2024年4月20日
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渡辺一枝

渡辺一枝
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わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。

第32回:おコウばっぱの話──「色々あった、戦争もあった、だけどいい人生だったって、私は思う」(渡辺一枝)

飯舘村では、菅野榮子さんに聞かせてもらう話がいつも心に残ります。今回もまたとびきり印象深い話を聞かせていただきました。私は常々、榮子さんという人は「土に生きる哲学者」だと思っているのですが、その榮子さんのルーツにはこんなお婆ちゃ…

第31回:311子ども甲状腺がん裁判傍聴記「その日、放射線量がとても高かったことを私は全く知りませんでした」(渡辺一枝)

これは東京電力福島第一発電所の事故当時に福島県内に居住していた、当時6歳から16歳の男女6名が、事故による放射線被曝によって甲状腺がんを発症したとして、東京電力に損害賠償を求める裁判です。原告の6名は甲状腺がんの手術を受け、内4名は再…

第30回:福島の今を知るツアー報告&飯舘村へ(後編)そこには、本当の民主主義があった(渡辺一枝)

前回に続き、5月に福島を訪れたときの報告、後編です。5月5日の教会関係の方達をご案内してのツアーを終えて、その晩は飯坂温泉に宿泊。翌日午前中に福島市新井に菅野哲(ひろし)さんをお訪ねし、その後で裏磐梯へほんの小さな旅をして心身リフ…

第29回:福島の今を知るツアー報告&飯舘村へ(前編)「福島の良いところも被害を受けて酷いところも知って欲しい」(渡辺一枝)

5月5日、「あれから11年 福島の今を知るツアー」と題する福島行きのツアーに参加した。いつも私が福島行きの際の案内をお願いしている今野寿美雄さんと私がガイド役で、教会関係の方たちを案内しての日帰りツアーだった。きっかけは、昨年の11月…

第28回:ふくしまからの日記──飯舘村「私の人生の中で持ってる宝物を、みんなにお裾分けしながら共に生きようと思ってる」(渡辺一枝)

今年1月下旬の福島行の報告が、こんなに遅くなりました。飯舘村の菅野榮子さんを訪ねた日のことを書きました。今回もまた少々長い文章ですが、「榮子節」をお届けします。昨年11月の訪問時、玄関に姿を見せた榮子さんに「お元気そうで良かった」…

第27回:安保法制違憲控訴審(2)原告意見陳述「安保法制制定から6年、この法制がはらんでいた危険は次々と顕になっている」(渡辺一枝)

前回に続き、安保法制違憲控訴審、結審を迎えた2月4日の法廷での発言内容をご紹介します。原告の堀尾さんの意見陳述に、青春時代が戦時中だった世代の方たちの苦悩に思いを馳せました。敬愛する大先輩の澤地久枝さんをも思いました。代理人弁護…

第26回:安保法制違憲控訴審(1)私の意見陳述「戦争のない平和な世界を願うのは、国家を超えて人としての願いなのだと、はっきりと言えます」(渡辺一枝)

安倍晋三氏が首相だった時、「戦後レジームからの脱却」を唱えていた彼が目論むところは、憲法を変えて日本を戦争のできる国にすることだと思えてなりませんでした。戦前の治安維持法を思わせる「秘密保護法」を強行採決し、続けて「安保法制法案…

第25回:トークの会「福島の声を聞こう!」vol.38報告(後編)「原発が制御可能と思っているのは人間の驕りだ」(渡辺一枝)

飯舘村では放射線量を測るために、村内の至るところにモニタリングポストが設置されている。当時の文科省がつけたものが33基、県・村が設置したものを合わせて百数十基が、村内に在る。モニタリングポストは原発や核施設から漏出する放射能を捉え…

第24回:トークの会「福島の声を聞こう!」vol.38報告(前編)「住民の49%が戻らない、21%が戻れない」(渡辺一枝)

大変遅くなりましたが、昨年暮れ(2021年12月5日)に神楽坂セッションハウスで催したトークの会「福島の声を聞こう!」vol.38の報告です。ゲストスピーカーは飯舘村の伊藤延由さんでした。伊藤さんは、「これからお話しする焦点は、復興五輪が…

第23回:私の中で育ち続けた「戦争反対」のタネ(渡辺一枝)

私は1945年1月9日に満州ハルピンで生まれた。同年7月15日、父は現地召集を受けて出征した。8月9日にソ連軍が侵攻し15日、日本の敗戦で戦争は終わった。翌年9月、私は母に連れられて日本に引き揚げた。私には満州の記憶も引き揚げの記憶も全く…