2024年5月14日
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渡辺一枝

渡辺一枝
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わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。

第12回:私の8月15日(渡辺一枝)

今日は旧盆のさなかの8月15日。18歳になる初孫の誕生日でもある。私は、母が遺した仏壇の引き出しを開けて、収められた小さなスケッチブックを取り出す。これは父の遺品だ。私は父を知らない。このスケッチブックだけが、父に繋がる縁だ。私は19…

第11回:またも不当判決──「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」(渡辺一枝)

福島第一原発事故後、国策として原発を推進してきた国と津波対策を怠ってきた東京電力を相手取って、30件以上もの裁判が提訴されてきました。福島県南相馬市の住民808人が国を訴えた「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」もその一つ。...

第10回:たまには本の話──『咲ききれなかった花』『リニア中央新幹線をめぐって』『「顔」の進化』(渡辺一枝)

思いもかけないことに新型コロナの濃厚接触者となってしまい、6月20日から7月4日まで外出を禁じられ自宅待機となりました。その日々の中で読んだ本のことを書きました。「一枝通信」は福島行の報告が多いのですが、ときにはこうして読んだ本につ…

第9回:ふくしまからの日記──富岡町・いわき「賠償金を貰った、貰わないで身内同士でも敵同士みたいになってしまった人もいる。それがとても残念」(渡辺一枝)

 6月15・16日の一泊二日の福島行の記録、その2です。1日目は飯舘、南相馬、浪江と回りましたが、2日目の16日は南下して富岡町、そしていわき市へ行きました。富岡町では、前にも話をお聞きした板倉正雄さんに会い、いわき市では水産加工業…

第8回:ふくしまからの日記──飯舘村・南相馬・浪江「息子ともよく話し合って、赤字を出さないうちに閉じる事にしたよ」(渡辺一枝)

福島第一原発事故から10年経って、被災地は大きく様変わりしています。私がずっと世話になってきた、南相馬市の「ビジネスホテル六角」も営業を閉じました。浪江町では町のシンボル的存在だった浪江小学校の解体が進められています。そして「復…

第7回:「原発避難者住宅追い出し裁判」傍聴記 「『戻る権利』があるように『戻らない権利』もあって然るべき」(渡辺一枝)

5月14日、福島地方裁判所で開廷された「原発避難者住宅追い出し裁判」の傍聴に行ってきました。2011年3月11日の東日本大震災と原発事故によって、多くの人が居住地を離れて避難しました。避難者は災害救助法によって避難先で仮の住居を得ま…

第6回:ふくしまからの日記──南相馬・飯舘村 「原発事故から10年経ったけど、メディアはこの事故をどう伝えていくのかな」(渡辺一枝)

5月14日は福島地方裁判所で、私が支援者として関わっている裁判が開かれました。この裁判は、加害者と被害者の立場が全く逆転しているおかしな裁判です。福島県から東京・東雲の国家公務員宿舎に避難している原発事故被災者を、福島県が裁判に訴…

第5回:ふくしまからの日記③(渡辺一枝)

今回の「一枝通信」は、前回も書いた4月19・20日の福島行きについて、書き切れなかった分の報告です。19日は、いつものように福島駅で今野寿美雄さんにピックアップして貰い、国道114号線で、まず浪江に向かいました。浪江に行くたびに、変貌し…

第4回:ふくしまからの日記②〈後編〉(渡辺一枝)

板倉さんの家を出てから、楢葉町の宝鏡寺に向かいました。先月は山桜を見た山中も、もうすっかり新緑で、車で通り抜けていてさえも体が緑に染まりそう! 4月の半ばとは思えない風景でした。宝鏡寺に着くと、伝言館の外で入り口辺のセメント塗り…

第3回:ふくしまからの日記②〈前編〉(渡辺一枝)

3月に訪問した福島県富岡町の板倉正雄さんと、楢葉町の早川篤雄さんを再訪しました。前回のコラムは、板倉さんの原発事故後の避難生活と自宅に帰還してからを書きましたが、今回は幼少期のことや青春時代を送った満州での生活、帰国後に営林署勤…