【今こそ読みたい 厳選!マガ9アーカイブス】本田由紀さんインタビュー:「戦争のできる国」に向かう流れに飲み込まれないために(2017年8月2日公開記事)

2005年3月にスタートした「マガジン9」。たくさんの人に支えられ、こつこつ週1回の更新を続けているうちに、今年でなんと15周年を迎えました。
この15年間、コラムやインタビュー、対談などの記事を通じて、本当にさまざまな方たちのお話をうかがうことができました。その蓄積をただ眠らせておくのはもったいない! というわけで、過去の「マガジン9」掲載記事の中から、スタッフが厳選した「今だからこそ読みたい」コンテンツを再掲していきます。掲載当時とは状況などが変わっているところもありますが、今の状況との共通点に気づかされたり、新たな視点が見えてきたりすることも。未読の方も再読の方も、改めて、ぜひ読んでみてください。
※記事の内容、プロフィールなどは公開当時のものです。このシリーズは不定期で更新していきます。

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が7都府県に出されてから2週間あまり。先が見えない息苦しい雰囲気が社会を覆う中、SNSなどでしばしば見聞きする言説があります。
 「今は大変なときなんだから、政府批判は置いておいて力を合わせて頑張るべきだ」。
 大きな影響力があるであろう著名人までがそんな感じの書き込みをしているのを見て、重苦しい気持ちになりました。大変なときだからこそ、おかしいことはおかしいと声をあげて、よりよい方策を探っていくべきではないのか、と思います。
 そんなことを考えていて思い出したのが、下記の社会学者・本田由紀さんへのインタビュー。〈「上から言われたこと」をそのまま受け入れる、従順な人材〉の育成が進められる教育現場の現状についてお話しいただいた後、本田さんはこう締めくくられました。多くの人が毎日の生活にいっぱいいっぱいの今だからこそ、時々思い起こしておきたい言葉だと思います。

政府・政治家の言動に対して、「それはおかしい」「間違っている」と言い続けること、そうできるような姿勢を維持し続けること。「戦争」や全体主義に向かうこの流れに飲み込まれないために、それが何よりも不可欠だと思います。

*小中学校での道徳教育「教科化」など、教育の場における問題についてお聞きした、下記のインタビューなどもあわせてお読みください。
▼鶴田敦子さん(子どもと教科書全国ネット代表委員)インタビュー
教育全体に、「道徳」的価値観が持ち込まれつつある(2018年1月10日公開)
▼宮澤弘道さん(「道徳の教科化を考える会」代表)インタビュー
道徳は、学校で教えるべき「学問」ではない(2018年7月4日公開)
▼寺脇研さん×前川喜平さん対談
教育基本法改正、脱ゆとり教育、道徳教育…今、日本の「教育」はどうなっているのか(2020年3月4日公開)

2017年8月2日UP
本田由紀さんに聞いた(その2)
「戦争のできる国」に向かう流れに飲み込まれないために

「極右ネットワーク」と教育基本法改正

――前回、家庭教育支援法が成立していなくても、国家による家庭への介入は着々と進められているというお話をお聞きしました。これは、いつごろからはじまった動きなのでしょうか。

本田 動きとしては、少なくとも1990年代半ばからはっきりあったと思います。この時期、「酒鬼薔薇事件」(神戸連続児童殺傷事件)などの衝撃的な事件が続いたことや、「引きこもり」「ニート」といった言葉が注目を集めたこともあって、「子どもたちがおかしくなっている、家庭教育を見直さなくては」という言説が一気に出てきたんですね。
 事実、90年代後半以降に発表された教育政策に関する政府文書の中では、家庭教育の重要性が繰り返し謳われています。たとえば「酒鬼薔薇事件」の後に出された中央教育審議会答申(1998年6月)では、子どもたちの「生きる力」が重要で、それは家庭で身につけるものであるとして、家庭での読み聞かせや一緒に食事を取ることの重要性が説かれており、その後に政府は「家庭教育ノート」「家庭教育ビデオ」の作成・配布を開始しました。
 あるいは2007年6月の教育再生会議第二次報告では、子どもたちの規範意識や「早寝早起き朝ごはん」などの生活習慣、挨拶やしつけ、礼儀作法などについて、家庭が学校や地域と連携しながら身に付けさせる、と書かれています。
 そうした、「家庭の責任」を強調する言説が、90年代後半からどんどん強まってきたわけです。

――それはなぜそうなったと考えられますか。

本田 90年代、バブル崩壊の後あたりから、教科書問題や「慰安婦」の問題においても、非常に歴史修正主義的な主張をする「極右ネットワーク」というべき動きが活発化しています。その影響は何らかの形で受けているのではないでしょうか。
 そして、こうした動きがはっきりと形を取って現れたのが2006年、第一次安倍政権下で行われた教育基本法改正です。このときに、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」などとする第10条「家庭教育」という項目が新設されました。それを根拠に、前回お話ししたような家庭教育についての押しつけがどんどん強まっているというのが今の状況だと思います。
 そう考えると、先日成立した「共謀罪」法についても、あれを根拠にして何でもやってもいいというようなことが、これからどんどん起きるんじゃないかと暗鬱な気持ちになっているんですけどね。

――法律ができる、法で明文化されるというのは、そういうことなんですね……。

本田 そして、この教育基本法改正のときに「快哉」を叫んだのが、安倍政権との深いつながりが指摘されている「日本会議」※のメンバーたちです。彼らのブログなどを見ても、「これで自分たちのさまざまな悲願が実現できる」といったことがはっきりと書かれています。
 さらに、教育基本法改正直後の2006年12月には、この日本会議のメンバーでもある高橋史朗氏が提唱する「親学」※※の推進協会が設立されています。翌07年に教育再生会議が「『親学』に関する緊急提言」と題する子育て指針を発表しようとして批判を集めました。

※日本会議:1997年に設立された民間団体で、自主憲法の制定や愛国教育の推進を掲げる一方、夫婦別姓や男女共同参画に強く反対する。日本会議を支援する国会議員で構成される「日本会議国会議員懇談会」には200名以上が名を連ねており、特別顧問を務める安倍首相のほか現閣僚の7割以上がメンバーである。

※※親学:高橋史朗・明星大学教授が提唱する子育て論で、「日本の伝統的な子育て」を礼賛する。子どもの発達障害の原因は幼少期の親の育て方にあるとするなど、非科学的な主張も多い。

――それは記憶にあります。「5歳まではテレビを見せない」とか「早寝早起き朝ごはん」とか、非常に精神論的な内容でしたね。

本田 会議のメンバーに劇作家が入っていたからか「子どもにはテレビより演劇を見せろ」とか、笑止千万としか言いようのない内容でした。
 12年には「親学推進議員連盟」も設立されるのですが、この会長は安倍首相──設立時は自民党は野党でしたが──が務めていました。高橋氏の著作を読むと、教育基本法の改正と親学推進協会設立、親学議員連盟設立、そして今回の家庭教育支援法案とが、一つの流れとして連動しているということが明確に書かれているんですね。
 つまり、09年の政権交代で自民党が在野に下った後もずっと安倍さんを支えていた、「親学」と日本会議を中心とする「極右ネットワーク」が自民党の政権奪還とともに一斉に動き出し、安倍首相と互いに利用し合いながら、やりたかったことを次々実現させていっている、そして「家庭」を掌握しようとしているというのが、今の状況だと思います。
 こうした「極右ネットワーク」を、集票力は大したことがないといって軽視する人もいますが、直接的な集票力の問題ではなくて、思想やポリシーの面から彼らが政権を動かしているということのほうが問題です。「家庭」というのはどこにでもあるし、多くの人が属しているもの。そこを国家が掌握するということは、国民全体を掌握して、思い通りに動かすということでもあるわけですから。

学習指導要領、教員養成……教育現場での「掌握」も進む

――「極右ネットワーク」の悲願だったという教育基本法改正ですが、当然ながら家庭教育以外の面でも影響は出ているわけですよね。

本田 そうです。「家庭」だけではなく「学校」を掌握しようとする動きも、どんどん強まっていると感じます。
 学校教育の方向性を決めるのは学習指導要領ですが、現行の指導要領が公示されたのは2008年で、教育基本法改正の後それほど間をおかず原案を発表しなくてはならなかったので、改正法の内容を十分に反映することはできなかったんですね。改正を進めた人たちからしてみれば、非常に不十分な内容だった。そこから10年近く経って、まさに満を持してという感じで改正法の精神を全面的に盛り込んだ内容になっているのが、今年3月に公示された新学習指導要領です。小学校では2018年度、中学校では19年度から施行される予定になっています。

――どのような内容なのでしょうか。

本田 まず、冒頭の「前文」には、「教育基本法2条に掲げる次の目標を達成する」として、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」といった文言も含まれる改正教育基本法の教育目標が明記され、それらの目標を実現するためにこの指導要領があるんだということがはっきりと書かれています。
 さらに内容を見ていくと、キーワードになっているのが「資質・能力」です。これまでの学習指導要領では、「〜の能力を身に付けさせる」ということが第一の目標に掲げられていました。それが、今回の指導要領では「能力」が「資質・能力」、もしくは「態度」に置き換えられている。ここ数年の中央教育審議会の答申などが掲げる「目標」の中でも、「能力」という言葉が減って「資質」や「態度」という言葉が増えるという傾向が明らかに見て取れます。「資質」というのは本来、生まれ持った性質のことですが、最近の教育政策文書ではほとんど「態度」と同義で、後から変えられるものという解釈で使われています。

――「能力」から「資質」「態度」……。この変化が意味するものは何なのでしょう。

本田 「能力」であれば、必然的に「できる人」と「できない人」がいるということが前提であって、すべての子どもが「できる人」になることは不可能ですよね。ところが「態度」やそれとほぼ同義の「資質」となると、あくまで外面的な振る舞いですから、「やる気があるなら態度で示せ」というように、その気になれば誰でもできるということになる。すべての子どもに「態度を身に付ける」ことを求めることもできてしまうわけです。

――先生に言われたことに異を唱えず、言うことをおとなしく聞いていれば「態度が身に付いている」と評価される、ということでしょうか。

本田 そう思います。つまりは、「自分たちの気に入るふるまいをする人間になれ」「すべての子どもにそれを達成させるために学校現場をデザインせよ」ということなのでしょう。
 そのために、「教員養成」の掌握も進んでいます。今、文部科学省が進めているのが、教職課程の「コアカリキュラム」作成。教職課程をもつ大学すべてに全国共通の標準的な教育内容を採用させるというもので、いずれは教員採用試験も全国共通にすることも検討されています。

――現状であれば、同じ教職課程であっても大学によって学ぶ内容は少しずつ異なりますし、教員採用試験は自治体ごとに行われていますよね。それが教員の個性にもつながるのだと思いますが……。

本田 「教員養成の全国的な水準の確保」が目的だというのですが、国家にとって好ましい教員像に合致した教員を金太郎飴的に育成しようとしているようにしか思えません。

――そして、そこで学んだ教員たちが、さらに小中学校で子どもたちの教育に携わることになる……。

本田 そうです。学習指導要領と教員養成の二本立てで、「家庭」と同様に国民全員がかかわらざるを得ない「学校」を、これまで以上にがっちりと掌握しようとする動きが、急速に進んでいると感じます。

最終目的は「戦争のできる国」づくり

――「家庭」と「学校」、両方から国民を掌握しようとする動きが、着々と進んでいるということですね。その目指すところは何なのでしょうか。

本田 最終目標は、やはり「戦争のできる国にすること」だと思います。安保関連法が成立したときも反対の声は非常に大きかったですし、特に「子どもを戦争にやりたくない」という女性たちの思いは非常に強い。教育現場で「上から言われたこと」をそのまま受け入れる、従順な人材を育成し、家庭教育にも介入することによって、戦争を遂行するときに障害になる国民の反発を、あらかじめ抑え込んでおきたいというのは重要な目的としてあると思います。

――「戦争のできる国」づくり……。まさかそこまで、とも思ってしまいそうですが。

本田 でも、今これだけ北朝鮮などの「脅威」が強調されて、茶番としか思えないミサイル対策の訓練まで実施されていますよね。金だけじゃなく軍事力も出せというアメリカからの圧力もありますし、産業界の一部は軍事的産業で儲けられるとなれば、喜んでその動きに乗っかるでしょう。そう考えれば、「まさか」とはとても言えないと思います。少なくとも、家庭と学校の掌握という大きな流れの背景にある、非常に重要な要素の一つであることは間違いないでしょう。

――家庭教育支援法や教育基本法改正だけではなく、教育勅語の復権や道徳の教科化、銃剣道の導入など、さまざまなことがその流れの上にあるということでしょうか。

本田 あと「官製婚活」※などもそうでしょう。国家が利用しようとする「家族」という構造から外れていて都合の悪い独身者を、なんとか結婚させて網の中に入れ込もう、という意図を感じます。
 とにかく、すべてが同じ方向を向いているんですよね。それも、思っていた以上にすごい勢いで進んでいると思います。

※官製婚活:政府が「少子化対策のため」として国家予算を投入し、お見合いパーティや婚活セミナーなどを主導して開催していること。

――非常に怖いお話ですが、それに対して私たちは、どう抗っていくことができるのでしょうか。

本田 難しいけれど、とにかく萎縮しないことでしょう。おかしな法律が新たにつくられようとするたびに違憲訴訟をしていくとか、粘り強い抵抗運動を続けること。そして何より、政府・政治家の言動に対して、「それはおかしい」「間違っている」と言い続けること、そうできるような姿勢を維持し続けること。「戦争」や全体主義に向かうこの流れに飲み込まれないために、それが何よりも不可欠だと思います。

本田由紀(ほんだ・ゆき)1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学。著書に『社会を結びなおす――教育・仕事・家族の連携へ』(岩波ブックレット)、『もじれる社会 戦後日本型循環モデルを超えて』『教育の職業的意義――若者、学校、社会をつなぐ』(ともにちくま新書)、『軋む社会――教育・仕事・若者の現在』(河出文庫)、『「家庭教育」の隘路』(勁草書房)、編著に『現代社会論』(有斐閣)など。ツイッター @hahaguma ※プロフィールは初出当時

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