教育の場で起こっていること──最近読んだ2冊の本から(西村リユ)

 最近読んだ、2冊の本の話です。

 1冊目は『掃除で心は磨けるのか いま、学校で起きている奇妙なこと』(杉原里美/筑摩選書)。家族、教育などをテーマに取材を続ける朝日新聞記者が、これまで新聞や雑誌に発表した記事をまとめ直した1冊です。
 ちょっと不思議なタイトルは、本書の一章で紹介されている「トイレ掃除運動」から取られたもの。単なる普通の掃除ではなく、トイレをピカピカに(多くの場合は無言で、そして素手で)磨くことによって美しい心や道徳心を育てるという運動で、すでにいくつもの学校(や企業)で取り入れられているのだそうです。
 それ以外にも、いま教育の場で起こっている、さまざまな「奇妙なこと」の実態が、綿密な取材を通じて明らかにされていきます。「体操着の下に肌着を着てはならない」などの不合理極まりない校則、今年から中学校でも始まった道徳の教科化、「親学」の下での家庭教育への公権力の介入、太平洋戦争を「自存自衛の戦争」と位置づけるような歴史修正主義的な教科書の広がり……。そこに共通するのは、批判精神をもたず、言われたことに素直に従う「いい子」を育てようとする姿勢のように思えます。以前、「子どもと教科書全国ネット21」代表委員の鶴田敦子さんが、〈教育全体に、「道徳」的価値観が持ち込まれつつある〉と指摘されていたことを思い出しました。

 2冊目は、大阪府の公立中学校教師である平井美津子さんの『教育勅語と道徳教育──なぜ、今なのか──』(日本機関紙出版センター)。
 2016年末、大阪市内にある「塚本幼稚園」で、幼い子どもたちが「教育勅語」を暗唱する動画が話題になりました(同園を運営する学校法人「森友学園」はその後、国有地売却問題で注目を集めることになります)。翌春には政府は、教育勅語を学校で教材として用いることを「否定しない」とする閣議決定を行いましたが(17年3月)、その教育勅語とはそもそもどういうものなのか? が分かりやすく解説されています。
 なぜ作られたのか、子どもたちにどのように教えられたのか……戦争時、教育勅語の謄本が、天皇の「ご真影」とともに「命に替えても守るべき存在」とされ、実際にそれらを守ろうとして命を落とした人もいた、という話には、ゾッとさせられました。

 さて、2冊の話を並べて書いたのは、奇しくも2冊の本の書き出しが、なんだかとても似ていたから。
 『掃除で心は〜』の「はじめに」の最初に書かれているのは、〈私は、学校が嫌いだった〉という一文。中学時代、厳しい校則に異を唱えたために、先生から「問題のある生徒だ」と見なされて呼び出された、というエピソードが語られます。
 一方、『教育勅語と〜』の書き出しは、〈「変わった子」。私は小学校のころ、よくそう言われました〉。小学校の先生からも「協調性がない」「みんなと一緒に行動できない」と言われ続けた著者は、中学では「髪型やスカートの長さ、靴下の色まで」を校則で決められることに強く違和感を抱きます。
 「みんないっしょ」を押しつける厳しい校則に疑問をもっていた2人が、そろって今の日本の学校の状況に警鐘を鳴らす内容の本を著しているのは、たぶん単なる偶然ではない。そんなふうに「決められたことに従えといわれること」「みんなと同じようにしろといわれること」に人一倍窮屈さを感じる人が、危機感を抱かずにいられないような状況がいま、生まれているということなのでしょう。
 私の息子も、このまま行けばここ数年のうちに、そうした状況の中で教育を受けることになるはず。マイペースそのもの、周囲に合わせるのが得意とはとてもいえない彼のことを思って、なんともいえない不安に駆られています。

(西村リユ)