毛利子来先生が残された言葉を杖に(水島さつき)

こちら編集部

 10月26日「たぬき先生」こと小児科医の毛利子来さんが、87歳で亡くなられました。毛利先生は「マガジン9」の前身である「マガジン9条」の、名実ともに発起人のお一人として、「9条を変えるなんてとんでもない。僕ができることは何でもやるから」と、マガ9の編集会議にも頻繁に顔を出され、積極的に発言をされていたこと、覚えています。2005年3月1日にアップした創刊号のインタビュー「この人に聞きたい」(戦争は「自衛」をキーワードにはじまるもの。)を飾ったのも、毛利先生でした。
 この時、「改憲の目的は何だと思いますか?」との編集部の問いに、「アメリカの世界戦略に加担すること。アメリカと共同行動をとれるように、憲法の制約をはずそうということ」と答えています。
 それから12年。今朝の朝日新聞一面には「日本版海兵隊 沖縄配置へ 米軍基地を共同使用 2020年代前半 米部隊移転後」との見出しが踊る有様です。毛利先生が心配していた通りのことが、今目の前にある。これについて、マガジン9を続けてきた私たちはどう考えるべきなのか…と頭を抱えたくなります。

 毛利先生はいつもパワフルに活動されていて、町医者として診療を続ける傍ら、執筆活動や育児雑誌の編纂にも関わっていました。マガ9でも「こども医者毛利子来の『狸穴から』」を1年間執筆していただきました。中でも印象に残っているのは、「インフルエンザは妖怪だ。」インフルエンザやタミフルをめぐる日本あげての「大騒動」にチクリと持論を展開されましたが、このコラムは大きな反響を呼び、マガ9読者からも異論反論が噴出。その後改めて「毛利さんに聞いた インフルエンザ騒動」を企画したほどです。「しがらみ」や「常識」に捉われることなく、ご自身の考えを恐れずに言う、反論もきちんと聞くという姿勢は大変にカッコ良かったと思います。
 ここ数年は、体調を崩され診療もなさっていないと聞いていました。マガ9の忘年会への出席もしばらくなかったので、心配はしていました。

 あの戦争を経験し伝えてくれた方がまたお一人、いなくなってしまったことは、とても寂しくて心細さでいっぱいです。でも「狸穴から」の最終回で書いてくださった毛利さんからのメッセージを杖にして、投げ出さずに歩いていきたいと思っています。

 どんな事態にあろうとも、決して、諦めてはなるまい。
 たとえ細々とでも、なすべきと思うことは、諦めずに、続けて行くにかぎる。
 そうした根気によってこそ、やがては、民衆の手による変化を勝ち取ることができるはずなのだ。
 幸か不幸か、今は、まさに、そのひとつのチャンス。
 経済社会構造の根本的な変動の時期を迎えている今こそ、大いなる希望を持って、行動を強めていきたいものではある。

(「狸穴から」より)

 毛利先生、マガ9を作ってくださって、そして長い間気にかけてくださって、ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈りします。

(水島さつき)