「わたしにとって大事な、日本国憲法の条文」(その2)

2005年3月に創刊したマガジン9は、今年で15周年を迎えました。当初は「マガジン9条」としてスタートし、2010年に「マガジン9」と名称を変えてリニューアル。「憲法と社会問題」をテーマに発信を続けてきました。
今回、15周年企画として、あらためて日本国憲法について考えてみたいと思います。連載コラム執筆者のみなさまをはじめ各分野でご活躍の方々に、日本国憲法のなかで、とくに関心の深い条文とその理由を伺いました。(その1)はこちらから。

柴田鉄治さん(元・朝日新聞論説委員)

【第9条】
「二度と戦争はごめんだ」

 もちろん第9条です。その理由は、子どものころの戦争体験から「二度と戦争はごめんだ」との思いが強いからです。
 第9条の1項と2項で定められた、戦争を放棄し、軍備を持たないというのは、「真の平和」を目指す理想の姿だと思うのです。日本は、先の戦争の反省から第9条を制定したのに、その後の東西対決の激化と朝鮮戦争などのため、自衛隊と日米安保条約による軍備のバランスに頼る「仮の平和」に身を置いていますが、将来は「真の平和」を目指すべきです。そのため9条は絶対に改訂してはなりません。それまでは、「国境もなければ軍事基地もない、南極」をモデルとして、「世界中を南極にしよう!」と叫び続けることだと考えます。

想田和弘さん(映画作家)

【第12条】
「不断の努力」がなければ、憲法はたちまち空文化する

 第12条の「国民の不断の努力によって」というところにグッときます。憲法を起草した先人たちは、たとえ憲法の条文によって自由や権利が保障されていたとしても、国民が不断の努力によって為政者に条文を守らせようとしなければ、たちまち空文化してしまいかねないことを警告しているのです。特に為政者が憲法を骨抜きにしようとする意図を隠そうともしない今の時代、とても重要な視点だと思います。

常富喜雄さん(音楽家)

【第9条、第13条】
解釈によって、個人と公共の関係が大きく変わる恐れのある第13条

 第9条によって国の戦争に参加する義務を持つ必要がないから。
 個人の尊重や公共の福祉について規定された第13条の解釈次第で、個人と公共の関係が大きく変わる恐れがあるから。

T・Iさん(無職)

【第97条】
祈るような気持ちで、この条文に心がとまる

 憲法をひらくとき、「前文」とともに、かならず祈るような気持ちで、基本的人権について定めたこの条文に心がとまります。日本国民のみならず、世界市民にとって、どんなリーダーを選ぶかによって、努力もむなしく、改悪・退行の試練も待ち構えているのだと、つねに考えておかなければなりません。

塚田ひさこさん(豊島区議会議員/編集者)

【第9条、第13条、第92条〜95条】
全てが個人の「幸せ」に帰結する

 第9条はあらゆる戦力を放棄し、自衛戦争も認めていない。すなわち「暴力」では決して問題を解決しないと、世界に向けて高らかに謳っているところが、かっこいい。

 第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」は、日本国憲法の最も大事な価値観であり根幹の理念。何より優先されるのは、個人の幸せであり、一人ひとりの個人の幸せのために、社会や国家は存在するとしている。日本社会に溢れかえる「同調圧力」に苦しくなる時は、第13条を胸に我にかえります。悩んでいる人、特に若い人に、この条文を教えてあげたい。

 第92条〜95条の「地方自治」について定めた条文も、個人の自由と権利を守るため、政治を中央と地方自治に分け権力を分立させています。多数による国家の暴走に、地方自治体で歯止めがかけられるよう、憲法は用意をしているのです。しかし現状は、二元代表制をとる地方自治なのに、まるでミニ国会のごとく党派による勢力図が持ち込まれている地方議会が多いのが、大きな問題です。

中島岳志さん(政治学者)

【第9条】
9条は、戦争を経験した人たちの「叫び声」である

 私は、憲法第9条とは過去の戦争を経験した人たちの「叫び声」のようなものだと考えています。単なる条文ではなく、想像を絶する悲しみや苦しみを経験した人々の「もうあんなことは嫌だ」という思いがもたらした、日本は決して戦争をしないんだという、諸外国に対しての「宣言」。だからこそ、「9条は変えてはならない」という思いが社会の中で共有され、さまざまな矛盾が指摘されながらも、ここまで9条が守られ続けてきたのではないでしょうか。
 政治学者としては、第9条の条文はこのままではいけないという思いもあります。安倍政権のように「条文に書かれていない」という理由を付けて過去の解釈や慣習を堂々と踏みにじる政権が出てきた以上、自衛隊の活動範囲を限定するなど権力への縛りを強める形で手を入れることが必要ではないかと思うからです。
 ただその場合も、第9条に込められた「叫び声」は、何らかの形で受け継いでいかなくてはならない。たとえば、憲法の精神を最初に宣言するものである「前文」に、第9条の精神を組み込むようなことはできないだろうか。そんなことを考えています。

永田浩三さん(ジャーナリスト・武蔵大学教授)

【前文、第9条、第21条】
「まともにものを言えば反政府的」。そんな時代を二度と繰り返さないために

 前文のなかで、とくに〈われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。〉というところにしびれます。
 これがあることで、日本国憲法のうたう平和主義が、明確になるのです。戦争だから仕方がなかった、戦争なのだから核兵器の使用も仕方がないといった、「受忍論」や「核抑止論」は、憲法の精神に照らして認められないのだと思います。

 あわせて第9条は、前文の精神をより具体的に明記したもので、これを貫徹してもらいたいものです。

 そして、最後に第21条でしょうか。
 日本国憲法は、アメリカ合衆国の連邦憲法の影響を色濃く反映しています。修正連邦憲法第1項では、集会結社と言論・表現の自由がうたわれています。これさえあれば、ひどい政権をとりかえ、まともな社会をつくることが可能だ。これこそ、民主主義の基本のきです。日本の言論・表現の自由は無制限。ここがポイントです。
 日本社会は、この無制限に、さまざまなブレーキをかけ、制限を加え、骨抜きにしてきた歴史があります。去年のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の中止事件も、まさに憲法の精神が問われました。憲法の条文があれば事足れり、というものではありません。日常的なメンテナンスが必要です。そうしないと、あっという間に形骸化し、実のないものに成り下がってしまいます。
 第2項の検閲についても、まさにそうです。検閲はしてはならない。しかし、いまの言論や表現をあずかるひとたちは、その大事さをどこまで自覚しているのか、かんたんに忖度し、自発的な隷従を繰り返しています。戦前の治安維持法が横行した時代、まともで理性的・合理的にものをいうこと自体が、反政府的、反軍的とされたわけですが、そんな時代を二度と繰り返してはなりません。

南部義典さん(シンクタンク「国民投票広報機構」代表)

【第97条、第98条、第99条】
制憲者である国民の意思が、立憲主義、人権保障とともに明確に述べられている

 第10章〔最高法規〕の章にある、第97条(基本的人権の本質)、第98条(憲法の最高法規性、条約等の遵守)、第99条(公務員等の憲法尊重擁護義務)の3つの条文を挙げます。
 制憲者である国民の意思が、立憲主義という思想、人権保障という究極の目的とともに明確に述べられている条文です。本来であれば、憲法典のもっと前の方に規定すべき内容です。
 安倍総理を筆頭に、少なからず政治・行政の担い手が憲法の目的を見失っていますが、とくにこれら3つの条文を「声に出して暗誦できるほど頭に叩き込みなさい」と、言いたいところです。

浜田桂子さん(絵本作家)

【第97条】
自由獲得のために声をあげ、弾圧されてきた人の存在を感じる

 この条文を声に出して読むと、いつも胸がいっぱいになります。
 過去の歴史において、どれだけの人が自由獲得のために声をあげ、行動を起こし、弾圧されたか。どれだけの人が、地道な活動を続けて生涯を終えたか。
 今姿は見えなくても、そうした方たちの存在を強く感じるのです。託された願いや祈りを感じるのです。私たちが享受している権利をより確かなものとしてつないでいかなければと、背を押されるのです。自民党憲法草案では、真っ先に削除されました。

福島みずほさん(参議院議員)

【第13条、第14条、第9条、第24条】
元気や勇気を与え、差別の現実を変える条文

 第13条は1番好きな条文です。個人の尊重と幸福追求権。これがまさにこの日本国憲法の真髄であり、最も重要なことだと思います。個人が尊重され、全ての人に幸福追求権があるという条文を読むと元気がでます。

 第14条は法の下の平等を規定したもの。この条文をもとに女性差別や婚外子差別を裁判で争いました。現実を変えるのにとても有効な大事な条文です。

 二度と戦争しないと決めた第9条は、日本の戦後の出発点であり日本の戦後そのものです。この第9条があるおかげで、日本は集団的自衛権の行使をしませんでした。武器輸出三原則、非核三原則などこの第9条をもとに築き上げてきたものは本当に大きいです。

 第24条は家族の中での個人の尊厳と両性の平等を規定しています。この条文のおかげで、旧民法の親族・相続編が大改正されました。その時の議論を見ていると最高法規である第24条の効力を本当に実感しています。家制度や男女不平等を全く変えたわけです。選択的夫婦別姓や同性婚を主張するときに勇気づけてくれる大好きな条文です。

松元ヒロさん(スタンダップコメディアン)

【第9条】
これが本当の強さであり、優しさだ

 やっぱり第9条です。
 この条文を暗唱すると、自分の心が美しく清らになるのです。
 真の意味で自分が強くなれるのです。これが本当の強さであり、優しさだ…と体の奥深いところから力がみなぎってくるのです。人を信じる勇気と希望が湧いてくるのです。

三上智恵さん(映画監督・ジャーナリスト)

【第95条、前文】
法の下の平等や三権分立は、沖縄の基地関連の問題に対しては機能していない

・第95条:沖縄の報道現場に長く身を置いていた者として痛切に感じるのは、法の下の平等や三権分立は、こと沖縄の基地関連の問題に対しては機能していないということだ。ほかの地域の人たちがまず知らない「特措法」「刑特法」によって、沖縄県民の財産が制限され、基本的人権が奪われたり拘束されたり、他地域の人々が味わうことのない屈辱を味わってきた。しかし憲法第95条は、一地域を縛り上げるこの沖縄のような事例は認めませんと謳っている。

 第95条【特別法の住民投票】〈一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。〉

 第95条は「クラスみんなの安全のため」という理由で、たった一人の子どもに「安心・安全」と書かれた重い荷物を持たせるというルールを、多数決で決めてはいけないと明確に定めている。弱い者いじめの法律を持つことは許されませんよ、そうでないというなら、証拠として本人たちがOKするか(住民投票で)聞きなさい、と条件を付けているのだ。
 1995年に改正された駐留軍用地特別措置法は、軍用地のために土地を収容する手続きを大幅に変更し、沖縄県や沖縄県民がどうあがいても強制的に土地を取り上げることを可能とした。この法律を適用して個人から土地を奪う事例は沖縄にしかないので、事実上沖縄を狙い撃ちにした改正だった。明らかに一地方の、特定の地主たちの権利をはく奪する法整備であったにもかかわらず、全国が黙認した。沖縄の民意は問われることもなかった。
 刑特法(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法)も「アメリカ軍は日本人より優位ですよ」ということを定めた日米地位協定に基づく国内法だが、正当な理由なく基地に立ち入ることを禁ずるその一点で、米軍基地に抵抗する人々を迫害する道具として使われてきた。
 提供区域との境界線を示す白線は、一晩で塗り替えられることもある。それを越えたと言っては逮捕し、フェンスの仕切りもない北部訓練場内への立ち入りは厳密に管理されていないにもかかわらず、反対運動にかかわる人物には刑特法違反を適用し、好きなタイミングで逮捕する。今月も5人の逮捕者が出たばかりである。
 いじめられっ子のクラスメート一人だけが引っかかるルールを、クラスみんなで決めたり運用したりしてはいけない。日本という国が、そこで胸を張って生きているはずの大人たちが、憲法を軽視してそれを認めている。「憲法に違反しているから直そう」と言わずに黙っている。そんな国で育つ子供たちがいじめを覚えてしまうのはあたりまえではないか。

・前文:アメリカの施政権下、復帰を望む沖縄の人々は当時「憲法は荒波の向こうに見える灯台」だと表現した。真っ暗闇の大海原で木の葉のように揺れる小舟に乗っている心細さ。陸が見えない絶望感。そこに、波間から時折かすかに見える灯台の光。それほどの、希望だ。
 アメリカ軍政下の「植民地以下」と形容された境遇を生きる沖縄の人々には、復帰して平和憲法のもとに入ればこの苦しみは終わるのだと、憲法に憧れ、憲法の理念を理想とし、それに近づきたいともがいた27年の月日がある。その年月が、沖縄県民と憲法の絆を他府県とは違うものにしたと私は思っている。
 本土の小学生だった私にとっての日本国憲法の前文は、テストのために覚えた程度の思い出しかない。しかし今、私は復帰前の人々の置かれた状況を何重にも想像できるようになってからこの前文を読み返すとき、何度も涙で前が見えなくなる。
 〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意〉したのだ。この人類がいまだ達成していない平和の枠組みを「決意」した最初の民族であることに誇りを持ちたい。そう願う気持ちが、日本人には足りないのではないか。
 「武器」や「戦争」や「基地があると威張って抑止力にする」という、今までダメだった方法ではなくて、誰も達成していないけれども、平和を愛する世界中の人たちを信じて手をつなぐことで命を守ろう、と、理想かもしれないけどそこに向かって歩み始めた事実は、私たちの歴史の確かな一ページである。そしてそれをかなぐり捨てようと急カーブを描いて落下していく今という時代も、私たちの国の歴史に刻々と刻まれている。
 沖縄に移住して25年、前文を読むたびに、涙が出る理由が増え、胸が軋むような痛みが増していく。

守屋龍一さん(日本ジャーナリスト会議 代表委員)

【第9条、第21条、第99条】
世界に誇れる最も大切な意義を持つ

 まず第9条です。これは「日本国憲法」全体を貫く精髄であり、高らかに宣言した「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」は、いまや世界に誇れる最も大切な意義を持っているからです。
 その第9条を、安倍政権は2015年9月19日、強引に解釈を変えてしまい、集団的自衛権の行使を容認し、海外で戦争できる国にしてしまいました。ますます強まる〈9条つぶし〉の動きに抗していくためにも、第9条の崇高な理念と世界的な意義を伝え広げる行動が大切になっています。

 次は、第21条です。〈あいちトリエンナーレ2019〉の企画展「表現の不自由展・その後」の中止事件に象徴されるように、「集会・結社・表現の自由、通信の秘密」が、侵されています。官邸や一部の政治家が悪のりし、主催団体や自治体などに圧力をかけ、補助金の支給までストップさせる抑圧・妨害行為は、最悪の違憲行為です。
 また公権力による「報道の自由」への侵害やメディアへの介入が増しています。とりわけ官邸記者クラブでの新聞記者への質問制限など、安倍政権の報道対応は、国際的な批判の対象となっています。

 最後は第99条です。ここには「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と明記されています。これは憲法のよって立つ理念が、「国家権力の横暴を戒め、監視と抑制を行う最高の法律である」から、あえて最後の条文として99条に「憲法尊重擁護義務」を明記したのです。
 ところが行政府の長である内閣総理大臣自らが、国会の施政演説や自衛隊観閲式の場で、改憲を勧める所信を表明し訓示を垂れるなど、第99条に背く憲法違反を平気で行う事態が続いています。もともと内閣は憲法改正の提案や意見表明はできません。にもかかわらず憲法の定める三権分立を踏みにじってでも、立法府に干渉するという異常さは極まります。

Yukariさん(シンガー)

【第9条、第25条】
子供の成長をみんなで楽しんで見守れる社会に

 私の好きな憲法は、第9条と第25条。
 ただただ、子どもの成長をみんなで楽しんで見ていける社会になってほしい。
 戦争なんていらない。原発なんていらない。

 生まれてきたら死ぬまで、自分に何が出来るかとは関係なく、ただ生きていくことを幸せに感じられたら素敵だな、なんか、恐い夢も見なくなるなって思います。


アンケートにお答えくださった皆さま、どうもありがとうございました!