優生保護法はウーマンリブの味方だった?!(田端薫)

 「優生保護法」と聞いて遠い日の記憶がうずくのは、ウーマンリブ運動華やかりしころに青春時代を過ごした団塊世代の女たちではないだろうか。私もその一人。女たちは女性解放の旗を掲げ、性の解放を叫び、「産む産まないは女が決める」「中絶は女の権利」と主張した。だから経済的理由での中絶を認める「優生保護法」は、女の味方だと思っていた。
 「優生保護法指定」の看板を掲げる街の産婦人科医院は、不本意な妊娠をしてしまった女たちの駆け込み寺だった。いざというときに備えて、「指定医」が町のどこにあるか下調べしておくことは、私たち世代の女たちの常識だった。1972年頃同法から「経済的理由」を削除するという動きが出てきたときには「優生保護法改悪反対」を叫んでデモもした。同法は女にとって必要な守るべきものと、素朴に思い込んでいたのである。

 それから半世紀、同法のもとで強制不妊手術を受けさせられたという障害者らが国家賠償請求訴訟を起こしたというニュースを新聞報道で知って愕然とした。全国初となる今年1月の仙台地裁への提訴をきっかけに、全国各地で立ち上がる被害者が相次ぎ、6月28日現在原告は7人。統計では少なくとも一万6千人以上の男女が本人の同意なく手術されたというのである。
 確かに当時も「障害者団体がなにか言っていたな」くらいの曖昧な記憶はある。だが、まさかこれほど露骨に優生思想むきだしの国家暴力が正当化されていたとは! とんでもない人権蹂躙の悪法だと気づかなかった我が青春の悔悟から、いくつかの勉強会、シンポジウムに足を運んだ。(日本女性学会2018年度大会第二分科会「旧優生保護法問題の論点整理」/6月3日開催、日本臨床心理学会主催ワークショップ「当事者が語る 強制不妊手術の体験 -強制不妊手術の国家賠償請求訴訟の経過と展望」/6月17日開催、立教大学社会福祉研究会 公開講演会 「旧優生保護法と強制不妊手術 国家責任を問う」/6月30日開催)

 優生保護法は1948年に成立、96年に「母体保護法」に改組されるまであった法律で、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」(同法1条)を目的としていた。ここで「不良な子孫」を産むとされたのは、当時遺伝性とみなされていた精神障害や精神疾患、「強度且つ悪質な遺伝性身体疾患」「強度な遺伝性奇形」、さらにはハンセン病など遺伝性でない病気や精神疾患や知的障害にまで及んだ。こうした人々には、本人の同意なしに、あるいは半強制的に不妊手術や人工中絶が合法化されたのである。
 同時に同法は、刑法の堕胎罪(今でもある!)の「抜け穴」として経済的理由と性的暴行による妊娠の人工中絶を認めた(14条第1項第4号、第5号)。これにより、世界に先駆けて妊娠中絶が合法化されたわけだが、それは女性の自己決定にもとづく権利として認められたわけではなく、敗戦直後の人口爆発を懸念した国の人口政策だったのだ。そのことを見抜けず、同法をよしとしたかつての自分が情けない。

憲法にある人権、公共の福祉って何?

 優生保護法の成り立ちを知って何より驚いたのは、あの輝かしい日本国憲法が公布された2年後に、全会一致の議員立法で成立したことである。憲法で基本的人権を高らかに謳ったはずなのに、なんで? その疑問に対するひとつの答えは、皮肉にも憲法そのものにあった。憲法13条である。「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り……」にある「公共の福祉」が、強制不妊手術合法化の口実に使われたのだ。つまり「不良な子孫の出生防止は公益である」と。
 国賠訴訟の弁護団共同代表をつとめる弁護士の新里宏二さんは「私たちは旧優生保護法による不妊手術は憲法13条で保障された人格権、子どもを産み育てるか否かの自己決定権を奪ったゆえに違憲であると主張しているが、当時同法は、“公益上の理由”から憲法の精神に反しないとされたのも事実。人権とはただ憲法に書いてあるというだけではだめで、日々肉付けしていかないと根づかない」と指摘する。

愛の名の下にすすめられた国民運動

 ありていに言えば「障害者は不幸だから生まれない方がいい。本人のため、家族のため、社会や国のため」という「無邪気」な優生思想、公益認識は、強制不妊手術をすすめる下からの原動力にもなった。その証拠は都道府県別の手術件数にも表れている。同法の施行以来、厚生省は優生手術の件数を増やし予算を消化するよう自治体に指導、都道府県は件数を競うようになった。そのなかで北海道や宮城県では「不幸な子どもを産まない運動」や「愛の10万人運動」(宮城県で展開された、知的障害者の隔離収容施設建設のための募金運動)など、官民一体となった推進運動が展開され、手術件数全国一、二位を“誇る”結果を出した。愛や福祉、公益の名の下に広がった善意の国民運動の果たした役割の大きさに、暗然とする。
 優生思想の啓蒙は教科書にも見られた。1950年発行の高校の保健体育の教科書には同法について「社会から悪い遺伝性の病気を持った人を除き、健康で明るい社会をつくるためにたいせつなもの」と記述されている。「まさに行政・医療・福祉・教育が一体となってすすめた」と利光恵子さん(立命館大学生存学研究センター客員研究員)。

「産む」ことだけが幸せか? 報道にみる違和感

 今年1月の国賠提訴をきっかけに、新聞やテレビはこの問題をこぞって取り上げ、大きく報道するようになった。1997年からこの問題に取り組んできた「優生手術に対する謝罪を求める会」の女性たちは、この急展開を歓迎するとともに、報道に見られる“お決まりのパターン”に疑問を呈する。すなわち、どれもが「子どもを産み育てる権利を奪われた」「子どもが産めなくなって、結婚して幸せなお母さんになる未来を奪われた」「子どもができないからだにされた」など「産む」という権利、幸せを奪われた=ひどい、かわいそうという文脈の報道一色だったからだ。そこには「女性は子どもを産むもの」という暗黙の前提があり、「産まない選択、産まない人生」は切り捨てられている。「“子どもがいない=不幸せ”という『常識』を拡大再生産してしまうのではないか。子どもを産む、産まないという個人の自己決定権が踏みにじられたことが問題」と「求める会」の大橋由香子さん。

過去の問題でも障害者だけの問題でもない

 同法がなくなって22年、それでもなお優生思想は形を変え、新・優生学ともいうべき現象が私たちの前に立ち現れていると警鐘を鳴らすのは、立命館大学教授・松原洋子さん。同法が廃止され、「優生学」という言葉がタブー化された時期を経て、今日めざましく進化、普及し続ける胎児の出生前診断やゲノム編集、遺伝子操作に優生学の影はないのだろうか。「生殖医療や再生医療などの広範な分野におよび、しかも国家による強制でなく『個人の自己決定』というスマートな装いをまとっていて問題は複雑」と松原さん。これから直面するであろう先端技術とどう向き合うか。その判断のものさしとしても、優生保護法をめぐる歴史を知ることは必須だ。
 自民党議員らによる産めよ増やせよ発言も後を絶たない。優良な子どもはどんどん増やし、社会のお荷物になる障害者や病人、年寄りは減らしたいという「人間の量と質をコントロールする人口政策(大橋さん)」は、今もこれからも続くだろう。優生保護法があぶり出したのは、障害者だけの問題ではない。誰もが被害者にも加害者にもなり得る。人権意識が低かった過去の話とかたづけてはならない。

(田端薫)


【参考図書と集会のお知らせ】

『優生保護法が犯した罪 子どもをもつことを奪われた人々の証言』
(優生手術に対する謝罪を求める会編/現代書館)

「優生保護法に私たちはどう向き合うのか?謝罪・補償・調査検証を!」
2018年7月28日土曜日 13時30分〜16時30分
東京大学駒場キャンパス 18号館ホール
参加費500円(申込不要)
問い合わせ 優生手術に対する謝罪を求める会
e-mail ccprc79@bmail.com