どうして「夫婦別姓」裁判を? 柏木規与子さんに聞いてみた(西村リユ)

 マガ9でもおなじみ、映画作家の想田和弘さんが今年6月、長年のパートナーであるダンサー・映画プロデューサーの柏木規与子さんとともに、選択的夫婦別姓をめぐる訴訟を東京地裁に提起されました。
 お二人は1997年に、現在も居住する米国・ニューヨークで、別姓を選択して結婚。日本人カップルが海外で結婚した場合、現地法に基づく婚姻であれば日本国内でも効力が認められるそうです(法の適用に関する通則法第24条)。しかし一方、戸籍上で「夫婦」と認められるためには、夫婦同姓での届け出をする必要があり、その届け出をしていない想田さんと柏木さんは、戸籍上では婚姻関係を立証できない状況にありました。
 今年6月には、改めて都内の区役所に別姓のままの婚姻届を提出しようとしたものの、区役所は受理を拒否。そこで、婚姻関係の証明などを求めての今回の訴訟となったものです。
 想田さんにはコラムで訴訟の経緯について書いていただいているほか、こちらのインタビューでもご自身の家族観や結婚観についてお話しいただいたことがあります。じゃあ、もう一方の当事者である柏木さんはどんな思いで「原告」となったんだろう? …というわけで、改めてお話をうかがってみました(写真はすべて会見のときのもの)。

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「夫婦別姓が実現したら届け出を」で、気付いたら20年が経っていた

 もともと昔から、「結婚したい」という気持ちはほとんどなかったんです。ダンスをはじめ、自分の好きなことばかりやって生きていたので、結婚「なんか」して好きなことができなくなってしまうのは嫌だ、という気持ちのほうが強くて。私はきっと誰とも結婚しないだろうな、と思っていたし、周囲もそう見ていたみたいです。
 アメリカで想田と知り合ったときも、最初は「いい友達ができたなあ」という感じで、まさか後に結婚することになるとは思いませんでした(笑)。それがいろいろあって一緒に暮らすようになったんですが、これからもこのまま一緒に住んで家庭を作っていくのであれば、法律婚という形を取りたいなと思ったんですね。 
 というのは、結婚しないままだと、日本に帰ったときに親や親戚にとても紹介しづらくて。「えーと、想田くんっていって、ニューヨークで一緒に住んでいて…」と、なんだか煮え切らない説明になってしまうし、実際に「一緒に住んでるのに結婚もしないなんて、騙されてるんじゃないの、大丈夫?」と聞かれたことも何度かありました(笑)。だから法律婚をすることで、みんなに安心してもらいたいと思ったんですね。
 想田のほうは、そもそも結婚制度自体に反対みたいなところがあったので、すぐに同意はせずにしばらくグズグズ言っていましたが(笑)、ちょうど彼がグリーンカード(永住者カード)を申請することになって。だったら結婚してしまったほうがビザの問題が簡単だ、というのが決め手になりました。
 それで、ニューヨーク市庁舎で結婚の手続きをして式を挙げたのですが、日本領事館には届けませんでした。届けるとすると、想田か柏木かどちらかの名字を選ばなくてはならないけれど、2人とも名字を変えたくはなかった。それに、ちょうど日本では、夫婦別姓を可能にするための民法改正が実現するといわれていたタイミングだったので、だったらそれを待って手続きをしよう、と考えました。だから、その時点では日本でも近い将来に届け出を出すつもりだったんですよ。
 ところが、結局その民法改正は行われないまま立ち消えになって。私たちも届け出を出せないまま、気付いたら20年以上が経っていたんです。

訴訟提起の記者会見に臨む柏木さん。隣はパートナーの想田さん

現実に自覚的になってもらうためのきっかけに

 困ったのは、まだグリーンカード取得前に、一人で日本に帰ったときのことです。想田は労働ビザを持っていて、私はその配偶者ビザだったので、アメリカに戻るためには大阪の米国領事館で再入国の手続きをしなくてはなりませんでした。
 ところが申請後、領事館の日本人職員から電話がかかってきて、「あなたと想田さんは姓が違うから夫婦とは認められず、配偶者ビザは出せない。日本で結婚手続きをしてからもう一度申請しろ」と言われたんです。「アメリカでちゃんと結婚して認められている」と反論しても、まったく取り付く島がなく……。二度目の電話のときには、たまたま電話に出た母親にまで「日本で手続きをさせろ」と説教されて、本当に腹が立ちました。アメリカに残っていた想田も、「弁護士に相談する」と言ってとても怒っていましたね。
 ともかく、仕事もあるし早く戻らなくてはと、出発予定日の前日に領事館に直談判に行きました。でも、対応した職員はやっぱり「姓が違うからダメ」の繰り返しでらちがあかない。それで、あきらめたふりをして様子を見ていたら、カウンターの中に「Consul(領事)」と書かれた電話があるのを発見して。「もしかして領事直通の電話なんじゃ?」と思って、隙を見てその電話を取ってみたら、大当たり! 「ハロー」と電話に出たのは領事その人でした。
 「夫と離れてもう1カ月になる、これ以上彼を1人にはしておけません」と涙ながらに訴えてみたら、領事は同情してくれてすぐにビザを出してくれました。ただ、「僕たちは全然気にしないんだけど、日本ではまた同じことが起こる可能性があるから、手続きをしたほうがいいかもしれないよ」とは言われましたね。
 基本的にはアメリカで暮らしているので、そのときを除けば「別姓」で苦労したことはほとんどありません。それでも今回、原告になることを決めたのは、私たちもいつ日本に帰ることになるか分からないし、そのときのためにもなんとかしなきゃ、と思ったから。それから、日本で苦労しながら事実婚を通してきた女性たちの話を聞いて、その代表になれるなら、と思ったというのもあります。
 話を聞いていると、本当に皆さん、肩身の狭い思いをされているんですね。子どもを非嫡出子にしないために、出産前に一度婚姻届を出して、生まれたらまた離婚届を出して、という「ペーパー離婚」をする人がいる、という話には驚かされました。
 日本で、ここまで選択的夫婦別姓が認められないで来たことについては……本当に「謎」の一言しかありません。夫婦同姓というのは、確固たる理由があるわけでもないのに、多くの人がなんとなく「そういうものだから」と思わされて従わされていることの一つだと思います。そのことにも、それから改姓をしているのが9割女性であって、それだけ女性の立場が弱いんだということにも、もっとみんな自覚的になったほうがいいのではないでしょうか。女性にも男性にも、改めてそうした現実に気付いてもらうきっかけの一つに、今回の裁判がなればいいなと思っています。

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 柏木さんのお話の中で印象的だったのが、アメリカから日本に帰ってくると「どこか萎縮する」とおっしゃっていたこと。特に、夫である想田さんと一緒に行動しているときには、「柏木規与子」としてではなく「想田さんの奥さん」として扱われるのを強く感じるのだそうです。「名刺を渡した後でさえ、『奥さん』と呼びかけられることがよくあります。もちろん、お会いする人の多くが想田の映画の観客だということもあるし、単なる習慣だともいえるのでしょうが」
 それに比べて、アメリカでは「柏木規与子」としてのびのび活動できる、といいます。もちろん、アメリカに女性差別がないとは言わないけれど、少なくとも日本とアメリカの社会における女性の立ち位置の違いがよく見えるエピソードではないでしょうか。そして、その「違い」が、「別姓を名乗りたい夫婦は名乗れる」という簡単なことが、ここまで認められないままで来ているという現実にも確実につながっていると感じます。
 「怖いのは、そうして『奥さん』として扱われ続けるうちに、自分でも面倒になって、『奥さん』として後ろに控えているほうが楽になってくることなんです」。柏木さんはそうもおっしゃっていました。「楽」に流されるのでなく、自分の立ち位置やあり方を、もっと自覚的に選び取ること。その大事さを、改めて考えます。

(西村リユ)