『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著/集英社新書)

 「あなたたちが科学に耳を傾けないのは、これまでの暮らし方を続けられる解決策しか興味がないからです。そんな答えはもうありません。あなたたち大人が、まだ間に合うときに行動しなかったからです」
 本書では、たったひとりで気候変動問題に対する運動を始め、やがて世界の若者たちを巻き込んでいったスウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリが2019年4月23日に英国議会で行った演説の一節が引用されている。
 32年前にベルリンの壁が崩壊した時、民主主義と自由経済という西側社会の価値観が社会主義陣営に勝利したと謳われた。これが世界に広がることで、社会の発展の最終形態を迎えるとして「歴史の終わり」を論じる学者も現れた。そしていま、私たちを取り巻く環境や経済はどうなっているのか。資本主義の暴走を野放しにしてきたことで深刻な危機を招いた大人たちに、グレタは憤りを抑えられなかったのである。
 著者によれば、グリーン・ニューディールに代表される環境を考慮した経済政策は、経済成長を続けながら二酸化炭素排出の絶対量の削減を可能にするというものだ。グレタの言う「これまでの暮らし方を続けられる解決策」だろう。それでは資源消費量の増大は避けられない。一方、成長を抑えれば、企業は労働生産性を高めるため、人的なコストカットをしようとする。失業者が増えることを嫌う政治家たちは結局成長を選ばざるをえない。それが資本主義の変わらざる構造である。
 環境運動が日本で広がらないのは、エコノミーか、エコロジーかという二者択一を迫られるからではないか。巷でいわれているエコな暮らしにはお金がかかる。SDGsのために消費者ができることといわれている活動も、結果として企業の利潤追求による環境破壊を隠す役割を演じていると本書は指摘する。
 そうした現状で、なぜ「資本論」なのか。カール・マルクスが1867年以降、自然科学やエコロジーの研究に取り組むようになったからだ。資本主義の矛盾が行きつくところまでいったところでコミュニズムが生まれるという、いわゆる「進歩史観」から、晩年のマルクスは「脱成長」へと舵を切ったのである。
 マルクスは非西欧や資本主義以前の共同体社会の研究にも大きなエネルギーを割き、土地や水などの自然だけでなく、知識や情報も地域に暮らす人々の「コモン」として共有すべきものであることを学んだ。そして世界を持続可能なものにするためには民主的な手続きが不可欠であることを確信した。
 本書は、人類の経済活動が地球に与える影響があまりに大きくなってしまった年代=人新世において「資本論」が果たす役割を説き、私たちが豊かに生きることのできる「コミュニズム」を実現するためにいまできる行動を促す。
 鍵は世界の人口の3.5%――その数字は何を意味しているのか。本書を手にとってくれればわかります。

読み進めていくうちに、著者が映画『マルクス・エンゲルス』に登場する若きマルクスと重なって見えてきた

(芳地隆之)


『人新世の「資本論」』
(斎藤幸平著/集英社新書)

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