弁護士過疎地域での業務と課題~自分の経験から皆さま方に伝えたいこと 講師:大窪和久氏

 裁判所の支部があっても、その支部管轄内に弁護士が一人もいないか、もしくは弁護士がいてもその数が非常に少ない地域のことを「弁護士過疎地域」といいます。司法改革による弁護士増員や公設事務所事業などの取り組みにより、弁護士過疎の問題は数的には解消されつつありますが、それぞれの地域のニーズに合わせて弁護士としての使命を全うできるかは、個々の弁護士の力量にかかっています。
 今回の講演では、2005年から2016年までの約11年間、弁護士過疎地域で尽力してこられた大窪和久先生に、弁護士過疎地域の実情と課題についてお話しいただきました。[2017年12月9日(土)@渋谷本校]

弁護士過疎解消のための取り組み

 私は弁護士登録後、桜丘法律事務所で研鑽を積み、2005年から北海道紋別市で3年間、鹿児島県奄美市で3年間、公設事務所の所長を務めたあと、再び北海道に戻り名寄市にて弁護士法人の支店長として5年間在任しました。昨年東京に戻って来てからは、桜丘法律事務所に復帰し、公設事務所や法テラスに派遣するための新人弁護士の指導を行っています。
 私が所属する桜丘法律事務所の櫻井所長は、もともと刑事弁護を専門としており、被疑者国選制度の創設を目指す中で「地方にはそもそも弁護士がいないから制度をつくれない」という壁にぶつかりました。そこで「弁護士過疎」という問題に直面した櫻井所長は日弁連に働きかけ、1996年に弁護士過疎地域に弁護士を派遣する制度をつくりました。当時、裁判所の支部があるのに弁護士がいないという地域が地裁支部全体の約4割を占めていました。例えば、旭川地方裁判所の本庁には弁護士が数十人いるのに、旭川から300km離れた稚内支部には弁護士が誰もおらず、とても被疑者国選に対応できない状況でした。そういう地域が全国の至るところにあったのです。
 弁護士過疎を解消するため、日弁連は弁護士会が開設・運営のサポートをする「公設事務所」を各地方につくり、派遣弁護士の任期を2~3年としてリレー方式で事務所を継続させる取り組みを始めました。国の取り組みとしても、法テラスで「司法過疎地域事務所」を開設し、法テラスが雇用しているスタッフ弁護士を3年の任期で派遣させる制度をつくりました。こういった取り組みにより状況は劇的に改善され、現在では弁護士が全くいない地域は、ほとんどなくなりました。

紋別の公設事務所での孤軍奮闘の日々

 私は、全国で3番目に創設された北海道紋別市の公設事務所に三代目所長として就任しました。紋別市は旭川地方裁判所が管轄する四つの支部(稚内、名寄、留萌、紋別)の一つです。旭川から紋別まで140km離れているうえ、鉄道が廃止されたため移動手段は基本的に車のみです。旭川に行くまでに途中で峠を越えなくてはならず、夏場は問題ないのですが冬場は完全に凍結するため、移動するだけで命がけです。
 公設事務所ということで弁護士会からのサポートはあるものの、基本的に一人で全てのことをこなさなければなりません。私が取り扱った案件は借金の問題が多かったです。私が紋別にいた2005年頃は借金過払い金の問題がクローズアップされ始めた時期でした。最高裁が「利息の取りすぎは法的に許されない」という画期的な判決を出したものの、弁護士がきちんと対応できなければお金は返ってきませんし、取り立ては止まりません。多重債務事件の難しいところは、離婚や自殺など様々な問題に繋がっているところです。お金は回収できても人の命は返ってきません。遺族から相談を受けることもあり、もっと早く弁護士が派遣されていれば命が救えたかもしれないのに、とやりきれない思いを抱えることもありました。
 成年後見の事案も多かったです。成年後見とは、認知症などにより自分で財産を管理することができなくなった人に対して、家庭裁判所が選任した後見人に財産管理をさせる制度です。地方では高齢化のスピードが増しており、子どもら親族が都市部へ移動してしまったなどの理由から、やむを得ず弁護士が後見人になるケースが多いです。私もかなり後見人をさせていただきました。しかし、地域に弁護士が一人しかいないため物理的に出来ないことも多く、任期制のため信頼関係が築けた頃に次の担当者へ引き継がなければならず、人員不足ゆえの難しさもありました。
 刑事事件では、拘置所が旭川にしかないため被告人に面会に行くだけで一日仕事でした。同様に、殺人等の重大事件は旭川本庁でしか取り扱えないため公判に出席するだけで時間がとられ、刑事事件を一つ抱えると多重債務や後見など他の事案に手が回らなくなってしまいます。また、社会復帰や更生をサポートする民間組織などのインフラも圧倒的に不足しているため、例えば覚せい剤がコミュニティー内で回っていることが目に見えて分かってはいるものの、負の連鎖を断ち切るところまで手を及ぼせない、というもどかしさもありました。

市役所職員と弁護士が連携する奄美方式

 紋別で過ごした3年間で弁護士過疎地域が抱える問題点が色々と見えてきたので、もう少し別の場所で頑張ってみようと思い、2008年に奄美大島の公設事務所に赴任しました。
 鹿児島地方裁判所名瀬支部の管轄は、奄美大島だけでなく徳之島や喜界島などの群島も含まれており非常に広いエリアです。島と島との間は空路もありますが、飛行機を使うお金がなければ基本的には船移動です。しかし、フェリーが一日片道一本しかないので日帰りが出来ません。例えば、奄美大島の隣にある徳之島に行って帰って来るだけで2日かかってしまいます。
 当時、奄美大島には島に定着している高齢の先生と公設事務所の弁護士の計2名が在籍していました。事件としては多重債務が圧倒的に多かったです。弁護士の数に比して多重債務者が多い奄美大島では、「奄美方式」と呼ばれる独自の救済手段がありました。
 これは、奄美市役所の市民生活係の職員である禧久孝一(きく こういち)さんが「困ったことがあったら私に言ってください。私が弁護士につなぎます!」と始めた制度で、例えば税金が払えずに困った人が市役所に相談にいくと、市の職員が島の裁判所に出向いて鹿児島から来た弁護士に直接相談しながら、依頼者を繋ぐというものでした。市役所職員でありながら非常に柔軟に対応しており、弁護士がいなくてもできる特定調停なども含めて1年間で200件以上の案件を対応していました。多重債務は自殺などにも繋がりやすく、役所としても何とか取り組みたいということで、他の役所からも視察が来るほどでした。

名寄市にて市民後見人制度の実施に向けて

 奄美大島での任期が終わり、ちょうど移動しようとするタイミングで旭川で私設の弁護士法人をつくった友人に誘われ、再び北海道へ赴任することになりました。二度目の北海道の勤務先は、旭川地方裁判所の支部管内で一番広い名寄市でした。
 私が戻った頃には多重債務で初めて相談するという人は少なくなっており、リピーターが増え始めていました。一度任意整理をして過払い金を解決できても、原因がそのままだと再び多重債務に陥ってしまうことが少なくありません。弁護士は借金をなくすことはできても収入をプラスにすることができないのでもどかしいです。
 成年後見の問題については、名寄の公設事務所に在籍していた先生と相談して、名寄市へ市民がボランティアで行う「市民後見人制度」を整備してもらえるよう働きかけました。市民後見人制度は、全国的に制度としては存在しますが、まだ十分に運用されていません。そもそも後見人とは、その人が健康に暮らしていけるように責任をもって財産を管理するのが仕事です。家計簿をつけるだけではなく、生活を見てあげなければなりません。親族でさえ大変な作業なのに、ましてやボランティアが一人で行なうのは非常に難しいので、行政がきちんとサポートする体制をつくる必要があります。私たちの働きかけがようやく実を結び、名寄市では平成30年から市民後見制度がスタートすることになりました。

弁護士過疎地域に求められる弁護士像

 この11年間、弁護士過疎地域で働いてきていろいろなことが見えてきました。一般的に弁護士に求められる役割はたくさんありますが、とりわけ司法過疎地域における弁護士の役割とは「力のない人を助ける」という事だと思います。力がある人は裁判に頼らなくても強引にものごとを押しとおすことができます。しかし力のない人は、裁判所の使い方も弁護士への相談の仕方も分からず、泣き寝入りするしかありません。せっかくいい法律があっても適用されなければ意味がありません。
 日弁連や法テラスなどの取り組みの結果、弁護士の「数」の問題は解決してきましたが、今後は派遣する弁護士の「質」をいかにしてあげていくかが課題です。弁護士過疎地域に行く弁護士は誰でもいいわけではありません。弁護士としてのスキルはもちろんのこと、その地域で何が求められているのかを理解し、実行に移すことが出来なければなりません。ここでは人間性がものを言います。
 地方では年々インフラが弱体化しています。地方に住む人たちがこれからも健康に暮らしていくためには、司法も含めたインフラの整備が急務であり、国として対処すべき課題です。東京にいながら地方との溝を埋めるという作業は簡単ではありませんが、地方に求められる優秀な弁護士を派遣すべく、これまでの経験を踏まえながら尽力したいと思います。

大窪和久氏(弁護士、「桜丘法律事務所」所属)
千葉県流山市出身。早稲田大学法学部卒業。2003年弁護士登録(56期)、「桜丘法律事務所」入所。日弁連の弁護士過疎地派遣事業により各公設事務所の所長として、2005年「紋別ひまわり基金法律事務所」(北海道紋別市)、2008年「奄美ひまわり基金法律事務所」(鹿児島県奄美市)、2009年「末広町法律事務所」(鹿児島県奄美市)にて勤務。2011年弁護士法人道北法律事務所に入所し、名寄事務所所長就任。2016年「桜丘法律事務所」復帰。公設事務所・法テラスの赴任を目指す新人弁護士の指導に当たる。

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