【寄稿】原発事故汚染水の海洋放出:話し合いは十分か?(牧内昇平)

海洋放出に反対するため首相官邸前に集まった人びと=8月18日、東京都千代田区

一方的な判断で福島第一原発の処理汚染水の海洋放出を進めようとしている岸田内閣。「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」との約束を置き去りにしていいわけがありません。この問題について、マガジン9で「映画から考える3・11」を連載してくださった物書きユニット・ウネリウネラの牧内昇平さんに寄稿いただきました。

 東京電力福島第一原発にたまる汚染水(※)について、岸田首相は24日から海洋放出を始めると決めました。でも、漁業者をはじめ多くの人びとが反対している中で、このまま進めてしまっていいのでしょうか? 民主主義の基本である「話し合い」は尽くされたのでしょうか? 筆者は今回の政府の進め方を「合意の捏造」だと考えています。

※政府の定義によると、多核種除去設備(ALPS)で処理する前の液体が「汚染水」で、処理後の液体は「ALPS処理水」です。しかし、ALPS処理後もトリチウムを筆頭にさまざまな放射性物質が含まれています。そこでウネリウネラは処理後の液体もあえて「汚染水」と呼んでいます。

8.18首相官邸前アクション

 8月18日午前10時、200人を優に超える市民たちが首相官邸前に集まりました。うだるような暑さの中、参加者たちが横断幕やプラカードを掲げます。

 〈約束を守れ!〉
 〈安全な陸上で保管できる〉
 〈福島は怒っている 汚染水ながすな〉

 最初にマイクを握ったのは、福島県三春町からやってきた武藤類子さんでした。海洋放出に反対を続けてきた市民グループ「これ以上海を汚すな!市民会議」(これ海)のメンバーです。

 「きょう、岸田首相は日米韓首脳会談のためにアメリカに行っています。しかし、岸田首相が聞くべき声は、バイデン大統領やユン大統領の意向ではありません。聞くべきは、漁業者をはじめとする原発事故の被害者、国内の市民の声、そして海でつながる他の国々の市民の声だと思います」(武藤さん)

 続いて「これ海」共同代表、同県いわき市在住の佐藤和良さんがスピーチを行いました。
 「全国の漁業者が一丸となって反対し続けているではありませんか。そしてまた、福島県民はじめ多くの原発事故被害者が、この放射性液体廃棄物の海洋投棄に反対しているんです」

首相官邸前でスピーチを行う佐藤和良さん=8月18日、東京都千代田区

 「これ海」は2021年4月13日に政府が海洋放出方針を決めて以来、毎月13日に「放出反対」のアピール行動を続けてきました。放出が秒読み段階と言われる中、佐藤さんの演説に力がこもります。

 「東日本大震災で塗炭の苦しみを味わって12年、ここまできました。沿岸漁業もようやく震災前2割の水揚げに至ったばかりです。ここで汚染水を流されたら生業が成り立ちません。会津には『什の掟(じゅうのおきて)』というものがあります。『ならぬことはならぬものです。嘘(うそ)を言うことはなりませぬ』。岸田首相にこの言葉を贈ります!」(佐藤さん)

海洋放出に反対するため首相官邸前に集まった人びと=8月18日、東京都千代田区

 同県会津坂下町から来た千葉親子さんはこう語りました。
 「3・11のあの危機感を忘れたのでしょうか? 放射能汚染水は処理して薄めて流せば心配ないと。国も東電もそう言っております。ほかの原発も、ほかの国も、流しているではないかと。しかし、決定的に違うのは、福島第一原発は事故を起こし、燃料デブリが残っていることです(※①)。海洋放出を絶対に許すことはできません」

 海洋放出に反対しているのは「ごく一部の人たち」だけでしょうか。そんなことはありません。福島県内外の漁業者たちが反対しているのは周知の事実です。筆者の取材では、福島県内59市町村議会のうち約8割に当たる47議会が「反対」もしくは「慎重」の意思を示す意見書を可決しています。「コープふくしま」を含む東北地方の生活協同組合などは25万筆を超える反対署名を集め、政府と東電に提出しています。
 共同通信社の全国世論調査(8月19、20日に実施)によると、海洋放出に「反対」と答えた人は25.7%で、「賛成」(29.6%)と同じくらいでした。そして81.9%の人が、海洋放出をめぐる政府の説明は「不十分だ」と回答していました。

 例を挙げれば切りがありません。多くの人びとが反対し、不安に思っている状況で、日本政府は汚染水の海洋放出に突き進もうとしています。

安全PRと営業損害対策

 福島第一原発の廃炉を進めるに当たって、海洋放出は避けて通れない――。2021年4月13日、当時の菅義偉首相は海洋放出の方針を決めました。それから2年4か月余りがたちます。この間日本政府は何をしてきたでしょうか。

 政府が力を入れてきたのは2つ、「安全PR」と「風評(被害)対策」という名の営業損害対策です。下の表にあるのは、経産省が2021年度補正予算でつくった「海洋放出に伴う需要対策基金」で行った事業の一部です(※②)。

海洋放出PR事業の数々    
事業名 予算の上限 落札企業
廃炉・汚染水・処理水対策の理解醸成に向けた双方向のコミュニケーション機会創出等支援事業 2500万円 JTB
廃炉・汚染水・処理水対策に係るCM制作放送等事業 4300万円 エフエム福島
被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業 8000万円 ユーメディア
ALPS処理水の処分に伴う福島県及びその近隣県の水産物等の需要対策等事業 2億5千万円 読売新聞東京本社
ALPS処理水に係る国民理解醸成活動等事業 12億円 電通
ALPS処理水による風評影響調査事業 5千万円 流通経済研究所
ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業 1億円 博報堂
三陸・常磐地域の水産品等の消費拡大等のための枠組みの構築・運営事業 8千万円 ジェイアール東日本企画
廃炉・汚染水・処理水対策に係る若年層向け理解醸成事業 4400万円 博報堂
福島第一原発の廃炉・汚染水・処理水対策に係る広報コンテンツ制作事業 1950万円 読売広告社
「ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金」のウェブサイトで公開されている情報を基に筆者作成

 経産省は約30億円を投じ、海洋放出への「理解醸成」や、福島・宮城などの水産物PRのための広報事業を行ってきました。代表的なものは広告代理店大手の電通が受注した「国民理解醸成活動事業」でしょう。昨年末、全国各地で海洋放出のテレビCMが放送されました(※③)。
 〈安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと〉
 経産省はこのCMを電通に作らせ、一気に「安全PR」を進めました。新聞各紙にも同様の広告が載りました。まさに政府とマスメディアが一体になった「海洋放出プロパガンダ」であったと筆者は考えています。

 テレビCMだけではありません。電通のライバルである博報堂は「若年層向け理解醸成事業」を受注しました。これは全国の高校に経産省の職員を派遣し、海洋放出の「出前授業」を行うというものです。さらには読売新聞東京本社も水産物PRイベントを開催する事業を受注しています(※④)。本来ならばマスメディアとして政府の施策を批判的にウォッチするのが新聞社の役割ではないでしょうか。読売新聞に「ウォッチドッグ」としての気概はあるのでしょうか。

 この「需要対策基金」の規模は合計300億円にのぼります。上手の広報事業に約30億円使い、残り270億円の使い道は、魚が売れなくなった場合の一時買取りなど水産業者支援です。
 これではまだ足りないと思ったのでしょう。政府はさらに500億円を投じて新たな基金、「海洋放出に伴う影響を乗り越えるための漁業者支援基金」をつくりました。こちらは福島県近隣だけでなく、全国の漁業者に対して新しい漁具の購入や省エネ機器の導入を支援するための基金です(※➄)。

 マスメディアと一体化した「海洋放出プロパガンダ」と、公金を湯水のごとく使った「営業損害対策」。政府がこの2年4か月で力を入れてきたのは、この2点です。

十分に話し合ってきたのか?

 一方で、政府がこの間怠ってきたことがあります。それは、海洋放出に反対する市民や、代替案を真剣に探している有識者たちとの「話し合い」です。

 方針決定前の2018年、政府は市民が参加できる「説明・公聴会」を合計3回開きました。しかしそれ以降、政府主催の一般参加可能な公聴会は一度も開かれていません。
 今年7月に福島県の会津若松市と郡山市で、市民と政府・東電との意見交換会が行われました(※⑥)。これらは市民有志が政府側に要請し、市民主催で実現した会合です。「丁寧に説明する」と政府は再三言ってきましたが、こうしたことを考えると、一般の市民への説明には消極的だと考えざるを得ません。

市民有志(奥)は政府・東電に要請して会合を実現させ、真剣な意見交換を行った=7月6日、福島県会津若松市

 また、海洋放出以外の処分方法についても真剣に話し合っていると言えるでしょうか。大学教授や原発の設計技術者などが加わる「原子力市民委員会」は、「大型タンクによる長期保管」と「モルタル固化による半地下埋設」という2つの代替案を出しています。政府・東電はこれらの案を採用していません。だめな理由がきちんと伝えられていないため、市民委員会のメンバーたちは納得できません(※⑦)。市民委員会の座長を務める龍谷大学の大島堅一教授(環境経済学)は、「我々は公開の場で議論することを望んでおり、機会があるごとにそう申し上げていますが、政府から公式な討論の対象として選んでいただいていないのが現状です」と話しています。

 今月20日、岸田首相は「福島入り」しました。行きは新幹線に乗り、JR郡山駅から東電福島第一原発へ向かいました。帰りはいわき駅から特急で公邸に戻りました。原発構内で東電ホールディングスの会長、社長と面会し、記者会見を行いましたが、福島の人びとと話し合う時間はつくりませんでした。

進められてきたのは「合意の捏造」である

 民主主義は「話し合い」→「合意」→「物事を進める」というのが基本のステップです。汚染水の海洋放出をめぐる政策決定プロセスは一見、民主主義の基本ステップを踏んでいるように見えるかもしれません。
 しかし、内情を掘り下げてみれば、ステップの中核をなすはずの「合意」はでっちあげられたものにすぎません。「話し合い」を軽んじ、「お金」と「プロパガンダ」で捏造した「合意」である。筆者はそう考えています。こんなやり方がまかり通ってしまっては、民主主義はクラゲみたいに骨抜きになってしまいます。

 いずれにしろ海洋放出が終わるには少なくとも30~40年かかると言われています。今からでも全く手遅れではありません。いったん立ち止まり、海洋放出して本当に大丈夫なのか、海に捨てる以外の方法はないのか。もう一度みんなで考えるべきではないでしょうか。

(文・写真/ウネリウネラ牧内昇平)

〈参考記事〉
① 2023年7月23日付 ウネリウネラ「ALPSで除去しきれない核種の量は?」
② 2022年12月29日付 ウネリウネラ「海洋放出のPR事業いろいろ」
③ 2022年12月22日付 ウネリウネラ「放送中のCMについて」
④ 2023年6月2日付 ウネリウネラ「政府と一体化したメディアのPR事業」
⑤ 2023年7月25日付 ウネリウネラ「結局いくらかかるのか?青天井の放出コスト」
⑥ 2023年7月7日付 ウネリウネラ「市民と経産省・東電との意見交換会(前半)」
  2023年7月8日付 ウネリウネラ「市民と経産省・東電との意見交換会(後半)」
  2023年7月20日付 ウネリウネラ「話し合いは十分か?市民と経産省・東電の意見交換会@郡山」
⑦ 2023年8月22日付 ウネリウネラ「代替案の議論が足りない」

〈参考文献〉
『manufacturing consent 原発事故汚染水をめぐる「合意の捏造」』(牧内昇平、ウネリウネラBOOKS)

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】