月24日公開記事)

2005年3月にスタートした「マガジン9」。たくさんの人に支えられ、こつこつ週1回の更新を続けているうちに、今年でなんと15周年を迎えました。
この15年間、コラムやインタビュー、対談などの記事を通じて、本当にさまざまな方たちのお話をうかがうことができました。その蓄積をただ眠らせておくのはもったいない! というわけで、過去の「マガジン9」掲載記事の中から、スタッフが厳選した「今だからこそ読みたい」コンテンツを再掲していきます。掲載当時とは状況などが変わっているところもありますが、今の状況との共通点に気づかされたり、新たな視点が見えてきたりすることも。未読の方も再読の方も、改めて、ぜひ読んでみてください。
※記事の内容、プロフィールなどは公開当時のものです。このシリーズは不定期で更新していきます。

 先週、訃報をお伝えしたジャーナリストの柴田鉄治さん。マガジン9ではずっとコラムを連載いただいていましたが、加えて一度、マガジン9主催のイベントにも登壇いただいたことがあります。2008年の夏、「戦争と9条と国際貢献を考えるアツーイ夏の一日。」と題したトークイベントの第3部で、コラム「言葉の海へ」でおなじみの編集者・鈴木耕さん、TVジャーナリストの川村晃司さんとともに、「マスメディアと憲法」をテーマにお話しいただいたのでした。
 そのときの内容をまとめたレポートを再掲します。「新聞というメディアが、思想の自由や言論の自由に対してとても鈍感になっている」「ジャーナリズムは、平和と人権を守るためのもの」という柴田さんの指摘は、今も重く受け止められるべきものだと思います。

2008年9月24日UP
柴田鉄治さん×川村晃司さん×鈴木耕さんトークセッションレポート:マスメディアと憲法9条

●戦後の「表現の自由」「平和思想」の変化、弱体化

鈴木耕:
 柴田さんは新聞の世界、川村さんは現役でテレビの世界、私は出版の世界で長い間やってきましたが、あの第二次世界大戦の後から、現在にいたるまで63年間の中で、日本という国でどういうことが起こってきたのか、その中で憲法、特に「思想・表現の自由」はどのように扱われてきたのか、それがメディアの世界ではどうであったのか、ということについて、それぞれの立場から多少の話をしてみたいと思います。

 最初に私のほうから、戦後から現代までの「表現の自由」ということに関わる問題について、あらましを話しておきたいと思います。
 出版界において、これまで「表現の自由」が危機的な状況に陥ったことは、戦後、何度かありました。
 まずこれは、戦前になりますが、「横浜事件」があります。戦前、1942年に、当時、『改造』という雑誌に、細川嘉六という評論家が「世界史の動向と日本」という論文を発表します。そのとき、これが共産主義を標榜しているというので、当時の特別高等警察(特高)に目をつけられまして、細川氏と親交があったとされる編集者や新聞記者など約60人が芋づる式に逮捕され、4人の獄死者を出した有名な言論弾圧事件ですが、これは戦後にも尾をひいていきます。

 1952年には、いわゆる「血のメーデー事件」という、1232人が逮捕、261人が起訴されるという大騒擾事件が起き、「破壊活動防止法案」制定が企図されましたが、反対多数で否決されました。
 60年には、いわゆる安保闘争がありますね。数十万規模の民衆が国会を包囲したり、学生たちが市民と一緒になってデモをしたわけですが、この頃、起こった事件に「嶋中事件」があります。
 深沢七郎さんという作家が雑誌『中央公論』(1960年12月号)に「風流夢譚」という小説を発表します。内容は、民衆が皇居を襲撃し、皇太子夫妻が民衆に殺されるというもので、これも安保闘争に影響を受け書かれたものですが、右翼はこれを「不敬」だとして抗議、そして62年2月に17歳の少年が、中央公論社の嶋中社長宅に押し掛けて、社長夫人に重傷を負わせ、さらに間違ってお手伝いさんを殺してしまう。それ以降、中央公論社は、右翼の抗議や暴力にさらされ、言論の自由を守るというよりは、おびえることが続くわけです。中央公論社は、雑誌『思想の科学』の版元になっていたのですが、天皇制の研究を組んだ特集号を発売停止にし、それ以降版元もやめてしまいます。

 もう一つは、浅沼稲次郎暗殺事件。1960年10月、当時17歳だった山口二矢という右翼少年が、社会党委員長の浅沼氏を日比谷公会堂の演説会の壇上で刺殺する事件がおきます。そして、そのころ新進気鋭の小説家、大江健三郎さんが、この事件を題材に小説を書き、61年2月に「文学界」に発表します。これが『政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)』です。誰が読んでも、山口少年がモデルになっている小説ですが、第二部は、右翼の猛抗議もあり、その後、絶版にされ、以後人目に触れることがなくなりました。

 70年安保闘争は、新左翼運動へと次第に変質していきましたが、国家権力、機動隊の厳しい抑え込みによって、やがて終息していきます。そんな中、「連合赤軍事件」が起こります。「浅間山荘事件」はその一例ですが、これは「総括」という名目で、山の中で仲間を十数人殺していたという、非常に悲惨な結末を迎えます。その結果、当時、左翼と呼ばれている人たちが、いっせいに引くわけです。左翼の側にいた文化人は物を言えなくなってしまう、というか物を言わなくなってしまったのです。これによって日本の思想表現の幅が、急速に狭められていきます。
 80年から90年、大経済バブルが発生、狂ったような資本主義の時代に入ります。そうなると深く思考したり、深い思想のもとで何か作り出す、ということが非常に少なくなっていきます。
 そして現在があるわけですが、ここ10年で私が大きな問題だと考えていることが、北朝鮮による拉致問題です。もちろん国家犯罪を許すわけにはいきませんが、悪い意味でのナショナリズムをあおることに、いちばん政治利用した政治家が安倍晋三氏であったと思います。

 21世紀になると世界から戦争がなくなるのではないか、そう思っていたのに、今も世界中で戦争は続いていて、さらに日本の中でも平和的な運動を起こそうとすると、窮屈なことになってきている。
 単なるビラ入れが、逮捕起訴、さらに有罪とされるという事態は、著しい表現の自由への抑圧ではないかと思います。
 平和思想の衰退は、現実にあるのではないかと思っています。私は戦後の思想の変化と共に、自分も歳をとってきた訳ですが、私よりも先輩の柴田さんなどは、どのように感じていたか、少しお話しください。

●自身の戦争体験から「言論の自由」を守る新聞記者に。しかし今・・・

柴田鉄治:
 私は、鈴木さんよりも少し前に生まれていましたので、戦時中の「戦う少国民」たちをつくった国民学校にも行き、3月10日の東京大空襲も体験し、学童疎開でひもじい思いもしたという戦争体験を持っています。私が新聞記者になった一番の理由は、まさにこの戦争体験にあって、ジャーナリズムというのは、平和と人権を守るためのものだと考えたからです。しかし、そのジャーナリズムが最近おかしくなっているなあ、と思うのです。

 ドイツの新聞は、戦後すべて廃刊になり新しいスタートをきりましたが、日本の新聞は、戦前からずっと引き継いできたわけです。そこがまったくちがうところですが、日本の新聞は、戦争に協力をした戦前・戦中の新聞報道を反省し、戦後の誓いをしたわけです。50年代から60年代は、それは比較的守られていました。それはベトナム戦争に対する姿勢をみればわかりますね。日本政府はアメリカを支持しましたが、日本の新聞メディアは全部、ベトナム戦争には批判的だったわけです。批判的な報道を続けていたので、アメリカ政府は日本のメディア報道に非常にイライラしていたはずです。
 でも日本は、政府がアメリカ支持を表明しながらもベトナム戦争に参加しなかったのは、憲法9条があったからですね。当時はそういうことは当然のこととして誰も言いませんでしたが、同じ同盟国の韓国はベトナムに兵を派遣し、何千人という韓国軍の兵士が死んだり、また戦場ですからベトナム人を殺したりしているわけです。当時、日本国民の憲法9条支持というのは、ものすごく強かったのです。歴代自民党政府は、新しい内閣になった時に、「自分の政権では、9条の改憲はしない」とまず宣言するような状態がずっと続いていたのですから。新聞メディアも全てそれを支持していました。

 それが70年代に入り、産経新聞が「日本の新聞は全部偏向している」そう言い出したわけです。これが80年代になると読売新聞もその方向に変わってきます。あの有名なナベツネさんが論説委員長になると、読売新聞は「中曽根首相—レーガン大統領」を全面支持することになるわけです。そして、「産経と読売」対「朝日と毎日」というように二極分化するわけです。
 90年代になって湾岸戦争がおこったとき、それはより先鋭化します。読売新聞は、読売改憲案を出し、日本は一国平和主義でいいのいか、という論陣を張ります。で、それに対して平和憲法を守れというのが、朝日新聞だったわけです。
 しかしこの二極分化が、怪しくなりはじめたのが、9.11ですね。あの事件の後、アメリカがアフガン空爆をするわけですが、日本のメディアは全て条件付きでこれを支持します。既に私は退職していましたが、朝日新聞の社説まで、「空爆も場所を限定してやるのなら、やむを得ない」と載りました。「無実の人を殺さないのならいい」と言うようなことを朝日新聞の社説に書いてあるわけです。私は空襲の体験者ですから、空から攻撃をしかけてくる正義なんてあるはずがないと思います。無実の人だけ殺さない、そんな空爆ができると思っている新聞記者がいるのか、と本当にびっくりしました。

 日本があの無謀な戦争に入っていったのは、日本社会に言論の自由がなかったためだと私は考えて、新聞記者になりました。しかし、「思想の自由」、「言論の自由」ということに対して、新聞というメディアは、今とても鈍感になっています。たとえば、2004年「立川の(自衛隊官舎にイラク派遣反対の)ビラ配布事件」があり、最近、最高裁で有罪判決が出ました。商品宣伝ビラでは逮捕されないのですから、これは、戦前の思想犯の取り締まり、治安維持法にも似た事件です。それなのに、新聞はこの事件に対してまったくおよび腰で、厳しく批判もしない。こんなことでは、戦前の二の舞になるのではないか、と心配でならないのです。

●アジア・中東の戦場とアメリカを歩いて感じたことは

川村晃司:
 テレビの役割というものは、いかに戦争をくいとめるか、いかに戦争を引き起こさないか、そのためのメディアの主力となれるのか、9条の立て前でなく、9条がどれだけ継承されているか、というところを考えていかなくてはならないと思います。テレビは戦後のメディアなので、戦前からある新聞とはまた成り立ちが違い、そして現在があるわけです。

 私自身は、テレビ局に入り、海外の特派員の仕事を長くしていました。ベトナム、カンボジア、ラオスとインドシナ半島を取材をして、中東、アフリカにも長く駐在していました。9・11の起こる前年まで、アメリカのニューヨーク支局にもおりました。そういう経験から感じたことは、世界の紛争地の地上でおきていることを、アメリカの国民やアメリカのメディアは、あたかも鳥の目のようにずっと上からみているということです。地上では、一人一人の人間が自分たちと同じように生活していて、戦争になれば無差別に殺されている。そういう地上でおきている細かなことを知らされずに、「世界平和は、アメリカがいることによって保たれているのだ」と思っているし、それをメッセージとしても出しています。そして、メディアをいかに戦争に協力させていくか、ということをずっと重点的に、アメリカの歴代政権はやってきました。

 たとえば、ベトナム戦争の時は、各国からジャーナリストがたくさん入りました。そのため数多くの様々な映像が撮られ、また発信されていったわけです。誰もが知っているベトナム戦争の悲劇を伝える象徴的な写真がありますね。たとえば、路上で捕虜として捕えたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の私服の男性を、ベトナム共和国軍の士官が、ピストルで射殺している写真。または、ナパーム弾を落とされ裸で逃げまとう、キム・フックとして知られるベトナムの少女の写真。

 ベトナム戦争は冷戦時代、自由を獲得するための正義の戦い、とアメリカが位置づけ、たくさんのメディアを戦場に入れることによって、アメリカの正義を世界に見せようとしました。しかし、実際に現地に戦争特派員で入ると、真実はどうもおかしいぞ、とみんな思うわけです。そのようにして、有名なあれらの写真が発信され、大きな反戦運動につながっていきました。

 その「教訓」からかその後、アメリカは「見せる正義」から「見せない正義」に、メディア戦略を変えます。湾岸戦争においても、米軍は各国一人だけの代表メディアしか許しませんでしたので、結局、どのメディアも同じ映像を使うことになるのです。

 イラク戦争になって、日本の大手メディアは現地には行かなくなり、フリーのジャーナリストが現場に行き、何か取材ができたら、その画像を買うようになっています。今、戦場で何が問題か、イラクやアフガンでは、ほんとうにもう、見えないようにしてしまっていています。アブグレイブ留置所の中で起こった映像が出ましたが、あれも内部告発ですからね。

 最近日本でも上映された『告発のとき』というアメリカ映画は、2週間に一度は、アメリカ兵が現地や帰還してから自殺をし、10万人近いアメリカ兵がなんらかの精神的な障害をうけているという衝撃的な事実をつきつけています。こういうことについては、アメリカのメディアはほとんど伝えない、したがって日本のテレビメディアも報道しない。しかし、映画というメディアを使って、なんとか写しだそうということがようやく今、行われているようです。

 その一方で見えなくなっていることも広がっている。これからは、一人一人が、市民チャンネル的なものを立ち上げていくことも大事かなと思っています。

●「世界中を南極にしよう」運動

柴田:
 最後に、今日どうしてもお伝えしたいことを話しておきます。私は、新聞記者になって、たまたま30歳の時に南極観測に同行する機会を得ました。1965年、今から43年前に、そこに行って素晴らしいなと思い、さらに2005年、71歳で再び南極を訪れました。南極は、世界で唯一「国境もない、軍事施設も置いてはならない」それを南極条約で決めているという、人類の理想を先取りしたような場所です。そこではまた各国が力をあわせて環境を大事にする、地下資源の開発もしない、人類が地球環境を守りながら平和に共存していくことを、いちはやく体現してきている地域なわけですね。
 それで私が今やっていることは、「世界中を南極にしよう」という運動です。今、世界が血なまぐさくなっていることや、環境問題なども、みんな「自分の国が大事だ」ということから始まっているんですよね。世界中の国が、愛国心やら国益を言い出したら、地球環境も守れません。京都議定書から、アメリカが抜けたり、中国が入ってこないというのは、国単位で自国の国益のことばかりを言っているから、そうなるんですよね。

 私は極論すれば、国なんてない方がいいんじゃないかと思いますよ。ただ、急に「国のない地球を想像しよう」と言っても無理なんで、愛国心よりも「愛地球心」を持とうというような言い方にして、こうして話す機会がある度に伝えています。これは、何年後に実るのかわからない、非常に気の長い運動ですが、いっそこのぐらい根本的なところから考えてみることが必要なのではと思うのです。人類が、主権国家主義で地球を細分化して戦争を始めたのは、地球の歴史からみれば、つい最近のこと。要は、世界中の人間が自国の国益にこだわらない国境を越えた視点を持つ。それには、今の子供たちへの教育から始めないとだめだろう、ということで、あちこち小・中学校に出かけていって、そんな話もしています。そう、私は「南極は地球の憲法9条ではないか」と思っています。両方とも人類の理想の先取りですからね。そして「地球の憲法9条」を世界中の国が守るようにならないと人類に未来はないと思うのです。

川村晃司氏 テレビ朝日報道局、コメンテーター。「ワイドスクランブル」ほかに出演。著書に『戦場記者の10年』、共著『伝え切れなかった真実―映画が語る世界の裏側』ほか。

柴田鉄治氏 元朝日新聞記者、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。著書に『新聞記者という仕事』、『科学事件』(岩波新書)。『世界中を「南極」にしよう!』ほか。

鈴木耕氏 元集英社勤務。週刊プレイボーイ編集長、イミダス編集長、新書編集部長などを経てフリーに。著書に『スクール・クライシス』『目覚めたら、戦争。』ほか。

※プロフィールは初出当時