2024年11月26日
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渡辺一枝

渡辺一枝
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わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。

第21回:トークの会「福島の声を聞こう!」vol.37報告「懐かしい風景は、みんな消えてしまった」(渡辺一枝)

私は2011年8月から福島に通い始めましたが、見聞したことを私の言葉で伝えるだけでは伝わりきれないものがあると感じました。そこで2012年3月から、現地の当事者が自身の声と言葉で直接語る「トークの会 福島の声を聞こう!」を催しています…

第20回:ふくしまからの日記──浪江町・飯舘村「一枝さん、ダメダァ。オレ入院。ごめん、今日は会えない」(渡辺一枝)

10月21日、浪江町の津島から、飯舘村へ行きました。飯舘村の長谷川健一さんにお会いする予定でした。けれども、叶わぬこととなってしまいました。悲しいご報告ですが、お読みいただけたら幸いです。今回の福島行は、10月22日に仙台高裁で「子…

第19回:ふくしまからの日記──南相馬「被曝地と呼ばれるまちにわれら住む未来の扉開かんとして」(渡辺一枝)

書くのが大変遅れてしまいましたが、8月に福島に行ったときの日記、後編です。ですが、本文に入る前に悲しいお知らせをしなければなりません。10月22日、前回の日記にも登場している、飯舘村の長谷川健一さんが逝去されました。享年68歳。謹んで…

第18回:ふくしまからの日記──飯舘村・南相馬・浪江町「国が悪いの、企業が悪いのって言ったって、私らもそれをちゃんと監視できねかったし」(渡辺一枝)

つい先日まで「暑い、暑い」と言っていたのに、もうすっかり秋になっていました。彼岸花ももう末枯れて、金木犀の花も既に散りました。花たちの季節の巡りは、確かに早くなっています。かつては、彼岸花は名前の通りに秋彼岸の頃に咲きました。金…

第17回:私の毎朝散歩(渡辺一枝)

新型コロナウイルスは、私たちの暮らしに様々な影響を及ぼしています。流行を歓迎はしませんが、これによって生活を見直すきっかけにもなりました。私の場合は、体調管理を一層心掛ける様になり、早朝のウォーキングを始めました。もともと私は歩…

第16回:被災地ツアー報告④子どもたちに「放射能」を語る言葉を持ちたい(渡辺一枝)

朝、双葉屋旅館を出たときに一旦別れた高村美春さんとまた合流するために、ここで待ち合わせ。まずは富岡町役場に行った。驚くような看板が目に飛び込んできた。建物外の柱に立てかけた立て看板。「税金は 希望をつなぐ 未来への光 富岡高等学…

第15回:被災地ツアー報告③「原発の構内には、特攻隊の記念碑があるんですよ」(渡辺一枝)

ツアー2日目(7月23日)。朝食後に双葉屋旅館前で記念撮影後、出発。駅前通りを行き、戦時中は戦闘機の風防ガラスの材料として使われもした珪砂を生産した「小高銀砂工場」の跡地を左に見て、その先右手にある作家・柳美里さんのブックカフェ「フ…

第14回:被災地ツアー報告②「語らなければ伝わらないと思って、語り部活動を始めた」(渡辺一枝)

更地になった今野さんの自宅跡を見て、浪江町役場前の仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」でトイレを使う。避難指示解除になった時、ここに仮設商店街ができたことが、どんなにありがたかったことか。昼食もここでとることが出来たし、トイレも…

第13回:被災地ツアー報告①「綺麗な花を見て、みんなが『ああ、綺麗だなぁ』って、いい気持ちになってくれたら」(渡辺一枝)

7月22日〜24日の2泊3日で、友人たちに声をかけての「被災地ツアー」を催行しました。今回の通信はその時の報告です。現地の状況や施設の様子など、以前に私が個人的に行ったときの報告と重なる部分もありますが、ツアーの報告としてお読みいただ…

第12回:私の8月15日(渡辺一枝)

今日は旧盆のさなかの8月15日。18歳になる初孫の誕生日でもある。私は、母が遺した仏壇の引き出しを開けて、収められた小さなスケッチブックを取り出す。これは父の遺品だ。私は父を知らない。このスケッチブックだけが、父に繋がる縁だ。私は19…